第二章 混濁迷走 3
部室に着くなり強引に僕を椅子に座らせ、まるで取り調べをする場面のように瀧西が机を挟んで正面の椅子にどっかと座ると、スカートを気にする風もなく足を組み、僕の前にタブレットを差し出した。
そのタブレットで動画が再生された途端に、僕は絶句した。
「防犯カメラがあったのか!」
僕は心の中で叫んだが、実際にはぐうの音も出ない。
黙りこくった僕に「お茶をどうぞ」と、ちっこい男子生徒がペットボトルを差し出すが、僕はタブレットを凝視するしかなかった。
タブレットの画面はアニ研の出入り口の辺りを映し出していて、僕の姿がはっきりと映っていた。
エロロリ美少女フィギュアを置き捨てて、未練がましく立ち去る様子がリピート再生で、繰り返し流されている。
「もう、やめてくれ」
僕は絞り出すように言った。恥ずかしくて死にそうだった。
それに追い討ちをかけるように、ひょろりと背の高い男子生徒が美少女フィギュアを僕の目の前に置いた。
白い小袖に緋色の袴、髪はおかっぱボブで幼顔。僕がアニ研に置き去りにしたあの美少女フィギュアだ。
僕と目が合うように、きっちり正面を向けて置いてあるのがきつい。
気のせいだろうか、微笑んでいるはずの表情が何かを必死に訴えかけるように、少し曇って見えた。
そんな美少女フィギュアと見つめ合うような形にさせられてしまい、僕は居心地の悪い思いで目を泳がせていた。どうにも目のやりどころが見つからないのだ。
それは、その場にいる全員が何かを期待するような視線を僕に注いでいるように感じたからだった。
「お前らいったい、僕に何をさせたいんだ」
そう言おうとしたが声がかすれて言葉にならない。
「遠慮せずに飲めよ」
瀧西に促され、僕はペットボトルの半分ほどを一気に飲み、手の甲で口を拭いながらびくついた視線をあたりに巡らせた。
「そう警戒するなよ」
瀧西は言ったが、無理な話だった。
瀧西が僕の視線を追ってノッポとチビをちらりと見た。
「そう言えば自己紹介まだだったな。オレの事は知っていると思うけど、同じクラスの瀧西みはる」
瀧西が男みたいな口調で言う。
「こいつが北吉はじめ」
ペットボトルを持って来た、ちっこい男子生徒がペコリと頭を下げる。
「んで、こっちが南淵夏生」
ひょろりと背の高い男子生徒が、横目に僕を見ながら微かに頭を下げた。
「あと一人、三年生で部長の東国原先輩、この四人がアニ研の部員で芦屋が入ったら、部員は五人になるんだ」
ふふん、と鼻高に瀧西が言う。
分かっているさ、僕には拒否権などない事は。
がくりと項垂れるように、うなずいた。
「後は、部長が戻ってきたら話す予定なんだけど……」
そう言いながら出入り口の方へ向かうと、瀧西はドアから、上半身だけを外に出し、そのままの姿勢で外の様子をうかがった。
部室棟の外廊下は、真っ直ぐ中庭の方に向かって伸びていて、そちらから誰か来ればすぐに分かるようになっている。
しばらくすると、瀧西が声を上げた。
「あー、帰ってきた。部長!ダッシュ!ダッシュ!」
ほどなく階段を重い音で駆け上がる音がして、部長の東国原がばたばたと部室に入ってきた。
汗が浮いた顔を腕で拭いながら荒い息を整えると、東国原は机の上に置かれた美少女フィギュアと僕の顔色をうかがうように見てから、瀧西に視線を移した。
「どこまで話した?」
「まだ何も。部長を待ってたんですよ」
先程まで瀧西が座っていた椅子に、今度は東国原が腰掛けた。
「まずは、芦屋くん。アニ研への正式入部おめでとう」
僕の予想通り、あの偽造した入部届は顧問の橘に渡ったようだった。
「やっと芦屋くんをアニ研に迎えられて嬉しいよ」
そこまで言い終わると、人好きのするような笑顔を浮かべていた東国原が、急に真剣な顔つき変わった。
「これまで一人で悩んで辛かったろう、わかるよ。これからはここにいるみんなが味方だ、安心して自分の志を貫きたまえ。やむにやまれない事とはいえ、彼女を手放したのは間違った判断だよ。もうそんな間違いを繰り返さないでくれ。これからは我々と共に彼女を見守っていこうじゃないか」
東国原が愛おしそうに目の前の美少女フィギュアを見つめながら言った。
僕は話について行けず、しばらく呆けていた。
だが、もしかして僕は人形愛者の同類とでも思われているのだろうかと、はっとした。断じてそんな趣味はない。
「いや、違うんだ。僕は人形が好きなわけじゃないんだ」
僕は慌てて言ったが、見事に無視されて話しがあらぬ方向に進んでいく。
「安心しろ。もう自分に嘘をつかなくて良いんだ」
瀧西が、なぜか少し悲しげに呟いた。
「怖がらないで、もう大丈夫だから。誰も芦屋くんを責めたりしないよ」
北吉が腫れ物に触るように囁いた。
「クソみたいな奴らの目なんて気にするな。何にも分かっちゃいないくせに、何でも決めつけて否定したがるクソ野郎どもなんて、クソ喰らえだ」
南淵が唸るように吐き捨てた。
「まあまあ、みんな落ち着きたまえよ。それぞれ傷を負っているからこそ、芦屋くんの苦しみに共感するのは仕方がないが、一番苦しいのは彼だよ。こんな誰にも言えないような秘密を持つというのは本当に辛かったはずだ」
東国原の言葉に納得したのか、波が引くように瀧西達は口をつぐんだ。
そして東国原は皆んなに向けたのと同じ眼差しを僕にも向けてきた「何も言わなくても分かっているよ」そう言わんばかりの訳知り顔の眼差しだ。
僕の話なのに、肝心の僕を置いてけぼりにした会話をただ黙って聞いていた僕は、開いた口が塞がらず、ポカンとしてバカみたいな顔になっていたに違いない。
僕の、誰にも言えない秘密って何なんだ?美少女フィギュアを拾った事か?捨てた事か?だいたい彼女ってなんだ、美少女フィギュアの事か?
訳がわからない。わからないが何か酷い勘違いをされている事だけは分かった。
「僕はただ、これを君たちに押し付けたかっただけなんだ。すまない、謝るよ」
美少女フィギュアをアニ研に押しつけ、バックレようとした為に、このような事態になってしまった事を酷く後悔しながら言った。
そんな僕を見て、東国原は労るように微笑んだ。
「うんうん、もちろん分かっているさ。苦しみから開放されたかったんだよね、でもね、逃げちゃ駄目だ。どんなに逃げても、問題は何にも解決しないんだ、悲しいことにね。だから立ち向かわなくてはいけない、どんなに怖くても。でも安心して君は一人じゃない、私達がいるよ。絶対に見捨てない。助けてみせるよ」
東国原が少し前のめりになって僕を見つめる。
「それでなんだが……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
僕は思わず東国原の言葉を遮った。
東国原の何とも思い込みの激しい一方的な話を、これ以上聞いていられなかったのだ。
「悪いけど、何を言っているのか分からない。僕はべつに助けて欲しい事なんて何もないんだ」
ともすれば震え出しそうな声で言ったが、東国原はあっさり頭を横に振る。
「助けは必要だよ。特に……彼女にはね」
東国原は断固として言い張った。
何を言っても話が通じない。僕の知らない所で、自分を巻き込んで訳のわからない何かが進行している恐怖。
もう、何でもするから、ここから帰してくれと言う気持ちだった。
だが、このまま帰してくれそうにない事はひしひしと感じていた。