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疲れた。なぜ、眠れない。睡眠薬も飲んでるのに

睡眠薬を処方されてる。それでもなお、4時間で覚醒する。平日は特にそうだ。

仕事、療育のためのセンターへ行く、週末は重い足取りで実家へ行く。

何を介護してるわけじゃない。ただ、もう母の顔を見てほっとすると同時に、義務感で母の家にいくのが辛い。そしてその気持になるのが罪悪感でいっぱいになる。

明日死ぬやもしれぬ母。今日、しんどくて電話でれなかったときに「この電話をとれなくて、明日は話せなくなったら(死んでたら)、大きな後悔になる・・・でも電話も面倒で取りたくない・・・」と思う、この気持ち。

頭ではわかってる。

・親の病気も死も私の責任ではない

・親が死んで数年したら風化し自分の中で受け入れられる

・親が死んでどれだけ献身的に介護をしたとしても(同居をして24時間介護をしたとしても)、しなかったとしても、絶対に「後悔」の念は常にあり、そしてつきまとう(何年も)

父が他界して10年。母の病気と介護が始まって2年。様々な書物や動画を読み、”人を看取る”ことの見聞きしたり体験してきた。

介護でもぽっくりでも、なんでも肉親の死は大きいストレスとロスによって、かなりの心身負荷があることを知る。そして、その病気や死にたいして私がどれだけあがこうとも避けれないことも。

頭ではわかってるが、真綿で首を絞めるように、私の気持ちをストレスが蝕み、それが身体状態悪化として出てくる。

頭が痛い。動悸がする。体が固い。胃腸の調子が悪い。喘息がすぐにでる。

そして、心療内科で処方されてる睡眠薬をもらっても(増量してるのにも関わらず)、4時間で途中覚醒をする。

バッテリーが上る直前になる車の状態になってる自分。ちょっとしたイベント(仕事のプレッシャー、母との外出(何らかのイベントで各所へ調整しまくって)の対応、子供の療育、家事育児(ワンオペ))の一つでも重なると、すぐにバーンアウト。オーバーフロー。

だから、眠れない。すぐに睡眠にもでる。FITBITで毎日睡眠を測ってるが、本当にストレス度が高いときは、薬を飲んでても睡眠の質が悪くなる。

この介護ストレス中って、本当にどうやって過ごしたら良いのか。毎日毎日毎日模索してる。

趣味をつくりほっとできる時間をつくり、心理カウンセラーと月次でセッションをもち、診療内科で薬を調整してもらい、仕事量は圧倒的に削減して調整しており、そのうえ日々の介護はヘルパーさんらにすべて委託して直接介護をする機会がない状態にもかかわらず。

在宅療養してるので、母の顔を見に行けるのはとてもいいこと。そして行けるからこそ、「(介護施設などに入ってる場合)コロナゆえに会えない」という制限もないので、自宅で6時間も8時間も滞在して日曜日や祝日が彼女との時間に割けられる。制限があれば、短い間(30分だけ滞在OKとか)での時間で過ごすという物理的に切ることがない。

ま、とわいえ、病院や施設入所だと、今度はその場所にせっせと通い、それはそれで大変に時間もお金も使い疲弊するのだが・・・(入退院を繰り返していた時、片道40分の距離を週3−4日かけていってたので、すごい大変だった)。

どうしようもない、実母への気持ち。抑えられない、罪悪感と疲弊感と母にあいたい・会いに行かなければならない、という気持ちの交差で、ほとほと疲れた。もうこのノートでは疲れた、としか行ってないが(笑)。

こうして吐き出して吐き出して吐き出して、母が逝くその瞬間まで、そしてその後も、こうして吐き出して、ようやく私の心に平穏が訪れるのだろうか。

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▼おすすめの本:

▽1つ目:

リアルの親が倒れて病気→入院を繰り返し始めたときに、速攻よみました。

親が倒れた! 親の入院・介護ですぐやること・考えること・お金のこと 第2版

使える公共補助(介護保険など)は、とにかく気合で情報収集!まずは市役所・区役所へ!

▽2つ目:

とにかくマンガですぐにできる・すべき介護の全体感をつかめ!

マンガでわかる 介護入門

漫画だとさらさらと全体感も把握できるので、何をすべきか、何から始めたらいいのかがわかりやすかったです。

正直「介護」「親の病気」って対応したくない。なので必死に書籍とか読む気にもならないわけです。でも、まったなしで病院から呼ばれ、親から鬼電が来るわけで。ぼんやりしてる暇がないので、こういうマンガ形式のものはとにかく、ためになります。

今でもよんで「ああ、自分は概ね網羅できてるかな?」「こういうTIPSもあるんだな」という気づきも得れる。

▽3つ目:

看取りのために。元看護師さんが、夫の闘病と看取りを行い、のち、出家した著者。いくつか本をだしていますが、すべてためになります。医療知識や経験があったて、この著者は言います。「何をしても親しい人の死には後悔がついてくる」と。

死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア

どれだけ献身的に24時間在宅療養・看取りをしたとしても、「まだまだケアできることがあったのではないか」と後悔する人もいると。その話に、私なりに納得。実父をなくしているため、突然の死だったがそれでもとにかく後悔をする。アレをしたらよかったのではないか、もっとこうしてあげれたらよかったのではないか、もっと一緒に旅行に行きたかった。10年経ついまでは、毎日父をおもいだす、ということはないにしても、そんな思いはむくりと心にやってきます。だから、私なりにとても腹落ちした考え・お話だった。

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時々自分が読んだ本や、参考になった記事などをあげつつ。今日も今日とて、このNOTEに吐き出し救われながら、一日を過ごす次第。