子供の頃は誰でも“どんな職業にも就ける”可能性を秘めていて、大いに夢を膨らませているものだと思う。
それが少しずつ大人になるにつれ、自分の実力の限界とか社会の仕組みとかに阻まれて、いつの間にかひどく現実的な夢しか描くことができなくなってしまうのではないだろうか。
私は大学を卒業して教員になった。それは日本社会の中で唯一男女差のない職場であること、安定していることが理由である。私はその仕事に夢も希望も見出していなかったように思う。
そうは言っても子供と接する教師の仕事は毎日何かしらの面白さに満ちていて充実したし、そして何より教師の職は私にしっかりと馴染んでくれていたような気がする。
でも何が一番嫌だったかと言えば、何一つ自分で決めることができないことだった。子供たちがとても面白いことを考えついても、全ての教員が集まる職員会議で検討され、それらの多くはうやむやにされた。
子供たちに“職員会議の結果はどうだった?”と尋ねられるたびに、私はちゃんと返事がでず口籠るばかりだったし、子供たちはそんな私の様子を敏感に察知して、“どうせだめだよね!”と諦めの言葉を吐くのを聞くのが辛かったのである。
私は今小さなギャラリーで働いている。
この仕事の何が素晴らしいかといえば、私は思いついたこと、考えていることをパートナーと話し合うだけで、すぐに実行に移すことができるのだ。
側から見ればどうってことない事かもしれないけれど、でも自分で物事を動かすことができるという感覚は、ペダルを踏み混むたびに自転車の車輪が弾みをつけてギュンと回るそれに似ている。
そう、私が懸命にペダルを漕げばいくら向かい風が吹き荒れようが、私は少しでも前進する。そしてペダルから足を離せば、全ての動きは止まる。
進むこともそして止まることも全てこの世の中のたった二人、パートナーと私で決めることができるなんて、なんと素晴らしい自由だろうと思うのだ。
そしてその自由とはもちろんのこと、厳しい責任の上に成り立っていることを私は同時に強く感じ、肌にいつもピリリとした緊張感を纏っているような感覚がある。
もしかして、これこそが私の本当の夢の仕事だったのかもしれない。
今日紹介するのはどきりとするほど妖艶な水元かよ子さんの作品である。
奔放かつ緻密で美しい作品を作り続ける彼女は、何にも囚われることなく、限りなく自由である。その自由の羽ばたきの裏に自分を厳しく律する彼女の制作態度が透けて見える。それがまた甘く美しいだけではないキリリとした表情を作品に与えている。
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