[蒼生 No10.]
そりゃあ、夜空を一気に輝かせて、見上げる沢山の笑顔を照らす打ち上げ花火は素晴らしいですよ。でも、大切な数人の笑顔だけを闇から浮かび上がらせる手持ち花火だってだいぶ素敵だと思うんですよね。
見上げるにせよ、見下ろすにせよ、眩いほど闇夜が色付くあのスペシャル感は変わらないのですよ、結局のところ。
今回、花火を取り上げましたが、これって、コロナ自粛の状況下のいろんな事にあてはめることができてしまうと僕は考えています。
例えば、外食が好きな人は有名店のお取り寄せを試してみるのも良いでしょうし、旅行が好きな人は次の候補地の情報を漁りまくるのも良いでしょう、スポーツ、音楽、スタジアム観戦が好きな人なんかは、それに近づけるべく、自宅の視聴環境を整えてしまうなんて方法もアリかと思います。
つまり、感染症は、社会の大きな単位のイベントは易々と取り上げてしまうけれど、家族のような小さな単位での楽しみ方までは手出しできないのです。
すると、今回のようなケースで突き付けられる自粛とは、おしなべて、我慢する事なんかではなく、小さいスケールに置き替えて違う視点から楽しむ。ってことなのだと思うんです。
繰り返します、我慢して暮らすのではなく、置き替えて暮らそうよ。ってことなのです。
まあ、でも、花火に関しては、「今日は夕方から雨が降るっていってるけど、どうかなぁ」あのソワソワ感や、「食べログ3.8より、こっちのがうまいんじゃね」事実か錯覚かわからぬ屋台のあの味たちや、「あーあ、今年の夏もこれで終わったな、また来年だ、、、」一年またがんばります。の決意表明でもあるフレーズ。
これらの喪失感は大きく、置き替えられるものはないですね。
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