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013■第三章 半醒半睡 6

 東国原の検証とはいったい何なのか、被験者となる緋卜香があからさまに不安げな態度で僕の胸にしがみついている。
 不安を少しでも和らげようと、僕は緋卜香の肩をぎゅっと抱きしめた。
 そんな僕らの不安をよそに、東国原は楽しげだ。
「なに、難しい事じゃないさ」
 言いながら、東国原はコロコロとチェアのキャスターを転がし勉強机とテーブルを往復した。
 戻って来た東国原の手には机の上にあった飴の袋が握られている。
 そして一粒、飴玉を袋からつまみ出し、前へ差し出す。
「緋卜香ちゃん、あーん」
 東国原の誘いに緋卜香が戸惑いながら、僕のそばを離れた。
「あーん」
 飴玉が、緋卜香の声とともに掻き消える。
 東国原の指を緋卜香が咥えたために、指先でつまんだ飴玉が見えなくなったという事だろう。
 僕と南淵は『つ』の形を作った東国原の人差し指と親指を見つめた。
「どうだい?」
 東国原が満面の笑顔で言うと、南淵が冷たく言い返した。
「何がです?部長がソレをやりたいだけですよね」
 緋卜香の口に指を突っ込んだままニヤついている東国原の手を、南淵がピシャリと叩いた。
 東国原は、緋卜香の口の中に飴玉を残し、慌てて手を引っ込める。
「違うよー。じゃあ、もう一回よく見ていてくれ」
「もういいですよ!」
 南淵が東国原から飴の袋を奪い取ると、それを僕の目の前でガサガサと振ってみせる。
「芦屋が、かわりにやればいい」
 南淵の顔色をうかがうと不機嫌そうに見えたが、僕はそれを見て見ぬふりをした。
「分かった」
 僕は南淵が差し出した袋から、一粒飴をつまみ上げた。
 そのやり取りを見ていた東国原が興味津々な眼差しを向けながら言った。
「芦屋くん、飴を緋卜香ちゃんの口に入れてみてくれ」
 僕はうなずき、そっと飴玉を差し出した。
「緋卜香、あーん」
「あぁーん」
 温かでぬるりとした感触が僕の指先を包み込んだ。緋卜香が飴玉をつまんだ僕の指を咥えたのだろう……その途端、さっきと同じように、やはり飴玉は目の前で掻き消えた。
 今、つまんだ飴玉と一緒に僕の指先は緋卜香の口の中にある。
 しかし、つまんだ飴玉だけが消え、僕の親指と人差し指は『つ』の形を作ったまま見えていた。
 飴玉をつまんでいる感触が指先にあるのに見えないという、奇妙な感覚だった。
「そのまま出してみてくれ」
 東国原に言われた通り指を緋卜香の口から引き出すと、飴玉がつまんだ感触通り、僕の指に挟まれてあらわれた。
「どうだい」
「はあ」
 東国原の問に、僕は曖昧な返事しかできなかった。
「緋卜香ちゃんの口の中に入れた物は、見えなくなるって事でしょ?」
 南淵が、分かりきった事をなぜ聞くのか、という態度を隠しもせず言った。
「南淵くん、正解だが……足りないね」
「んあぁ?」
 東国原に焦らされ、答えを早く言えとばかりに南淵は不満の声をもらした。
「芦屋くんは分かったみたいだね」
 東国原は期待するように僕を見た。
 確かに何となくではあったが、東国原が僕に何を言わせたいかは分かっていた。
 緋卜香の口の中に入った飴玉は消えたが、同じように口の中に突っ込んだ指先は消えなかった。という事は……
「同じ条件で消える物と消えない物があるって事だよね」
 東国原の欲しい答えを言うことが出来たらしい。彼の瞳に光がやどった。
「そう正解!緋卜香ちゃんの口に入れたものは消える。でも口の中にある飴玉は消えるのに、同じように口の中にある指先は消えずに見えていた。では、その違いはなぜ起きたと思う?」
 東国原は期待をあらわにし、チェアから身を乗り出さんばかりに聞いてきたが、今度はすぐに答えが出なかった。
 僕は考えを巡らせながら、手にしていた飴玉を無意識に自分の口に放り込んだ。
 すると、南淵が不機嫌にドスンと座り直し、飴玉を、無造作につかみ出すと口に咥え、飴の入った袋を東国原に返した。
 東国原も苦笑いをしながら飴玉をほおばり、僕たち四人は、口の中の飴玉を無言でしゃぶった。
 飴玉が溶けて無くなるくらいの時間をかけて考えたあげく、僕は緋卜香に頼み事をした。
「緋卜香、僕を覆い隠すように抱きしめてみてくれ」
「はい」
 緋卜香は、僕の言う通りにしてくれた。
 僕は緋卜香の腕の中で、身をすぼめながら聞いた。
「どうかな?」
 何となく閃いた問の答えを実践してみせたのだ。
 僕の閃きが正しければ、飴玉やリュックのように僕の体も消えて見えなくなるはずだった。
「イチャついてる奴を見てムカつく」
 南淵はテーブルに肘をつき、仏頂面でこちらを見ていた。
 東国原は力なく笑っている。
 僕の思惑は、見事に外れてしまったようだった。
 緋卜香がその気になりさえすれば、いつでもチカラを使えるんじゃないか。だからその気にさせれば良い……それが僕の出した答えだった。
「緋卜香に覆い隠してもらえば、リュックと同じように消えると思ったけど、違ったみたいだ」
 僕が落胆していると、東国原が横に頭を振った。
「いや、正解だよ芦屋くん。ただ頼み方が違うんだ。それじゃ、ただイチャついているだけだよ」
 僕は、ただイチャついているだけという言いがかりとも思える指摘を聞き流し、今度はもっと簡単に分かりやすく言い方を変えてみた。
「緋卜香、僕を隠してくれ」
「はい」
 小袖で僕を囲い込むように緋卜香が僕を抱きしめた途端、南淵が突然目を見開いて、テーブルに身を乗り出した。
 飴玉やリュックと同じ現象だが、人ひとりが消えるとなれば、このような反応になるだろう。
「僕は今、消えている……のか」
 僕が半信半疑に聞いてみると、食い気味に東国原が返答した。
「ああ、見事に消えているよ。素晴らしい」
 東国原は、自分の予測通りだとでも言うように一見冷静な様子に見えたが、チェアのアームが力いっぱい握られ、僕と緋卜香がいるべき空間からけして目を離そうとはしない。
「芦屋くん正解だよ、飴玉を口の中に隠す、リュックを袖で隠す、芦屋くんを体の影に隠す、とにかく隠すという緋卜香ちゃんの行為と意思……と言うか、思い込みと言うべきか、その行為と思い込みが必要なんだよ。だから指示は明確に、目的が抱きしめるではなく、隠す、でなくてはならなかった」
 東国原は少し興奮したように言ったが、自分を落ち着かせるように、ひとつ大きく息を吸ってから話を続けた。
「ここからが僕の仮説なんだが、緋卜香ちゃんの能力は物を消すのではなく、見えないと思い込ませる能力だと言う事だ」
「思い込ませる?」
 僕は言葉の意味を探るように呟いた。
「そう、実際は見えているのに、相手に見えないと思い込ませる能力だと仮説を立てた。だから芦屋くんは、緋卜香ちゃんなりのやり方で単純に隠されている状態で、おそらく私たちは今、その隠されている状態の芦屋くんを見ているはずだけど、それを認識できない、見えないと思い込まされている」
「どっちにしろ同じことでしょ」
 南淵が焦れたように言った。
「違うよ。全然ね。もし緋卜香ちゃんの能力が、物質を消すという類の途方もないものだったら、能力を使う時にどれだけのエネルギーが必要か予想もつかない。そんな能力を気軽に使っていたら、あっという間にエネルギー切れになってしまうよ。だがそんな事にはなっていない。ということは緋卜香ちゃんの能力は消すではなく、ただ単に思い込ませるという能力だと仮説が立つ」
 消すのではなく、ただ見えないと思い込ませるだけという東国原の考えは、間違っていないと思った。
 今、実際に体験している僕の感覚と同じだったからだ。
 南淵たちの反応以外に、僕は消えたという実感がまったくなかった。
 東国原たちからは見えていない様だが、自分の両手は見える。
 肩、胸、腹、足、僕はちゃんと自分の存在を目で見て触って自覚できている。
 周りが歪んだり色あせて見えたりと言う事もない。
 テーブルに触れてみたが、ちゃんと触れる事もできる。
 何か特別変わった事は、何も起きていなかった。
 ただ緋卜香に、腕の中で覆い隠されているだけなのだ。
 抱きしめてくれと言った時と何ら変わらない。変わるのは、抱きしめているという行為か隠しているという行為かの、緋卜香の思い込みの違いだけだった。
「芦屋、そこにいるんだよな」
 南淵が恐る恐る口にした。
「いるよ」
 僕の声がする場所に南淵が手を伸ばす。僕は躊躇せず南淵の手を取った。
 やはり普通に、触れることも触れられることもできた。
 不意に南淵の手に力がこもる。
 ぐいっと手を引っ張られ、僕は緋卜香の腕の中から強引に引っぱり出された。
 その瞬間、東国原たち二人の緊張が緩んだ。
「人が出たり消えたり、まのあたりにすると凄いな」
 東国原が感心したように僕をまじまじと見つめた。
 南淵も緊張がとけ、ほっと一息ついていたが、ふいに「それじゃあ……」と、目を輝かせた。
「もしかして、緋卜香ちゃんの姿も見えるようになるって事じゃないか、そうだろ?」
 僕も同じように思った素朴な疑問を、南淵が口にした。
 緋卜香自身の能力で姿を消しているのなら、それを解除すればよいのではないか。簡単な事のように思えたのだ。


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