見出し画像

時計

そういえば我が家にはどの部屋にも時計があったように思う。

居間にはネジを巻いて動く振り子時計、キッチンには丸くて大きい駅にあるような時計が壁にかけられていた。私たち兄妹はそれぞれ目覚まし時計を持っていたから、どこの部屋にいてもカチカチという時計の音がまるでバックグラウンドミュージックみたいに鳴っていた。

父の仕事の関係で私たち家族はしばしば引っ越しをしたが、新しい家に到着すると、母は真っ先に時計を取り出してきて壁にかけた。

段ボールに占領された家の中にカチカチと時を刻む音が鳴り始め、それがなんだか新生活開始の合図のような気がしていたものだ。

面白かったのは、家のどの時計も少しずつ時間が違っていたことだ。

時々母は家中の時計をチェックして時間合わせをしたが、それでも数日経てば我が家の時計は好き勝手に進んだり、遅れたりしながら自分のペースで時間を刻むようになる。

でもその頃は誰もそんなこと気にしなかったし、そもそも”時間とは曖昧なもの”なのだと思っていたのではないだろうか。

子供の頃、たった一人で留守番をするのが恐かった。

時計の針の音が家の中でどんどんと大きく響き渡ってくるような気がして、息苦しくなるのだった。

耳を塞いで丸くなっているうち、いつの間にか眠り込み、ふと気づくと部屋には灯がともり、台所からは料理を刻む音、シューシューと湯気上る音が聞こえてきて、母が戻ってきたことを知った。

あの不安、そして母が家に戻ってくれただけで温かい幸福感に包まれるようだったあの感覚を私は決して忘れることはないだろう。

今我が家には壁掛けの時計も置き時計もない。

もう時計の狂いを気にすることもなく、部屋に響く時計の音に不安を掻き立てられることもない。でも時計の狂いが見せる時の不明瞭さの中に漂うことはもうないのだ、と思うとなんだか寂しいような気がする。

今日紹介するのは横野健一さんの小作品である。

絵葉書サイズのこの作品は横野さんの日常生活をまるで日記をしたためるかのように作られている。

今回新しく25枚の作品が届いた。今回は横野さんのフォトアルバム的な作品である。彼の個人的な思い出なのだけれど、誰もが感じる懐かしさを含んでいる。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?