自分の考えで生きる。
あの人に認められたい。
あの人に褒められたい。
今ではSNSが発達し、多くの人がインスタグラムやtwitter、フェイスブックなどのSNSツールを利用し、自分の近況報告や考えを気軽に発信することができる。
そのおかげでいろんな人と繋がることができ、さらに自分の興味のある分野に気軽に繋がることができるようになった。
僕ら20代、いわばスマホ世代にとってSNSは三種の神器に近いほど欠かさないものになっている。
いろんな人のインスタやtwitterを見て、感度が良かったものに『いいね!』をしたり、また今では『インスタ映え』という言葉が商業に大きく貢献をもたらすなど、多くの人から『いいね!』を押してもらうために、おしゃれな場所、ご飯を訪れる(インスタグラマー)人まで多く存在する。
要は、自らの承認欲求を満たすためにこれらのSNSツールは現代社会において欠かせない存在になった。
はじめに書いた、
あの人に認められたい。
あの人に褒められたい。
SNSツールが人気な理由は、これらの承認欲求が大きく人々の心に存在しているということが根本にある。
現代社会の表れがSNSの需要から読み取れるということが理解できる。
簡潔に言えば、多くの人は人の目を気にしながら生きているということではないのかと僕は解釈をしている。
多くの人に注目されたい。有名になりたい。
人と人が生きる社会において、こう思うのは誰しも当然だとも僕は思う。
しかし、考えて見て欲しい。
僕らは他人の評価によって価値が決定されるのか??
いや、違う。一人一人生きる道は違い、そして、考えや価値観は人の数だけ存在する。
要は十人十色であって、人それぞれ色が違う。
なのに、人は誰かと一緒であることが安心感を抱く。
服で考えるとわかりやすい。
有名人がプロデュースした服、もしくは愛用している商品はバカ売れし、流行る。
だから、アパレルブランドは芸能人とコラボした商品を次々と出荷する。
そうすることで売り上げが上がるからだ。
人は単純であることを読み取ることができる。
人と違うことに違和感を抱き、自分の考えが孤立していると間違っていると解釈してしまう。
そうすることで、いつのまにか自分の考え、価値観を放棄する人が多くなってしまった。
先ほども述べたが、僕らは人それぞれ価値観や考え方は似ていても、全く同じ人は存在しない。
自分の考えや価値観が他人と一致しなかった時に自分に違和感を感じること自体が間違っているということ。
人と違う道を進むことが変わったことだと捉えることが間違っているということ。
自分のしたいことをする、自分の考えで道を進むことはなんらおかしいということではなく、全くもって正常なんだということを理解してもらいたい。
僕自身、高校卒業後の進路は親が飲食店を経営していることから飲食業に進もうと考えた時もあった。
それは、自分のしたいことでもなく、ただ親を安心させるためでしかなかった。
要は、誰かに認められたいという承認欲求だ。
でも、僕はサッカーが諦めきれなかった。
だから、自分の進みたいサッカーの道を選んだ。
本当にそうして正解だったと今でもこれから先も思うだろう。
自分で自分自身の人生を決めたことを今でもとても満足している。
逆にあの時、飲食の道に進んでいたら、今でも絶対に後悔していただろう。
僕らは、誰かからの評価で価値が決まるのではない。
自分の価値というものは自分で評価するものである。
自己満でいい。人生はシンプルであって、僕らは自分のために生き、自分の人生しか歩むことができない。
他人に人生を決められる権利はない。
自分自身に決定権があり、それを誰かに支配される権限はないのだ。
誰かと違うのは当たり前。
人と意見が一致しないのも当たり前。
人と違う生き方がしたいと思うのも当然である。
自らの発想を信じ、自分の思うように生きる。
そうすればもっと人生はおもしろく、もっと肩が軽くなる。
自分の五感を信じて生きよう。
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