近江俊秀『海から読み解く日本古代史-太平洋の海上交通-』2020 を読んで
10月に入り、サツマイモの収穫を急いでいた折、考古学の師匠から今年も新刊が届きまして。
近江俊秀『海から読み解く日本古代史-太平洋の海上交通-』2020 朝日新聞出版 を読む機会を頂きました。
師匠の文化庁業務は多忙を極めているはずなのに、こうもコンスタントに新刊が刊行されるのには、いつもながら驚かされます。
「平城京」をはじめ、畿内の文化財に精通する著名な研究者だったのは昔の話、
スピード狂のような日常業務のかたわら、今は「日本古代交通史」の数少ない権威として、精力的に研究を進められているようです。
今回の新刊は、今までの陸地の「古道」から、海上の「古道」に視点を移され分析されています。
目次は、
・はじめに
・第1章 海辺の町で見つかった南北交流の痕跡--石巻の遺跡
・第2章 海の道を探る手がかり--文献史料からのアプローチ
・第3章 太平洋航路を復元する--寄港地はどこか
・第4章 蝦夷戦争と海上交通--軍事利用された海の道
・第5章 太平洋を行き交う人々--七世紀の太平洋航路と担い手たち
・終 章 太平洋から見た日本古代史
・おわりに
根本的に資料の少ない古代の海の道、いわゆる航路について、ルート(経路)があったことを言うのは簡単なのですが、
これを様々な時間軸で歴史的に位置付ける作業は本当に難しいのだと感じる、そんな書籍です。
そして、その古代の海の道を探り、復元するための丁寧な工程と作業の提示には、広い見識と洞察の必要性が感じられるとともに、
その発想と基本ロジックがあれば、今までに分析、蓄積されてきた情報から、改めて新しい知見が得られる可能性を示唆しています。
今回の分析では、著者の若き日の必然的な体験(高校生での発掘参加)や、震災後の故郷での出会いを契機に、停滞している東北の太平洋航路の研究に取り組まれた流れは興味深く、研究の導入部と言うことでしょうか、著者の数多くの仮説や視点は、これからの古代海道研究の一層の発展に寄与していると感じました。
今回も見どころを、と思い読み進めたのですが、今回ばかりはなかなか強弱が見当たらず、終始エンジン全開のまま、要所要点が盛りだくさんとなっていました。
特に、第1章から第4章までの各章のコラムは面白く、造船技術や海賊の出現、水中遺跡などへの示唆するところも多いのです。
また、おそらく不思議な感覚になるのは、この書籍の読者がどのエリアに住んでいるか、によって注目する箇所が変わってくるところでしょうか。
例えば、私は兵庫県の沿岸部よりも若干内陸部に居住していますが、兵庫県の瀬戸内海沿岸から日本海沿岸までの縦断の距離感(100㎞ほど)などは感覚的には分かるものの、
岩手県の太平洋沿岸から秋田県の日本海沿岸までの横断の距離感(200㎞ほど)は全く分からず、ましてや太平洋沿岸や日本海沿岸の北上南下の距離感は計り知ることさえできないのです。
つまり、西日本の人間の感覚をもって、遠く北日本への海路に思いをはせるのか、東日本の人間の感覚をもって、太平洋および日本海近海の海路に思考をめぐらすのか、少々異なって受け取るような感じもしました。
その意味では、著者の分析では、様々な障壁を除去して、複雑な歴史的背景や地理的構造、時間軸に対して、どのように考慮しながら紐解いていくかを示唆していると思われます。
それらは各章で述べられていますが、一例として、P184~186の第5章内の「日本海の比羅夫と太平洋の武射氏」の節に見られるように、様々な要素を丁寧に復元構築していく作業などです。
ただ、研究の対象上、検討される要素が広く多いために、言及が多岐に渡り、読み進むほどに少々全体の把握と流れがつかみにくい構造なので、できれば著者ご本人によるさらなる解説が望まれるところであります。現代風にいうと、YouTubeなどでの解説動画があってほしいというところでしょうか(笑)。
著者である近江氏を上司に、いろいろと助けて頂いた日々はもうかれこれ15年以上前のこととなりますが、それ以降、同じような上司には出会わなかったことを考えても、本当に若い頃の出会いは大切だと思い返すものです。
急速な少子高齢化の進む地域に住み、ある意味の国防として農地を守る身の私としては、今はもう地域の発展よりも、地域の選択と集束でいかに効率的に国防できるかに視点が変わっているのですが、そこへ「歴史文化」がどのように関われるのか、「変化の結果が歴史である」ことを紡いでいけるか、あまりないであろう時間を気にしながら、今日も娘とトマトの世話して過ごしています。
そんな日々の中でも、研究成果を拝見する機会を与えてくれる元上司に感謝申し上げます。
(心肺停止からの復活後、最初のトマトがもうすぐ出来上がります)