安楽死問題

某病を患う女性に対して、施された安楽死。何故、医師達が責められなければならないのかが、良く分からない。女性の希望だったのだ。ちゃんと意思の表明証拠(ツイッターだっけ?)だって残されている。だったらそれでいいのではないか?

医師の1人が、安楽死を肯定するようなブログを書いていたとして、問題視されているようであるけど、信用できる、ちゃんとしていると、わたしは思う。判断した。やたら「治る」だの、「生きましょう」だの、「頑張りましょう。もう少しですよ」などと、お決まり台詞を吐く医師より、ずっといいのではあるまいか?良く「(この病の)5年生存率」などというけど、5年程度の延命が、何だというのであろう?「数年前に比べ、これだけ向上した」なんての聞くと、ぞっとする。副作用などで却って、余計に苦しんでいるのではなかろうかと、遂、考えてしまうのだ。

故・作家の遠藤周作さんが、このような問題を非常に憂いしておられ、ご自身の最期も、安楽死に近かった。「穏やかな顔になった」夫人も言わている。手塚治虫の「ブラック・ジャック」(「君たちはどう生きるか」と共に、わたしの愛読書。永遠の愛読書だ)に、ドクター・キリコと言う登場人物が出て来るが、彼の死生観。安楽死肯定の経験を知った時、瞬時にわたしも頷いた。

やたら「長生き」。蕎麦みたいに「細く、長く」がいいとされ、かつては引っ越しの挨拶に、蕎麦を配る習慣があった我が国・日本。そんなに「生きる」のがいいのか?様々な理由で、ぐちゃぐちゃになぅてすら「夕日を見て、希望を」だの「死」を否定する国・日本。個人的見解だが、そろそろ安楽死を肯定。とまではゆかなくても「否定しない」社会ができればと望んでいる。

〇本人の 希望に沿いたい 安楽死<川柳 なかむら>




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