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思い出の循環

鈴の音。お経。今日も暑い。
今日は新しいお隣さんの地鎮祭。

「伊藤さんが、老人ホームに入った。」
そう聞いた時、びっくりした。

伊藤さんは、私たち家族のお隣さんだった。
物腰柔らかなおばあちゃんで、足腰もしっかりしていたから
90歳を超えているなんて知らなかった。

「もう90だから、いつあちらに行ってもおかしくないでしょう?」
あちらにはおじいちゃんもいるし怖くはないよ、と続けたあとで
「最期にまた、誰かと住んでみたくなったの」
と笑った。

伊藤さんの家も、私の実家もそんなに広いと思ったことはなかったけど、
こうなってみると広々としている。寂しい。


私は祖母に、
「いつかこの家を建て替えるときは•••」
と、祖母のいない未来の話をよくされていた。

私はそれを聞くのが嫌いで、話し始めたらすぐ話を遮っていた。

将来必ず来るとは分かっていても、
自分からそんなことは言わないで欲しい。
思い出の詰まった家が、この世界のどこにもなくなる。
そのことを想像すると寂しくて、聞きたくなかったから。

伊藤さんの家がなくなったのを見た時、
「その世界の片鱗」に片足を突っ込んでしまったような感覚だった。

自分の思い出が消えていく、恐れていた世界の片鱗に。


だが、次に住む家族の明るく弾む声や澄んだ鈴の音を聞くと、
今片足を突っ込んでいるこの世界にはなくなるものばかりではないと思った。

更地から、またここから誰かの思い出が紡がれていくのなら、
「新しい家族に幸あれ」
素直にそう思った。

私は勝手に、伊藤さんも私と同じような気持ちかと思っていたが
彼女が住みなれた家を離れ、
残りの人生の在り方を望ぶことができた理由は、多分こういうことなのだ。

人生は、伊藤さんの見てきた景色は、
また誰かによって紡がれていく。

鼻に抜けた寂しさが少し目頭を熱くした。
夏の爽やかな風と、鈴の音が耳を撫でる。

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