昭和初期・山の手・学習院~「仮面の告白」(三島由紀夫著/新潮社刊)

新潮文庫に入っている。三島の代表にして、自叙伝作品。
書き下ろし作品にして、既に巧(うま)さ。題名をつける巧(たく)みさが光る。「仮面の告白」
20代前半にして、この題名が思い浮かぶ才能をまずは特筆しよう。「読みたい」思わせる題名だ。

「玄人はだし」「天才」。
素人世界で言われていても、プロとしてやっていけるかどうかは、別である。
「プロ」=職業作家。
原稿を書いて生活の糧を得、税金を払い、又、生活必需品を買う。主食やら副菜。パンにおやつにチョコレート。時に飴玉も欲すれば、医療費も必要となる。そういうものを自分の筆力だけで賄えるのが「プロ」である。
学習院の中等科・文芸部に在籍していた頃から「天才」。
21歳でデビューを果たしはしたものの、生活の不安から「昼は役人、夜は作家」。2重生活を送っていた日々から開放。三島由紀夫を「プロ」とした「~告白」は作品でもある。

大正の終幕、昭和とともに生まれ育った一人の子供の物語。
「男の子の遊びは一切禁止」
溺愛し、神経から来る病気持ちであった祖母の考えと、後の三島の嗜好を結びつける研究者は多い。
「大きくなったら、陸軍大将」
「お國の為に」雰囲気が蔓延してる時代において、あり得ないような育ち。
マトモに育つのが不思議なぐらいの背景に、「憂いていた」。
父親の回想録にある。
外出ひとつを巡って、本当に両親と公ちゃん(本名・平岡公威<きみたけ>)、大きな坊や(夫婦間での三島の呼称。さしずめ「お兄ちゃん」か?弟さんは「小さな坊や」だ)に期待をかけて溺愛する祖母とは、毎回、言い争いがあったという。残念ながら、大敵、両親は負けてしまうのだが。

祖母にとっての三島=初孫であり、期待の星。
自分の言う事なら何でもハイハイと聞く、お気に入りの孫・初孫。
母にとっての三島=とにかく気の合う、大好きな子・長男坊。あんな姑と自分の間を、巧く行き来し気を使う、天使の化身のような子供。
父親にとっての三品=イマイチ理解できない子供。
頭はいいがそれだけだ。あんな母(三島にとって祖母)に気に入られ、育てられ、一体どうなってしまうんだろう。
「離したくない孫」「離れたくない長男」
姑対嫁の壮絶なものは常々であったが、どうこうしたってこの姑に勝てる相手はいなかった。
学校行事一つでも、三島の意志より「おばあさま」の意向である。
「13才の私には、62歳の深い情人がいたのだ」
印象的な一行だ。

「13歳であった」から始る第2章で、祖母に代わって出て来るのが近江。恋をした。色濃くなってゆく戦争。ほのかに抱く友達の妹への感情。

「君」ではなく「貴様」
雅やが流れにある反面、非常に武士的。古武道精神を重んじていた戦前の学習院において、「~なのよ」「~かしら」なんて言葉を使う子であった三島は、当然、いじめられてもいた。けど、公ちゃんにはご本があり、文章を綴る楽しさがあった。
「いじめられようと、ご本がある」
「文綴りでは、誰より凄く勝てるもんねぇ」
「ほめられた事」
初等科2年生の時に書いた作文が、今でも残っているけれど
「遠足に行った時の作文が良く書けたと褒められた」
2つめに挙げている。

文芸部で自信をつけたのか、中等科からは学年でもトップクラスの成績だが、初等科時代はクラスでもトントン。中の上だったらしい。

戦前の山の手。
恵まれた環境に育ったいじめられっ子が、人より勝つすべを見つける物語。
独自の香り。山の手が、本当に山の手であった頃。
大正14年に産まれた三島は、そのまま昭和と共に生きた。
単なる自伝以上に物語。
「いじめられっこのチャンピョンベルト」
ではないけれど、近しいものを感じ得ずにはいられない。
                          <了>

#読書の秋2022

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