yama - 血流 〜僕の好きなところと、『奇跡の色』の正体についての考察
バックバンドを携えることなく、たった一つの歌声から始まるイントロ。それはわずか数秒ながらこの楽曲を再生した人の心を掴んで離さない。
去年の9月終わりにこの記事のタイトルにもある『血流』がyoutubeで公開されたとき、落ち着きながらも力強さを秘めたyamaの声と、それに追従するリリースカットされたドライなピアノの響きに、僕は一瞬で楽曲の世界に引きずり込まれ魅了されてしまった。
それから去年の終わり頃までかなりヘビロテした曲(なんなら今でもよく聴く)であり、せっかくなので歌詞の考察や、この曲のどういうところが自分に響いたのかというのを音楽的な面や歌詞の特徴から解説できたらなと思い、今更ながらこの記事を書くことにした。
イントロと、この曲の歌詞の特徴
冒頭に書いた通り、イントロはyamaの歌から始まる。「歌入りまでの時間をなるべく短くする」という近年の流行にハマる形だ。この傾向は音楽配信形態としてストリーミング配信が増えたことにより、インストのみのイントロが長いとスキップされて歌を聞いてもらえないなどの理由があるらしい。
このイントロは、サビとほぼ同じフレーズでその音程をやや落ち着かせたものだ。低く静かなところから始まり、しかしわずか8小節の中で11度もの音程を駆け上がり、そしてまた最初の音程に着地するという、エネルギーの起伏に富んだ旋律になっている。また、歌詞の区切りでもある2小節ごとにメロディーを分解すると、音程による起承転結がハッキリと見えてくる。
このようなメロディーラインや細かな展開、そして最小限の音構成。どれをとっても非常に美しく完成度の高いイントロだと言えるだろう。
次にイントロ部分の歌詞を抜き出して見ていくが、これを通してこの曲の歌詞全体についての所感も述べたいと思う。
まず前提としてこの曲は歌詞の密度が低く、余計な語が省かれている。
このような手法の曲で真っ先に浮かぶのが2016年の代表曲である星野源の『恋』だ。冒頭の「営みの(多く交う)街が暮れたら(空は赤く、そして仕事終わりの人々は喜びに)色めき」のように、『恋』では歌詞の中で文章がこれでもかと省略されている。
これに近い手法が『血流』にも使われているのではないかと思う。
イントロの歌詞で例を挙げると、まず(99%この歌を歌う登場人物ではあると思うが)イントロの歌詞を口にする登場人物が誰なのか明記されておらず、"この心"を持つ誰かがいるということしか分からない。また、三・四行目から助詞を抜き取ることで「胸打つ鼓動がずっと流れてる」や「胸打つ鼓動にずっと流れてる 奇跡の色が」のように、文章として意味が確定できないようにしている。冒頭でグラついてたのは"この心"ようにも感じられるし、しかしこれもまた明示されてないのでこの歌詞にはない『自意識』や『意志』を指しているかもしれないのだ。
このように『恋』に比べると全体的に語彙が抽象的で、かつ文の意味が一意に定まらないように言葉が省略されているように感じるが、そのおかげで想像の余地が多くある楽曲に仕上がっている。このようなギミックがイントロだけでなく曲全体を通して多く見られるので、意識して歌詞を見てみるとまた違った雰囲気が感じられるかもしれない。
そしてここで初めてこの記事のタイトルにもある『奇跡の色』という言葉が出てくる。イントロの最後の語として強い印象を与えつつも、この段階ではまだ具体的に何を指すのか想像がつかない。この言葉についてはサビでもう少し詳しく考察しようと思う。
1番Aメロ・Bメロ
ピアノのリバースをあとにして始まるAメロは、少ない楽器構成でクリーンなサウンドが展開されていくが、唯一リバーブのかかったシンセの音が閉塞感を感じさせない。
コード進行は近年流行りの丸サ進行から最後のメジャーコード(I7)が抜かれていて、調性の浮つきが取り除かれ明確に短調が示されている。それはさながら金属のような冷たさを感じさせるが、8小節ごとに最後に現れる同主調のメジャーコード(VI)がその冷たい世界にそっと灯りをともすようだ。
そのトラックにのって歌いあげられるのは後悔や羨望を感じさせる、時間軸をまたいだ歌詞。
"過ごしてた" "差すんだろうか" "眠れないまま"と、それぞれ過去・未来・現在を最小の言葉で表現しており、これ以上ないほどにスマートで美しい歌詞だ。
"ワームホール"と聞くと、どこかにつながるワープトンネルのようなものを想起する人が多いだろう。転じて、主人公にとっての転機、今いる場所を飛び出すための契機の比喩だと考えられる。それに"触れないまま 日々を過ごしてた"主人公は、この時点ではまだ消極的な人物だということが分かる。
4行目の"やるせない顔"という言葉はどこにも係らず単独の文になっている。これがこの曲の特徴でもあり、主人公がやるせない顔をしているのかそれとも主人公が見ている誰かがやるせない顔をしているのか、想像に幅を持たせることができる。
5行目、ここで初めて『君』という存在が現れ、この歌には主人公と君の2人がいるということがわかる。その後には君の目には自分とは違う世界が見えているんじゃないかと主人公が言っており、君には自分よりも世界を鮮やかに捉えることができる感性やセンスがあると主人公が思っていることがわかる。
このようにAメロは曲・歌詞ともに少ない字数ながら広い世界と長い時間を感じさせるが、対してBメロではリズムトラックがほぼ排除され、ピアノによるコード進行には減三和音(V#dim,パッシングディミニッシュと呼ばれる)が挿入されて、静かながらより緊張感が高まる。これによって、開放的で盛り上がるサビが必然的に期待させられる。
1番サビ
サビに入ると、抽象的だったBメロの歌詞を具象化するように、決意を帯びた歌詞がyamaの力強い歌声にのって、五線譜をまたいで大きく跳躍する。
"奇跡の色"という歌詞はイントロとサビで合計3回出てくるが、「胸打つ鼓動によりずっと流れている奇跡の色」と歌詞を補完して考えると、血流というタイトルも考慮して赤色と考えるのが妥当だろうか。その観点では、奇跡とは生命の誕生または生命そのもののことだと捉えることができ、2番Bメロの"いつかの夜を いつかの朝を 通って産声あげたんだ"という歌詞とも辻褄が合う。
ただ、個人的にはもう一つ考えている解釈がある。僕は『奇跡の色』とは、飛び抜けた才能の比喩ではないかと思っている。これについては一通り楽曲を解説してから最後に考察しようと思う。
サビの歌詞でもう一つ気になるところは"君の向こう"というフレーズだ。君のいる場所へ走りゆくのではなく、君を超えて遠くまで行くというニュアンスになっている。
もちろん目指す人を超えていくというのは高い志として最も適切な表現なのだが、ここで気になるのはのちに出てくる"いつかは離れ離れになっても"というCメロの歌詞だ。この部分が主人公と君を指していると仮定すると、二人は生徒と先生もしくは初心者とプロのような師弟関係ではなく、友人のようなもっと親しい間柄だとわかる。
そうなると、君が到達点ではないことがハッキリとわかる。なぜなら君もまた主人公と共に成長し続ける存在であり、師として今いる場所で主人公を待ってくれる人物ではないからだ。君のところに到達することを目指していると、その間に君はまた一歩先へと進んでしまう。だから主人公は君を超えて行くことを意識しているのだ。あるいは、君と追い抜き追い抜かれる切磋琢磨の関係を夢見ているのかもしれない。
2番Aメロ・Bメロ
多分に想像や考察を含んだ1番サビだったが、2番Aメロもまた抽象的な歌詞が続く。しかしここは想像しやすい比喩が多く、"未来の舞台"と"終演"という歌詞が呼応していて美しい。
曲調は一瞬hip-hop風になり歌詞も今までに比べて密度が高まるが、すぐに再び八分音符主体のメロディーとなりそのままBメロへとつながる。4,5小節目に音程が高くなる部分があり、それが歌詞の感情の起伏と連動しているようで、自然かつ丁寧な音運びという印象だ。
2番Bメロは、Aメロでハーフテンポになったビートを取り戻すためにフィルタのかかったクラップが加わり、1番と比べてサビへのビルドアップ(盛り上がり)を感じさせる。
歌詞は、1番と比べると少し面白いことがわかる。
Bメロの最後の行、1番では"鍵を持って出ていこう"と、家の鍵を忘れずに持ち、施錠して出かけるくらいの余裕が感じられる。
しかし2番では"これしかないと 飛び出そうよ"と、鍵かけたかなんてどうでもよくてとにかく外に出ようと、よりスピード感を感じさせる歌詞になっている。
その結果が2番のサビにつながっていくのだ。
2番サビから最後まで
1番ではまだ心がストーリーを描くに留まっていたが、2番ではそれを夜空に放っている。最終行の"少しずつ届く"という歌詞からもわかる通り、主人公は震えながらも己の描いたストーリーを世に放った(=発信した)のだ。1番Bメロにある「塞げない穴が夜に空いたから鍵を持って出る」という受動的な理由ではなく、施錠などの保身もかなぐり捨てて自ら飛び出すことで、初めて自分のストーリーが他人に届き始めたことが分かるだろう。
"この身体が 近づく方に"とある通り、こうして心だけでなく身体も動き始めた主人公は、"時代を駆けてゆけ"と自らの将来に願掛けしているように見える。そしてその観点で見ると、最後の行は誰かに自分のストーリーが届くという意味だけではなく、自分が動き出したことで君に"少しずつ届く"だろうと言っているのかもしれない。
ここまでで大体の考察や好きなところを書き終えたが、僕がこの曲で最も好きな部分は一番最後だ。"遠い 遠い 場所"と2回繰り返すのが、どれだけ果てしなく苦難の多い道なんだろうと思わせるのだが、最後がメジャーコードで終わるのも合わせて、決して後ろ向きではない明るい決意を感じさせる。
ここはいつも聴くたびに鳥肌が立つし、聴き終わったあとに最初から最後まで少しも無駄のない洗練された楽曲だったなぁと感動させてくれるのだ。
『奇跡の色』についての考察
サビの段落で『奇跡の色』とは「飛び抜けた才能」の比喩だろうと述べた。
今まで本楽曲のMVに関して触れてこなかったが、このMVの中では登場人物が三人現れて、その中にグラフィティアートをする少年とギターで弾き語りを配信する少女がいる。それぞれ絵画での奇跡の色(その人にしか表現できない色彩感覚)、歌唱での奇跡の色(その人にしか出せない歌声・音色)と連想しやすく、この映像から『奇跡の色』とはその人が表現する作品に現れる唯一無二の色ではないかという考察を得るに至った(ただし、僕個人としては『血流』のように想像する余地が多くある曲では、MVと曲を結び付けて一通りに考察するのは正直あまりよくない方法だと思っている)。
ではその唯一無二の色がどうして飛びぬけた才能という言葉になるのか。これは僕の想像でしかないが、おそらくこの曲の主人公がそう思っているからというのが一番の理由である。
これは1番Aメロの歌詞でも少し解説したが、"君の目を通してみたら どんな光が 差すんだろうか"という歌詞から「君には自分よりも世界を鮮やかに捉えることができる感性やセンスがあるのだろう」と主人公が思っていること、また"いくら動いても眠れないまま"という歌詞から「どれだけ努力しても不安でしょうがない」と主人公が感じていること(≒才能のなさを努力でカバーできるのかという疑問を抱いていること)が想像できる。
また才能というのは、生まれ持ったセンスや天から与えられたものという意味から転じて血筋として捉えられることもあるだろう。これがまた『血流』というタイトルに遠からぬ関係を感じさせるのだ。
ではここで1番サビの歌詞の中ほどをもう一度見てみる。
奇跡の色とは血の色であると1番サビ考察の時に述べたが、先ほどの才能と血筋の関係を考えると奇跡の色とは才能ある者の血であると捉えることもできる。そしてそのうえで、自分の体にずっと流れている血潮は果たして奇跡の色(=才能ある者に流れる血)なのか "わからないまま ただ この心が 近づく方に" 主人公たちは努力しつづける、と考えるとグッとこないだろうか。
己に『奇跡の色』が流れているか──すなわちどんな才能を持っていてそれがいつ開花するのか──そんなことなど誰にも分からないのだから、自分には才能がないと諦めずに、がむしゃらに走り続けるしかない。そのような主人公の意志や心情の変遷が、歌詞の様々な部分から読み取れると僕は思っている。
そうして遠く遠くを目指し努力しているうちに、いつのまにか自分自身の表現するものは奇跡の色になっていた(努力の結果才能が開花した、もしくは多大な努力で才能を補った)……そんな素敵な終演を期待せずにはいられないのだ。
以上のことから『奇跡の色』は、ある分野を極限まで極めた者の血の色であり、またその人が表現する作品に現れる唯一無二の色という二つの側面を持つと僕は考察した。
ちなみに僕は奇跡の色を得るのに才能が必要だとは思っていない(創作する者としてそう信じたくないというのが本音だ)。
最後に
最後にもう一つ、僕がこの曲で好きなところがある。それはこの曲がハッキリと『誰かの物語』(主人公と君の物語)でありつつも、その中にある省略された部分に自己を投影する余地があり、そうすることであたかもこの曲のストーリーを、聴く人たち自身の体験かのように錯覚することができると感じられる点だ。
歌詞の中に『君』は出てくるが『僕』『私』が決して出てこないというのも、『血流』自体が、この曲を聴いた人全員の物語になるためのギミックのように感じる。この曲を聞いた人は誰でもこの主人公のように遠い場所を目指してがむしゃらに突き進んでいく自分を想像し、そして鼓舞されることができるのだ。
だから僕はこの曲がとても好きだし、この曲を聴くと頑張ろうという気持ちになれる。
こんな風に努力できる自分はすごくカッコいいだろうな。こんな自分になりたい。そう強く思わせてくれるのだ。
そして僕にとっての遠い遠い目標である『君』は──
そんなもの恥ずかしくて到底言えないのである。
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