『革靴』
覚えているのは玄関先で、
いつも父が靴ベラを使っていたこと。
ウチの家は父と母が八百屋を切り盛りしていて、子供の僕と1つ下の弟はその背中を見て育った。ハッキリ言うとウチの八百屋は汚い、表に並んだ商品は綺麗だと思う、けれど裏に回れば古くなって切り落とした大根の頭や、虫に喰われてむしり取られた白菜の皮や、段ボールの端っこで腐っていたミカン等が床一面にあちらこちらと投げ捨てられていた。いつか遠足で行った動物園の象の檻の中のソレを見た時に、ウチの方が汚いなと子供心に思った。30年程前の話だ。
そんな環境のウチだが、週末になれば綺麗な服を着させられて家族でよく外食に出掛けた。そんな時に玄関先で父が慣れない革靴を履くのに、よく靴ベラを使っていた。立ち仕事でパンパンにむくんだ足に革靴はなかなか言うことを訊いてくれない。父は苦戦しながらも靴ベラをこねくり回して何とか足を収めて、最後に爪先をいつも左右2回づつトントンと鳴らしていた。それを出発の合図として僕らも父に続いて靴を履いていった、そんな光景を思い出す。
時は過ぎ、父はもうあの頃の様に革靴を履かなくなった。77歳の父は少しボケてはいるがまだ元気だ。そして毎日の散歩はスニーカーを履いている。いつもの朝に父を散歩に送り出す時、さすがにスニーカーで靴ベラは使わないけれど、最後に爪先を左右2回づつトントンと鳴らす癖はちゃんと残っていた。
追伸
去年の2023/05.20日に脳梗塞で父は亡くなりました。生きていれば78歳の誕生日を迎える直前の出来事でした。
とても悲しかったけれど、母は生きる力が抜けた様で茫然自失、必然と僕は長男なので、喪主を引き受け、当日はバタバタと葬儀の段取りやら入院していた病院への支払い等に追われ、父の死を悲しむ間もなく、あっという間のお別れでした。
それから時間がずいぶんと経ってしまった。
今日、父があの日火葬された斎場にもう一度行って来ました。
今って納骨の際に持って帰れる骨はとっても少ないのね、ホントに少しだけ、喉仏の辺りの骨だけなの。そして、その骨はちゃんと一族の入っているお寺に納骨しました。
ただ、残りの骨は、その斎場の裏にある合同墓地に他の方の遺骨と共に埋葬されますって、当日に確か説明を受けた気がする。
そして、それっきり一度も足を運んでいなかったんです。
その合同墓地に父に久しぶりに会いに行く気分で行って来ました。
とても静かで大きな池の真ん中に、台座の様なスペースがあり、そこにドスンと白くて丸い大きな石が鎮座していました。
そうか、父の踵はここに眠っているのか。
そんな事を思い、目を瞑り手を合わせ、近況報告を済ませました。
不思議と寂しい気持ちにはなりませんでした。ここへ来た本当の理由は、僕が父の死をキチンと受け入れる為の儀式の様なモノだったのかも知れません、最寄りの駅に歩いて向かう道中、父が出掛ける前にしていた、あの儀式を思い出し、おもわず笑みが零れました。
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最後まで読んで頂き、
有難うございますm(_ _)m
感謝。