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2022年6月の読書記録 2/2


熊楠謂ふに、葬送の還りに門に塩を撒くは不淨を掃ふといへど、実は鬼が隨ひ来るを拒ぐ者か。霊飯に塩を避け、土鍋を用て炊ぐも、本(も)と亡霊が塩と鉄を忌むとせしに出るならん。
南方熊楠(1952)「南方熊楠全集第六卷〔文集Ⅱ〕」より 「鹽に關する迷信」
乾元社/#青空文庫
  生きた人間に対して提供せられる犠牲は生きたままの人間で、或いはこれを奴婢とし、或いはこれを妻妾とするのであるが、既に伝説化して人間社会以外に脱出し、鬼神或いは妖怪変化の類となっているものに対しては、生きたままの人間では間にあわぬ。
喜田貞吉(2008)「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」より「人身御供と人柱」
河出書房新社/#青空文庫
バンザイの姿勢で 眠りいる吾子よ そうだバンザイ 生まれてバンザイ
俵万智(2010)「生まれてバンザイ」童話屋
眠りつつ 時折苦い顔をする そうだ 世界は少し苦いぞ
俵万智(2010)「生まれてバンザイ」童話屋
したがって普通には獅子舞或いは越後獅子などの類で、獅子奮迅踴躍の状を表象したものとして解せられているが、奇態な事にはその旧仙台領地方に行わるるものが、その獅子頭に鹿の角を有し、他の地方のものにも、またそれぞれ短い二本の角が生えているのである。
喜田貞吉(2008)「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」より
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」河出書房新社/ #青空文庫
その一つは人の平常の言葉や考え方の中にほとんど無意識に保留している昔風の名残を集めてみることで、こちらはよその国でも盛んに試みているが、なおその中堅ともいうべき伝説という一群の資料が、こんなにも豊富でまた適切で、自由に利用し得られる国はそう多くあるまい。
柳田國男(1964)「定本柳田國男集 第二十九巻」より「祭礼名彙と其分類」
筑摩書房/#青空文庫
踊とか綱引とかは現在は遊戯だが、それでもまだ方式が守られている。それが盆に行う土地と正月の十五日にするものとが入交っているのである。春と秋との最初の満月ということが、恐らくはこの共通を見る理由だろうと思う。
柳田國男(1984)「日本の名随筆17 春」より「歳棚に祭る神」作品社
#青空文庫
それで一通り自分の小さい頃の記憶を述べて、皆さんがこれから見たり聴いたりすることと、どのくらい々かちがうかを比べてみてもらおうと思う。近い所なら真似るということもあろうが、私の故郷はここからだいぶ遠い、あまり世間に知られない田舎だったのである。
柳田國男(1986)「日本の名随筆44 祭」より「祭りのさまざま」作品社
#青空文庫
ヨーロッパのメルヒェンならば、動物は魔法にかけられていて、魔法が解けて人間に戻るところですが、日本では魔法は使われません。魔法はありませんが、変身には何か大きな出来事が必要です。
小澤俊夫(2022)「昔話の扉をひらこう」暮らしの手帖 P33
 形を作って、それを保っていくものがあるとしたら、ことばというのは、かなりそうだなあと思った。秘密のような、骨みたいなものとして、ことばがあるなあって。
小澤俊夫(2022)「昔話の扉をひらこう」暮らしの手帖 P215
 我々はみんな、霊感のひらめきと紙一重のところで生きている、というのが私の信念である。我々のうちの、どんなに取るに足りないと思える人間ですら、芸術家たる可能性があるのだ。
著 クレア・キップス/訳 梨木香歩(2010)
「ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った誇り高きクラレンスの生涯」
文藝春秋 P30
私は自分の信頼する小さなスズメから、たくさんの教訓を学んだことだ。もしも人生の休暇期間が延長され、長寿を賜ることができたら、その教訓のおかげでもっと分別をもち、満ち足りて人の役に立つ人間になれるのではないかと思う。
著 クレア・キップス/訳 梨木香歩(2010)
「ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った誇り高きクラレンスの生涯」
文藝春秋 P110
盆の月 街に銀粉降らすやう
多田薫(2019)「谺せよ」花乱社 P4
来た方へ方へ方へと秋の道
多田薫(2019)「谺せよ」花乱社 P28
南方熊楠(1992)「續南方隨筆 覆刻」より「人柱の話」沖積舎
#青空文庫
家康公薨ずる二日前に三池典太の刀もて罪人を試さしめ、切れ味いとよしと聞いて自ら二三度振り廻し、我この剣で永く子孫を護るべしと顏色いと好かったと言い、コックスの日記には、侍医が公は老年故若者程速く病が癒らぬと答えたので家康大に怒りその身を寸断せしめたとある。試し切は刀を人よりも尊んだ甚だ不条理かつ不人道なことだが、百年前後までもまま行われたらしい。
南方熊楠(1992)「續南方隨筆 覆刻」より「人柱の話」沖積舎
#青空文庫
「でも、人生はそうじゃないよ」 「ちがう? じゃ、なに?」 「すこしずつ、誰も気づかないうちにすべてが変化していく。いつの間にかまわりを取りかこまれ圧倒されて従うほかない。そして、打つべき手はあまりない」
著 エリエット・アベカシス/訳 斎藤可津子(2021)
「30年目の待ち合わせ」早川書房 P17
翌朝、早く目覚めた。ロンドンの街をぶらついた。雨だった。カフェに入ると熱っぽい目で見つめあうカップルがいた。フランス人だ。愛がなにものにもまさると信じているのはフランス人くらいなもの。
著 エリエット・アベカシス/訳 斎藤可津子(2021)
「30年目の待ち合わせ」早川書房 P73
灯影に姿見えるときには、その燃え残りをかき落として、その人に飲ませ、祈祷も念入りにしてやらなければならないのに、そばの者がそうとは知らず何もしてやらなかったので、咎めが現れて死んでしまったということだ。
松本健太郎(2006)「今は昔の奇異な話、面白い話」郁朋社 P80
それはやどり木を五寸ほどに切って百日間陰干しにして造るというものだった。それを頭上に束ねた髪に挿しておくと、隠みののように姿を隠して人に見られなくなった。
松本健太郎(2006)「今は昔の奇異な話、面白い話」郁朋社 P101
山へ一歩踏みこめば、どんな怪異に遭遇するやもしれないという不安は、山村に生きる者の共通の認識であった。それだけに、山で妖怪に出会ったという話は、それが具体的であればあるほど、すんなりとうけいれられたのである。
山村民俗の会 編(2017)「山の怪奇 百物語」河出書房新社 P27
深山や夕暮がせまった山中で、突然、人と遭遇することは不気味なことである。そうした場合、数人よりたった一人に、男性より女性、成年より老人、老人より子供に遭うと気味が悪い。
山村民俗の会 編(2017)「山の怪奇 百物語」河出書房新社 P91
句帳空白石楠花の花の香にうづくまる
松井通子(2004)「暾(あさひ)の艶 松井通子俳句俳画遺稿集」私家版 P23
雨音のたえたる夜半の虫しぐれ
松井通子(2004)「暾(あさひ)の艶 松井通子俳句俳画遺稿集」私家版 P75

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