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第三章 半醒半睡 4

 南淵の左腕が僕の腰を抱き、僕は南淵の肩にもたれ体重をあずけて歩いていた。
 南淵の「おぶって帰ってやろうか?」という真顔の言葉を苦笑いしながら丁寧に断り、そのかわりに駅まで肩を貸してもらっていた。
 頭痛は少し治まったものの、めまいでふらついて歩くのを見ていられないと、瀧西と北吉も僕を見守るように後ろをついて来る。
 誰かと下校するなんて初めてだった。
 学校前の激坂を下ってすぐの所に三山駅があり、電車に乗りさえすれば五分ほどで僕のアパートにほど近い境町駅に到着する。家から迎えに来てくれる者などいない僕は、今日は電車で帰ることになったのだ。
 本気で家までおぶって送り届けてくれそうな勢いの南淵を押しとどめ、電車に乗り込んでからも見送る瀧西、南淵、北吉、三人の顔は皆、心配そうだった。
 電車が動き出し顔が見えなくなるまでそれを眺めたのは、ついさっきの事だった。
 どこまでもお人好しだな、と僕は思ってしまった。
 馬鹿にしているわけではない、本心から彼らは人が良いと思っていた。
 僕が誤解し、心底恐怖したアニ研の部室での出来事も、ちゃんと話を聞いてみれば何のことはない、美少女フィギュアという厄介事を、アニ研に押し付けたいと思っただけの僕の行動は、東国原たちにしてみれば、喋る美少女フィギュアの緋卜香という稀有な存在を、自分たちに信頼して預け、必死に助けを求めてきたのだというポジティブな解釈のもと、僕と緋卜香を守るため自分たちのテリトリーであるアニ研に保護する目的で、あれやこれやと僕にちょっかいを出してきたのだという。
 やり方はどうあれ、彼らなりに僕と緋卜香を助けようとしての事だった。
 同級生という、ただそれだけの間柄の僕に、なぜあれほど親身になってくれるのか、不思議だった。
 緋卜香という秘密を共有する仲間としての親密さのあらわれなのだろうか。
「皆様、優しい方々ですよね。本当に」
 緋卜香がふふと思い出し笑いをするように言った。
「そうだね」
「良いお友達ができましたね」
「友達?」
 友達という思いがけない言葉に僕がぼんやりしていると、緋卜香が優しげに言った。
「きっと良いお友達になれますよ。きっと……」
 まだ重い頭を緋卜香の肩にあずけ、僕は車窓から見える風景を眺めながら、聞き流した。
 乗客がまばらな車内。ガタゴトという走行音と人の話し声が微かに聞こえる中、電車で揺られていると上着のポケットから着信音が鳴る。
 ごそごそとスマホを取り出し僕は思わず呟いた。
「凄いな、瀧西たちが言ってたとおりだ」
 僕はスマホの画面を、感心しながら見つめた。
 東国原からのメッセージだった。
『動画を拝見させてもらったよ。緋卜香ちゃんについて私なりの仮説を披露したい。明日にでもゆっくり話そう』
 瀧西たちの話だと、フィギュアの声が聞こえていた事と僕がアニ研の部室で失神した後、緋卜香が姿は見えないものの今のように実体化したという事実しか自分たちには分からないと言う。
 同じ情報を共有している東国原だってそれ以上の事はわからないはずだが、東国原ならば、と期待に満ちた目で「もっと深い話しが聞けるはず」と無茶振りにも思える事を、瀧西たちは口々に言っていたのだ。
 僕も期待に満ちた眼差しでスマホの画面を見つめた。
 東国原の仮説とは何だろう。期待は膨らむばかりだった。
 しかし、それは次の日も、その次の日も披露されることはなかった。
 東国原が学校を休んで一日目、SNSのメッセージには『今日は学校を休むことになった』二日目には『話が出来なくてすまない』とだけ東国原は送ってきた。
 僕をかばって負ってしまったケガは、そんなに酷かったのだろうか。
 二時間目が終わり、教室移動もない休み時間にぼんやりと考え事をしていると、一人の女子が僕の前に立った。
 はっきりした目鼻立ちに、ふくよかな唇。ふてくされたように多少唇が歪んで見えるという事以外に欠点が見当たらない可愛い顔立ちを、うつむいて前髪で隠している女子。瀧西だ。
「芦屋、部長からのメッセージ見たか?」
「ああ、すまないって……何日も学校を休むほどケガが酷かったのかな」
「それは、昨日のやつだろ、さっき届いたやつはまだ見てないんだな」
 言われて、僕はスマホを取り出した。
 授業中はマナーモードにしていたので気づかなかったが、確かに東国原から新しいメッセージが届いていた。
『今日の放課後、芦屋くんさえ良ければ、僕の家へ来て欲しいのだが、どうかな。ゆっくりと話がしたい』
 緋卜香が僕の肩越しからスマホの画面を見ているようだった。
「私も行きたいです」
 緋卜香の息遣いが僕の左耳をくすぐる。
 緋卜香も自分自身の事はよく分からないようで、何度か話を聞いたが要領を得ず、らちがあかなかった。
 そんな状況で東国原はどんな話を聞かせてくれるのだろうか……
「どうする?」
 自分のスマホを手にしながら瀧西がうながす。
『もちろん行く』
 僕はすぐに返信した。

 放課後、僕と緋卜香は道案内の南淵と一緒に、すぐに学校を出た。
 正門前の激坂を下って、僕がいつも通る登下校の道とは反対に曲がり、右手に山を見ながら道なりに進む。
 左手には田んぼと、その向こうに民家が見える。あくびが出るほど、のどかな眺めだ。
 ここは持久走のコースで、走れば学校から片道十分で下り坂が終わり、そこから折り返し、十五分かけて学校へ戻っていく。授業で何度となく走った事のある道だ。
 そんな見慣れた風景のゆるやかに下る坂道を、僕らは黙り込んで歩いていた。
 瀧西と北吉は何やら準備があるとかで別行動だった。それで僕と緋卜香は、以前行ったことがあるという南淵に連れられて、先に東国原のマンションに行く途中なのだ。
 二十分ほど歩いただろうか、行く先に小学校の校舎が見えてきたあたりで、そのゆるやかな坂道も終わる、ちょうどその時、南淵が口を開いた。
「この先の交差点を左に曲がって、もう少し行った所のマンションだ……」
 そして、変な間をおいて南淵が続けた。
「緋卜香ちゃんは、芦屋の家に連れて帰っているんだろう」
「ああ」
 そんなつもりはなかったが、僕のそっけないとも取れる返事に、あきらかに南淵が物足りなさそうな顔をしたのを見て、僕は慌てて話しを続けた。
「緋卜香が居てくれて助かってるよ。この間なんか晩飯を買いに出る元気も無くて、何か作れるか聞いたら、作った事ないって……まあ当然と言えば当然だろうけど、でもさ、インスタントラーメンなら作り方を知ってるって言うんだよ。それで、試しに買い置きしてあったやつで作ってもらったんだけど、コンビニの野菜サラダとか卵とか冷蔵庫の残り物だけで、ひと手間かけた、ちゃんとしたやつを作ってくれたんだ。驚いたよ」
 ふと見ると、南淵は自分が褒められたように誇らしげだった。
「教えたのって南淵だよね?僕と離れている間のことを、緋卜香が少し話してくれたよ」
 緋卜香の話は、まるでプライベートな日記を朗読しているような内容で、あまり要領を得ないものだったが、アニ研の面々に色んなことを教えてもらったという話の中でも、南淵の話は印象に残っていた。
「教えたと言うか、緋卜香ちゃんが俺のやってる事に興味を持ってくれたから、説明しながら作って見せただけだよ」
「南淵様のおかげで、みつる様に喜んでもらえて、私もとても嬉しかったです。ありがとうございました」
 僕の左側にいる緋卜香が弾んだ声で言った。
「緋卜香ちゃんが、何でも知りたがるのは、芦屋の為なんだな」
 南淵が僕越しに、緋卜香の声のする方を覗き込むように見つめた。
「はい。みつる様の幸せが、私の幸せなんです。色んなことを覚えて、もっと、もっと、みつる様を、幸せにしたいです」
 それを聞いて、南淵は何とも言えない表情をしていた。それはシスコンの兄の物に近いかもしれない。
 南淵が静かに近づいてきて、僕の右肩にドンとぶつかる。
 僕より背が高い南淵の顔を見上げると、頬骨の出た少し長めの顔に、睨むようなそれでいて懇願するような複雑な表情を浮かべて、僕を横目に見てきた。
 いつも、そして誰にでもそうだが、南淵は人と話す時、正面を向かない。
 横目で人の顔色をうかがうように見ながら会話をする癖があるようだ。
「おい、緋卜香ちゃんを幸せにしてやれよ」
 南淵の言葉に、僕が答えるより先に緋卜香が弾んだ声で答える。
「私、幸せになります」
 僕の上着の裾をつまんでついて来ていた緋卜香が、僕の左手を小さな手で、しっかりと握りしめてきた。
 もちろん僕だって緋卜香を幸せにしてやりたい。
 だが「どうやって幸せにするつもりだ、その自信がお前にあるのか」と、もし南淵に言われたらハッキリと答える事ができないだろう。
 この時の僕は、微かに苦笑いを浮かべていたに違い無かった。


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