多様化と「安楽死問題」

現在の法律。
日本の法律では、例え本人の希望。本人の希望によって、医師が安楽死をさせたとしても、犯罪。確実な罪との見解が、なされている。
「医師は、患者を救うべき」
救えない=ヤブ医者とされるからだ。余談だが、本当にそういう姓字の医者・藪先生がいたらしい。
多様化の時代におかしかろう。死。最期をどのようにして迎えるか=個人の選択である。

かつて、話題となった事例。
ニュースで流れ、物議を醸し出しもした、安楽死。某病を患う女性に対し、医師が安楽死をさせた。2人の医師である。
何故、彼らが責められなければならないのか?
患者自らの希望である。ちゃんと意思表示の表明証拠(ツイッター?)だって残されている。ならばいい。医者が責められる必要など、何もない。

医師の1人が、安楽死を肯定するようなブログを書いていたとして、問題視されていたけど、信用できる。ちゃんとしていると、わたしは判断。
やたら「治る」だの、「生きましょう」だの。
「頑張りましょう。もう少しですよ」。
お決まり台詞を吐く医師より、ずっといいのではあるまいか?

良く聞く「(この病の)5年生存率」
が、5年程度の延命が、何だというのか?
「数年前に比べ、これだけ向上した」
ぞっとする。副作用などで却って、余計に苦しんでいるのではなかろうかと、考えてしまう。
故・作家の遠藤周作さんが、非常に憂いしておられた。ご自身の最期も、安楽死に近かった。
何本ものチューブに繋がれ、浮腫(むく)みきっていた顔が、チューブが外され最後には「穏やかな顔になった」故・夫人も言わている。

手塚治虫の「ブラック・ジャック」。
「君たちはどう生きるか」と共に、わたしの愛読書。永遠の愛読書だが、ドクター・キリコ。ジャックのライバルの医師・キリコの彼の死生観。安楽死肯定の経験を知った時、瞬時にわたしも頷いた。

戦時中、キリコは軍医だった。重症患者が毎日、運ばれてきた。
が、戦争の中では、ロクな医療器具もない。その間にも患者の症状は重くなる。じわり、じわりと重くなるのに患者はやがて懇願する。
「殺して下さい、お願いですから、先生」と。
だから望みを叶えてやった。安楽死をさせていた。
息を引き取りつつ、「ありがとう、ありがとうございます」
穏やかな表情で、多くの患者が最後に述べて逝ったのだ。

見解までの経緯である。
やたら「長生き」。「細く、長く」蕎麦の如くがいいとされ、かつては引っ越しの挨拶に、配る習慣があった・日本。

そんなに「生きる」のがいいのか?
様々な理由で、ぐちゃぐちゃになってですら「夕日を見て、希望を」。「死」を否定する国・日本。
個人的見解だが、そろそろ安楽死を「肯定」。とまではゆかなくても「否定しない」社会ができればと望んでいる。
多様化、の1つだ。






〇本人の 希望に沿いたい 安楽死

      <川柳 なかむら>

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