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Metal Hammer 2021年4月号Smith/Kotzen インタビュー和訳

Metal Hammer(以下MH):エイドリアン、リッチー、アルバムの話をする前に、そもそもどのようにして二人が知り合ったのかを教えてくれませんか?

エイドリアン:切っ掛けは僕の妻だ。彼女がリッチーのアルバムを聞かせてくれた。リッチーが2005年に南米で収録したライヴアルバム(Live in South Amerika 2005)をリリースした頃で、僕はそれをとても気に入った。
僕はLA郊外にセカンドハウスを所有しているのだけど、その町はミュージックシーンがとても華やかなことで知られていて、数多くのミュージシャンたちとのクロスオーバーがある。そこでリッチーと親しく知り合うことになったんだ。
僕の家には小さなスタジオがあり、PAといくつかのアンプ、電子ドラムキットも置いてある。クリスマスから新年にかけて、そこへ人を招いたりするわけだが、リッチーが来てくれた時僕らは何時間もジャムったのさ。バッド・カンパニーやスティーヴィー・レイ・ヴォーン…そういった類のをね。それが良い感じで上手くいったものだから、妻が一緒に曲を書いたらと勧めてくれたんだよ。2019年の初頭だった。

MH:リッチー、エイドリアンに関する音楽的な思い出はありますか?エイドリアンがプレイしているアルバムで特に印象に残っているものは?

リッチー:僕は昔からアイアン・メイデンの大ファンだった。君たちがそれを信じようと信じまいと、そうなんだ。
The Number Of The Beastは毎朝、学校に行く前に聞いていたよ。2枚のTシャツを持っていて、一枚はブラック・サバス、もう一枚はアイアン・メイデン。その頃の僕のユニフォームだったね。初めてエイドリアンをライヴで見たのは、確か“Piece Of Mind”ツアーの時だったと思う。
僕らが今こうして二人のプロジェクトとしてアルバムを制作しているなんて、とてもシュールだと感じるよ。同時に凄くクールなことだとも思う。

MH:アルバムを聞くと、二人ともクラシックかつブルースロックに基盤を持っているのを感じます。どのようなバンドあるいはアルバムからインスピレーションを得ましたか?

エイドリアン:フリーは僕の人生の中で絶対的お気に入りのバンドと言える。彼らの最初のライヴアルバム(Free Live! 1971)は非常に生々しく力強い。ディープ・パープルのMachine Headも大好きだね。若かった頃は、ジョニー・ウィンターやその辺を沢山聴いてたな。ギターを始めた頃は、ディープ・パープルやリッチー・ブラックモアは遠く手の届かない存在だった。音楽的にも遥か先を行っていて、コピーさえ出来なかった。それに比べてフリーのようなブルーズ・ロックは明らかに真似がしやすいものだった。ブルーズはそれ自体が一つの芸術ではあったけれど。
今回僕らはブルーズ・アルバムを制作したわけではないが、ブルーズはそれを正しい手順でやればとてつもないパワーを生み出すことができる。

リッチー:僕にとっては、影響を受けたアルバムについて話すのは、いつも凄く難しく感じるんだ。おかしなことだが、僕は音楽の消費者とは言えないだろうね。妻にいつもからかわれるんだよ、僕がミュージシャンであるにも関わらず車の中で殆ど音楽を聴かずにトーク番組ばかり聞いてるから。
勿論、若かった頃はThe Number Of The Beastみたいに何度も繰り返し聞いた曲もある。だけどアルバムというよりは何か一曲を気に入って聴くのが多かった。ラッシュのMoving Picturesのような例外を除いては。
僕はフォー・トップスやスピナーズといったR&Bやソウルミュージックからの影響を受けている一方で、アイアン・メイデンやブラック・サバスのようなハードロックも好きだ。ディープ・パープルもね。特にグレン・ヒューズとデヴィッド・カヴァーデイルが居た頃が大好きで、彼らの声の重なり合いがとても好きなんだ。Stormbringerは僕にとって非常に重要なアルバムの一つと言える。

MH:二人の共通点について話してきましたが、もちろん相違点もあるでしょう。国籍や生い立ちも異なりますし、12歳の年の差もある。この年齢差は共同作業をする上で何らかの特徴をもたらしましたか?

リッチー:僕はいつも自分の実年齢より10歳ぐらい年を取ったように感じているんだよ。今まで一緒に仕事をしてきた連中は僕の前の世代ってのが多い。ビリー・シーン、スタンリー・クラーク、そしてエイドリアン・スミス。自分のバンドでは逆の現象で、ベーシストもドラマーも僕より年下だ。
今まで一緒にやってきたミュージシャン達とは上手くやってきたと思うし、沢山のことを学んだ。
それは別として、ミュージシャンとしてちゃんとした『大人』になることはないんだ。人間として成熟しないという意味ではないよ。演奏したり何かを作り出す時に感じる『子供っぽい』喜びは常に、何歳であるかは関係なく、誰しも持っているものだと思う。

MH:ソングライティングのプロセスはどのようなものでしたか?

エイドリアン:僕がイントロやリフのアイデアを出すと、リッチーがコーラスやメロディーラインを書く。シンガーとしてのリッチーは、僕より格段に広い音域を持っているから、コーラス部分を最大限に活かすことができた。殆どはとても自然な流れで出来ていったね。

MH:それぞれの曲の歌とギターのパートはどのように分けたのでしょうか。

リッチー:僕らの声質や音域は(エイドリアンが)先ほど言ったように異なるから、誰がどの部分を歌うかはすんなりと決まった。他のやり方としては歌詞のどの部分を誰が書いたかで決まった。エイドリアンが書いた歌詞は彼が歌うといった風に。僕の場合もそう。殆どの曲のコーラス部分はどちらかと言えば僕の声に合ってたから僕が歌った。誰がどっちを歌うかで論争にはならずに自然な流れだったね。ギターに関しても同じだった。

エイドリアン:プレイヤーとしては僕ら双方ともギタリストとして相応の自由があった。でも、僕らにとって重要なのはあまり弾きすぎず、歌に重点を置くというものだった。このアルバムはシュレッドして弾きまくるためのものじゃないから。ソロ部分やアウトロにはややそういう傾向はあるかもしれないが。Taking My Chancesのフュージョン・パートはリッチーが作ったもので、ジャズ・ベースの巨匠、スタンリー・クラークとの仕事からインスピレーションを得たものとほぼ確信してるよ。

MH:例えば、You Don't Know Meにおける二人の声の重なりはとても良いアクセントになっていると思います。
ギターを手にする前 ー 確かあなたの音楽キャリアはストーン・フリーというバンドのシンガーから始まったのではなかったでしょうか、エイドリアン?


エイドリアン:うん、そうだね(笑)当時は後にメイデンのギタリストになるデイヴ・マーレイともう一人、デイヴ・マクロックリンというヤツで、この中でロックが好きなのは僕だけという環境だった。ディープ・パープルやハンブル・パイ、ブラック・サバスやそういう音楽を聴き始めた頃、僕はどうしてもバンドをやりたかった。でも僕は当時何も楽器が出来なかったから歌わせてくれと言ったのさ。最初に僕らがやったのは面白いことに、ホークウィンズのSilver Machineだった。僕自身はプロの歌手とは言えなかったし、100ワットのマーシャルアンプに対抗するために喚き散らさないといけなかった。そんな風に自分のスタイルを作って行ったんだ。
リッチーは僕とは違いしっかり歌を学んでいる。正しい発声法の教育を受けているし、色んなテクニックを知っている。

MH:You Don't Know Meという曲がありますが、そのタイトルのように、共同作業していく上で以前は知らなかった相手の新しい側面の発見はありましたか?

リッチー:以前はエイドリアンがテニスをするなんて知らなかったよ。それと熱心な釣りファンだってことも。
エイドリアン:リッチーのような第一線のミュージシャンと一緒に仕事ができるっていうのでそりゃあワクワクしたものさ。
彼について僕がまだ知らないことって?そうだな、僕らはまだお互いを知り合っている途中かもしれない(笑)ああ、そうだ、一つ思い出した。
彼がドラマーとして優秀だってことは知らなかったな。二人で作業しながらギターにドラムを合わせようとすると、リッチーはドラムセットに飛びついてあっという間にドラムパートを仕上げてしまう。アルバムのうち5曲はそんなノリをそのまま乗せた感じだね。リッチーは素晴らしい仕事をしたよ。

MH:アイアン・メイデンのバンドメイト、ニコ・マクブレインが“Solar Fire”の一曲、後はタール・ベルクマンもドラムを担当していますね。
それ以外はベースに至るまであなた方二人で担当しています。最初からほぼ全てのパートを二人でするつもりだったのですか?


エイドリアン:アルバムにするぐらいの曲が出来上がった時点で、どこかの大きなスタジオを借りてドラマーとベーシストに参加してもらうこともできたがそれはしなかった。そうすると誰かが口を挟んできたりして、違った作風になったかもしれない。次作でそうしないとは限らないけど、まずデビュー作は二人だけで集中してやることにしたんだ。
ニコは間違いなくあの曲にキックを与えたし、タールはジョー・ボナマッサやリッチーとも沢山の仕事をしている優れたドラマーだ。

MH:二人の優れたギタリストが一緒に参加しているアルバムなのでベースラインが埋もれてしまうのでは、という心配は杞憂でした。逆に、ベースラインの構成が非常によくできています。

エイドリアン:僕は4曲でベースを弾いて、残りはリッチーだ。僕は自分をベースプレイヤーだとは思ってないけどスタジオで弾くのは好きだよ。
ライヴでは恐らく上手く出来ないだろうけど。
良いベースラインは曲を豊かにし、更には別の次元へ導くこともある。
リッチーはベースの達人で、四弦から火花を散らすようだった。僕はその反対でポール・マッカートニーだったけどね(笑)僕らそれぞれが異なるエレメントを持ち込むことが出来たと思う。

MH:リッチー、エイドリアンがアイアン・メイデンに所属する3人のギタリストのうちの一人であるのと違い、あなたは今までソロあるいはバンドのただ一人のギタリストでした。他のギタリストと目線を合わせて仕事をするにあたって、自身で何か調整しなければいけないことはありましたか?

リッチー:考えるよりも随分簡単だったよ。僕はこれまで自分自身が全責任を負うアルバムを大量に作ってきた。僕はシンガーでソングライター、ギタリストでもあり更にいくつかの楽器も自分のレコードで演奏してきた。18歳でソロキャリアを始めたからそれらのことは十分にやってきた。バンドのギタリストしてやってきてそれからソロ活動、という流れになったことはこれまで一度もない。そんな重荷を背負うことはできない。
僕は、誰かと協力したりアイデアを交換しあったり、時には一歩引いてみたり、というのをただ楽しんでいただけだね。

MH:以前は、絶対的なヘヴィ・メタルバンド、アイアン・メイデンのギタリストと、かたやグラム・メタル・バンドのポイズンのギタリストが一緒にアルバムを作るなど誰も想像できなかったでしょうね…。

エイドリアン:時代が変わったのだろうね。ヘヴィ・メタルは成熟した大人になり、ファン達も同様に年を重ねた。20年か30年ぐらい前はメタル界から飛び出すのが怖かった、そうすることでファンを失うのではという恐れもあった。
しかし音楽や芸術も新しい局面に入ったんだ、ずっと同じことをやり続ける代わりにね。僕は歌うギタリストが好きで、スティーヴ・マリオットは僕の偉大なるヒーロ―だ。ジョニー・ウィンターやパット・トラヴァースなんかも、歌とギターを同時にやってしまうのに僕は魅了されていた。エリック・クラプトンもそうだね。優れたシンガーでありギタリストでもある。
僕とリッチーが今回やったようなコラボは今まで無かったんじゃないかと思う。大抵、ギタリスト同士のエゴのぶつかり合いで上手く行かなくなるものなんだ。
例えば、イングヴェイ・マルムスティーンとリッチー・ブラックモアが一緒にアルバムを作るなんて想像できるかい?いや、イングヴェイを引き合いに出すのは違うかな。僕の言いたいことをわかってもらえるといいんだけど…

リッチー:皆には、僕がギターを技術的にマスターした達人のように見えているかもしれないけど、僕にとってはギターは道具なんだ。歌のための道具。建築作業にも似ている。どのハンマーを使うか、ドリルを使うかは重要じゃない、最も大事なのはどんな建築プランが見えているかだ。エイドリアンは僕と同じような理解を持っている。僕らにとって最優先なのは常に歌なのさ。

MH:アイアン・メイデンのバンドメイトにこのアルバムを聞いてもらう機会はありましたか、エイドリアン?

エイドリアン:ニコは勿論自分がプレイした曲を前もって聞いていたよ。しかし今の時代、何かをインターネットで送信するのは慎重になった方がいいよね。バンドの何人かはいくつかの曲を聞いて、“Taking My Chances”について良いコメントをしてくれた。
20年か25年ぐらい前は、メイデン以外のサイドプロジェクトをするのは懐疑的で疑問もあった。しかし今はお互いのルーツや好みを理解しあって、譲歩することができるようになったよ。

MH:スミス/コッツェンはこの先も続きそうですか?

エイドリアン:すでに僕らは新しい曲について話し合っているんだ。しかし恐ろしいウイルスがいくつかのプランを非常に難しい状況に置いてしまった。僕らはこの三月か四月にアルバムのお披露目を兼ねたリリースショーをいくつか行うつもりだったんだ。それがコロナで出来なくなってしまった。僕らはこれが一度きりで終わるプロジェクトではなく、主体性を持つ、ちゃんとしたものだということを証明したい。
アルバムのレコーディングで何回かプレイするだけじゃなく、ステージの上で曲に生命を吹き込みたいんだ。

リッチー:状況が許すようになれば、二人で新しい曲をもっと書きたいし、僕はすでに次のアルバムへの青写真を持っている。一度限りで終わらせたくないし、同じくステージで演奏したいと思ってるよ。危険が無くなったらすぐ、実行に移したいね。