目出度き表札<掌小説>
余りいい気持ではない。
本音を言えば、穏やかではない。フクザツな気分だ。
一言ぐらい、何とか言うのが礼儀だろう。
夫に言っても、取り合わない。
「ああ」だけで終わる。
息子に言っても、
「いいんじゃね?」以上である。
娘ときたら、
「すごいよねぇ~っ。流石はウチ」だの、「どっかから取材が、来るんじゃない?」だの。
真面目に聞いているとは、思われない。
四六時中、表札の横で写真を撮られる。
「縁起がいい」だの、「目出度いじゃん!」だの、どうも噂が飛び交うらしい。
「お陰で、息子の病気が治った」
「まずかった娘との関係が、良くなった」
お礼に、ご近所さんからちょいとした物を頂くのは嬉しいけれど、何故、一言も
ないのかを思うと、時々、無性に腹が立つ。
知らない人は、お礼の品さえないのが現状だ。
姓字(みよじ)だけ、夫の氏名だけでも本当は良かろう。
全員の名を表札にするから、こうなった、とも言えるのだ。
富士織 山
櫻
寿一
歩実
住宅街でこんな表札があれば、やはりとなるのだろうか。
富士織は「ふじおり」
山は「たかし」 櫻は「さくら」 寿一は「としかず」 歩実は「あゆみ」
さながら春爛漫だ。
知らない間に「あの家の表札を囲んで写真を撮ると、良いことが起こる」。
写真の聖地、となったのだ。
日曜日。
例によって、外で声が聞こえる。うるさくってしょうがない。
「何とかならないかしら?」
呟いたわたしに、新聞を読んでいた夫が提案した。
「<撮影料>をウチも取るか。富士山だって、<入山料>を取るっていうし」
「2千円だろ」
デート支度に忙しい、息子が重ねて言う。
「8千円にしようぜ、だったらウチは」
「高くない?」
コーヒー片手に欠伸をしながら、娘が聞く。
涼しい顔で答えたのは夫だ。
「いいじゃん。4人家族だから、1人あたり2千円ジャストで!」
「そうだよ。なっ。そうすりゃ元祖・富士山(ふじさん)に辿り着くじゃん、
富士山(ふじたかし)さん!」
バタバタと息子は、玄関を後にした。
<了>