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第一章 共鳴振動 1

 アパートから見える線路沿いの道を、北に三十分程度、さらに激坂を数分登ると、僕の通う三山高校だ。
 すでに二年通い慣れた道だったが、足取りは重かった。
 今日は、留年して二度目の二年生が始まる初登校日なのだ。
 最初の二年生の三学期も終わりに近づいた頃、突然呼び出しをくらい、担任に退学か転校か留年かどれか選べと言われ、僕は留年を選んだ。
 自分で選んだのだから不満は無い。不満は無いが、心軽やかともいかないのだ。
 姉の大学上京を機に、僕一人を残し東京に引っ越してしまった両親にも連絡はしたが、相談ではなく、事後報告という形で留年を伝えた。
「留年するくらいなら、いい機会じゃない。あなたもこっちへ来なさい」
 当然のように母は言ったが、それが嫌で無理を言ってここに残ったのだ、素直に言う事を聞くはずも無い。
「どうしても、ここを離れたくないんだよ、友達だっているし」
 僕は言ったが、地元にそれほど思い入れなどないし、親しいと言える友達もいない。
「どうせ、一緒に暮らすって言っても喜びはしないくせに」
 と、口に出しそうになったが、口ごもった。
 気が重い。
 気が重い厄介事は色々あるが、目下の問題はリュックの中にある。
 歩きながら右肩にからっていたリュックをおろし、前に抱えて中を覗き込むと、朝に慌てて突っ込んだままの状態で、美少女フィギュアが入っている。
 乱暴に頭から突っ込んだため、足が上を向きあられもない姿を晒していた。
 どこまで細かく造り込んであるのだろう、緋色の袴の裾から覗く足も綺麗に塗装されていて、その奥でちらりと見える物までリアルに再現されているようだった。
 本当に困ったものを拾ってしまった。
「はーー」
 僕は口癖のような溜め息を吐いて、リックの中の美少女フィギュアを見つめた。
 親姉弟は一緒に暮らしていないが、僕は伯父のアパートに住まわせてもらっているので、これを見られるのはまずい。
 見つかったとしても、うるさい事を言う人ではないし、仕事であちこち飛び回っている人で、今も遠方に出張中だが、家に置いておくのは落ち着かなかった。
 何より、この厄介な代物の良い処分方法を思いつき、朝それを持って家を出たのだ。
「確か、うちの高校にもアニ研ってやつがあったはずだよな、隙を見て部室の前にでも置いてくれば、厄介事をひとつ減らす事ができるはず」
 願うように僕は呟いた。
 考えにふけりながら歩いていると、緩やかな傾斜から急勾配の坂に差しかかった。
 この激坂をしばらく登ると、右手にグラウンド越しの校舎が見えてくる。
 標高百二十三メートルの中腹にある、緑豊かと言えば聞こえは良いが、田舎の何もない退屈な高校だった。
「はーー」
 また溜め息。
 しかし、これは退屈を憂う溜息ではなかった。
 僕は退屈が嫌いじゃない。 
 惰眠をむさぼるヒナを守ってくれる殻のように、厄介事から守ってくれるのが退屈だ。
 選ぶ道を間違えさえしなければ、この退屈という殻に守られながら、うつらうつらと生きていける……はずだった。
 目の前の、のどかで僕にとっては残酷な風景をぼんやり眺めた。
 グラウンドを左から回り込んで校舎に入れば、三年生の昇降口。
 反対から回り込めば一年生と二年生の昇降口がある。
 校舎はグラウンドより高台に建っている為、どちらも坂道になっていた。
 見上げる様に別れ道に立ち、僕は迷いなく歩き始めた。
 退屈とは異なる道だと分かっていたが、僕に選択肢などはないのだ。
 二年通った右側の道を否応なく選んで、おっくうな足取りで校舎に入った。
 昇降口の壁にはクラス表が張り出してあった。
『二年一組、芦屋みつる』
 自分の名前を探し出し、クラスメイトの名前を流し見た後、教室へ向かった。
 クラブ活動をしていなかった僕は、後輩と関わる機会はあまりなく、顔を見れば、知った顔くらい居るかもしれないが、名前に見覚えのあるクラスメイトは居なかった。
 どこの教室も、新しい出会いでハイテンションになった生徒達の声が、廊下まで届いてくる。
 僕のクラスも、他と変わらないはしゃぎようだった。
 早々とクラスのSNSグループを作ったらしく、その話題で盛り上がっていた。
 その雰囲気を壊さないように、僕は後ろの扉からそっと教室に入ると、一番近い空いている席に座り存在感を消していた。
 だが、忖度という言葉は女子高生にはないのだろう、すぐさま目をつけられてしまった。
 廊下側、教室の後ろの方に座っていた僕に気づき、間にいる生徒越しにチラチラ視線を合わせてくるのは、教室のど真ん中を陣取っていた女子グループ六人のうちの一人だった。
「ねえ、あの人」
 派手な感じの女子が隣の女子に目配せする。
「そうだよね」
 目配せされた女子が答える。
「え、なになに?」
「ほら、あそこに座ってる人」
 一人が気づくと、波紋のように周りに異変が伝わっていく。
 女子グループの中で僕の存在が知れ渡り、次は行儀悪く教卓に片膝を立て座っている男子とその取り巻き、窓際で手当たりしだい女子に声をかけまくる奴、はしゃぐ雰囲気には興味なさ気に本を取り出して読み耽っていたはずの者まで、僕に探りを入れるような目を向けてきた。
 昇降口に張り出されていたクラス表に『留年生、芦屋みつる』と顔写真でも晒されていたのかと勘ぐるぐらい、教室にいるほとんどの生徒が、良くも悪くも僕を認知してくれているようだった。
 だか、遠巻きに様子をうかがうだけで、話しかけて来る者はいない。
 かまってちゃん気質のない僕は、内心ほっとしていた。
 元先輩のクラスメイトという、最初は物珍しさで気にはなるだろうが、すぐに忘れ去られるだろう。
 そうなれば、僕はもともと存在感の薄い奴だ、すぐにいつもの静かで退屈な高校生活が送れるはずだ。
 溢れそうになる溜め息を呑み込んだ。
 退屈で平穏な生活を守る為に、僕にはやらなければならない事があるのだ。

 その日、午前中で始業式は終わり、部活もせず生徒は帰宅という事になっていた。
 今日できたばかりの仲良しグループでそのまま何処かに遊びに行く者もいるようだったが、ほとんどの生徒はバラけて帰って行った。
 僕はというと、リュックからノートとペンを取り出し、大きめの文字で『もらって下さい』と書きなぐり、それを一枚ノートから切り取ると上着のポケットに捩じ込んで、他の生徒とは少し時間を置いてから教室を後にした。
 その足で、いったん昇降口まで戻り、靴を履いてから、本校舎と別棟の間にある中庭に出た。
 この中庭を突っ切れば、正門とは真逆、敷地の北端にある部室棟に着く。
 生徒は直ちに帰宅する事になっていたし、教師達は明日の入学式の準備で体育館に集っていたので、思った通り部室棟に人影はなかった。
 部室棟は二階建てで合計八部屋のプレハブが二棟あり、行き止まりの北の崖に沿うように並んで建っている。
 手前の部室棟の二階、階段から一番奥に、アニメ研究同好会とプレートが貼り付けられたドアがあった。
 僕はポケットに突っ込んだノートの切れ端をドアの前に置き、その上に重しのようにリュックから取り出した美少女フィギュアを置いた。
『もらって下さい』というメモを添えておけば、誰が置いていった物かと多少気味悪く思うだろうが、ちゃんと貰って大切にしてくれるに違いないと思った。
 人の形をした物を、ゴミとして捨るというのは、忍びないと思っての事だった。
「ごめんな」
 不安げな子猫を残していくように、後ろ髪を引かれながらその場を立ち去った。
 本物の子猫なら、ミャーミャーと鳴きながら僕の後を必死になって追いかけて来るだろうが、幼い面立ちをした美少女フィギュアは、当然だが物言わず僕を見送った。



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