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第三章 半醒半睡 2

 僕はふと思った。この小芝居を続ければどうなるのだろう。
「ねえ……もし、僕が望めば、君はずっと僕の側にいてくれるの?」
 僕の問に、緋卜香は静かに答えた。
「もちろんです。そうできたらどんなに幸せかわかりません」
 拾ったフィギュアが、可愛い女の子になってあらわれ、願いを叶えてくれる。そんなオタクが喜びそうな設定を考えたのは、やはり東国原だろうか。
 ばかばかしい……と、思った。
 だが同時に、僕はそれに付き合うのも悪くないと思った。
 東国原の影響を受けすぎたのかと、自分で自分を笑ったが、それでも今は彼女が僕のそばにいてくれるのならば……と、思ってしまったのだ。
「緋卜香」
 僕は思い切って呼んでみた。
「はい」
 よどみのない返事が帰ってくる。
 完璧に役になりきっているのだろうか……それならば僕がわがままを言ったら、どこまで付き合ってくれるのだろうか。
「それじゃあ、何も返してもらわなくていいよ。ずっと側にいてくれ」
 僕は勇気を振り絞って言ってみた。
 揶揄った相手が本気になってしまい、緋卜香が困ってやしないか、それどころか呆れて苦笑してはいないかと思うと、怖かった。
 僕が怯えて、ギュッと、目を閉じたままでいると、緋卜香の優しい声が答えた。
「はい。喜んで」
 その声に励まされるように、ゆっくりと目を開けた。
 だが、そこに緋卜香の姿は無かった。
 期待していた優しい笑顔がなかったのではない。
 言葉通り、そこに誰もいないのだ。
 緋卜香がいるべき空間を見つめるが、僕の視界にはその向こうの天井や照明が見えるだけだった。
「緋卜香」
「はい」
 呼びかけると返事は返って来るが、姿は見えない。影も形もない。
 だが人の気配がする、緋卜香の気配だ。 
 僕は気配のする方に手を伸ばしまさぐった。
 温かな人肌に指先が触れる。
 緋卜香の指先だった。
 絡め合うように握りしめた。
 それをじっと見つめる。
 緋卜香の手の感触はあるが、やはり見えない。
 不安を埋めるように、するすると緋卜香の腕を辿り、探り当てた肩を支えに、僕はベッドに上半身を起こした。
 途端、崩れ落ちて緋卜香の肩にもたれかかる。
 緋卜香は黙って僕の体を支えてくれた。
「緋卜香、君はそこにいるんだね?」
「はい、私はここにいます。みつる様のお側に」
 東国原達はフィギュアの声が聞こえると言っていた。それが僕にも聞こえるようになったというのだろうか。
 僕は辺りを見回したがあの美少女フィギュアは見当たらなかった。
 あるのは、しっかりと聞こえる声と、手の中にある確かな感触だった。
 掴んだ細い肩の感触。だが、それだけでは不安を抑えることができず、僕は緋卜香の体を引き寄せ、両腕で強く抱きしめた。
 僕の腕の中で、緋卜香の柔らかい胸の膨らみが、鼓動している。
 緋卜香の甘く香る髪が、さらりと僕の頬をくすぐる。
 こんな事ってあるのか……と思う。いやでも、これは……
 僕は、腕の中で緋卜香を充分に実感していた。 
「信じていただけたんですね」
 緋卜香が嬉しげに言った。
 姿は見ることが出来なくても、確かに、ここに存在しているのだ。
 なぜ?という疑問はあっても、それでも……
「こんなの、信じるしかないじゃないか」
 僕の言葉を聞くと安心したように緋卜香も僕を抱きしめた。
「信じていただけて嬉しいです。おそばに置いていただいてとてもとても嬉しいです」
「うん」と僕は緋卜香の胸の中でうなずいた。
 緋卜香がそばにいてくれると思うと、心底ほっとして、僕はなぜか幼い頃いつも側にいてくれた友達の事を思った。
 名前も顔も思い出せない、僕の友達。
 何も思い出せないくせに、頭から離れなかった懐かしい存在。その友達と久しぶりに会ったような奇妙な気分だった。
 そんな失くしたジグソーパズルのピースを見つけ、それがピタリとはまったような感覚だった。
「緋卜香、君は……」
 言いかけた時、廊下の扉がガタガタと揺れた。
 ヒソヒソと話す声が廊下の向こうから聞こえる。
 それを打ち消すように叱咤する声が響いた。
「あなた達、何をしているの。こんな所にたむろしないでちょうだい」
 突然、扉が開け放たれ、廊下から保健室へ、アニ研の部員がなだれ込んできた。
 東国原を先頭に、瀧西と南淵。北吉は、瀧西と南淵の間に挟まれ、窮屈そうに南淵に押されながら入って来た。
 最後に入ってきたのは保健医だ。
「ほら、あなた達どいてちょうだい」
 東国原達を部屋の隅に追いやり、保健医が僕のところへやって来る。
「芦屋くん、最近眠れてる?ぐっすり眠っていたから寝かせておいたけど、気分はどう?顔色がまだ良くないわね。いつもの頭痛が出ているなら、お薬飲んでおく?」
「はい、薬は持っているので、水だけ頂いてもいいですか」
 僕の言葉で保健医がきびすを返し、水を取りに行っている間に、僕は持ち歩いていた薬をズボンのポケットから取り出そうとしていた。
 ポケットの中には、薬と、昼にパンを買おうとした小銭が一緒に入っていて、薬を取り出した時に小銭が落ち、ベッドを転がり、いくつか床にばら撒いてしまった。
 それを緋卜香が拾い集め、僕に手渡してくれた時、ちょうど保健医がグラスに水を注いで持ってきてくれた。
 緋卜香に渡された小銭を僕がもたもたとポケットに戻し終わると、保健医は迷いなくグラスを僕に手渡した。
 その瞬間「あっ……」と、緋卜香が悲しげな声をあげた。
 緋卜香が保険医の持って来てくれたグラスを僕の代わりに受け取ろうとしたようだったが、見事に無視され、グラスは僕に渡されたのだ。
 保健医にも緋卜香の姿が見えていないのだ、当然の反応だった。
 それでも緋卜香は、かいがいしく僕の世話を焼きたがった。
 今度は、ぐらつく僕の体を片手で支えながら、もう片方の手で僕が掴んだグラスに手を添え、水を飲ませてくれようとしてくれる。
 だが、僕はそれが少し照れくさかった。
「自分で飲めるからいいよ、ありがとう」
 思わず口にした僕の言葉に、保健医は少しいぶかしげな表情をしていた。
「そうね、そうしてちょうだい」
 緋卜香に言った言葉を、保健医に言ったのだと勘違いされてしまったようだった。
 僕は少し動揺して、むせてしまった。
 グラスの水が波打ちこぼれて、胸元を濡らした。
「何か拭くものを……」
 と、緋卜香が言った。
「ちょっと待って、今タオルを持ってくるわ」
 保健医がすぐさまタオルを持ってきて僕の胸元に手を伸ばす。
 しかしその時「あの、私がやりますから」緋卜香がすかさず訴えると、保健医は驚いた顔で僕を見つめた。
「芦屋くん、さっきから声が裏返って女の子みたいよ」
 僕は思わず、緋卜香がいる方へと目をやり、慌てふためいた。
「そうですか?自分では気づきませんでした」
 保健医からもぎ取るようにタオルを強引に受け取り、僕はおおげさに咳ばらいをしながら言った。
 僕は失念していた。
 緋卜香は、僕の左側に寄り添っているが、保健医は一度としてそれに気を止める様子はなかった。
だが緋卜香の声には反応していた。
 緋卜香の姿は見えずとも、声だけは保健医に聞こえていたのだ。
 そういえば、緋卜香の声は誰にでも聞こえると東国原が言っていたじゃないか。
 東国原の言ったことは本当だった。
 嘘つきよばわりした事を酷く後悔しながら、その姿を探した。
 保健室を見回すと、すぐ目についたのは、頭一つぶん背が高い南淵だった。
 次に瀧西、そしてちびっこい北吉。その中心にいるのが東国原だ。
 東国原の視線をとらえようと試みるが、南淵たちが壁になって視線どころかその姿すらよく見えない。
 保健室の隅に集まり南淵たちと話し込んでいる東国原とやっとの事で目があったのは、しばらく経っての事だった。
 だが、東国原は微妙な笑顔を向けてくるだけの反応に僕は「ああ、そうか……」と思った。
 東国原に「出て行け」と言って保健室から追い出してしまった事を思い出し、僕も微妙な笑顔を返した。
 怖い思いをさせられたが、少なくとも東国原たちは嘘つきではなかったのに。あんな態度をとってしまった。
 話を取り合わなかった僕がいけなかったのかもしれない。東国原たちと、ちゃんと話しをしたい。
 いや、話しをしなければならない僕はそう思っていた。


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