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焦がれた熱が、すぐそばにいることに気づいた日~ROCK'IN ON JAPAN「平手友梨奈 19歳、今、感じていること」を読んで



平手友梨奈という人物を、「疑いようもなく完璧」だと思っていた。
自分の尊敬するクリエイターないしアーティストを神格化し、その人にしか表現しえないものの目に毒とも思えるような光の瞬きをひたすらに追いかけることが好きだった。こういう人達というのは、ある種、人間という俗じみたものから卓越している。考え方やパフォーマンスにかける熱意、表現ひとつひとつに宿す細部への思いに至るまで、一瞬の隙もない、普通の人間とは画したところで生きている人なのだ、と思っていた。

その中に、私の愛する平手友梨奈という人物も生きていた。前々回のエッセイで書いたように、彼女は私の生きる場所にはいない。遠く離れた場所で、今も独りきりでその命を燃やしている人。そのいいようもない淋しさと、孤高の姿に、私は恋い焦がれた。人生を生きてきて初めて、人の為すことに胸をかき乱され、美しい魂の在り方に釘付けになった。彼女とは、今まで私にとってそういう、次元の違うアーティストであり、クリエイターだった。


そんな節に、ROCKIN’ON JAPAN10月号の「平手友梨奈 19歳、今、感じていること」に載っている3時間に及ぶインタビューを読んだ。そして、彼女のことを――こんなに好きでいるのに、この瞬間になって初めて――彼女が「普通の人間」であることを知った。
彼女は、自己肯定がうまくできない、自分のやっていることに自信が持てない、と語っていた。平手友梨奈ともあろう人物が、自分の為すことにいつだって自信を持てたことがない、という事実に私は驚愕した。私がこれだけ、毎回のパフォーマンスに心を持っていかれ、彼女の身体表現とそれを成し遂げてみせる確かな意志に感動を禁じえないというのに、彼女自身は自分のパフォーマンスに満足していない、というその言葉に、雷で打たれたような気持ちになった。

「自分はまだダメな表現をしているから」
「クリエイターは納得したらダメなんだよな」

本当に、驚いた。彼女はまだ納得していない。そのことが飾らない19歳の等身大の言霊としてそこに綴られていて、私の中の「平手友梨奈像」が劇的に新しく塗り替わった。完璧だと思っていた彼女は、「いくら事を成し遂げても、自分に満足できない私と似たようなことを思っている」女の子だった。

平手友梨奈という人物を好きになったのは必然だと思っていて、表現することを生きがいとしているから同じように生きている彼女を好きになった。そのパフォーマンスに、魂に、いつも救われてきた。生きる上で何かを伝えようとしているのは自分だけではないのだ、と思い続けることができた。
そんな彼女は、孤高でありながらしっかりと「己の孤独」の輪郭をなぞろうとしていて、自分はまだ表現しきれていない、伝えきれていないと思い、自己肯定ができずにいる。ああ、これは私だ、と、彼女と自分の間に初めて共通ともいえる小さな点と線ができた。あんなに遠くにいたと思っていた彼女は、気がつけば私のすぐそばにいて、熱を――何者にも奪い取れない粗く燃えるような熱を、感じることができた。

これは私にとって、とてつもなく大きな経験になった。今まで彼女を尊敬し、憧れ、愛し続けていた中で、「親近」という感情が湧きおこるとは思っていなかったからだ。同時に彼女の、「伝えきれていないと分かっているからこれからも伝えていきたい」というストイックな姿勢にも、改めて敬愛に似た感情を覚えた。私は元来、自分に甘えない人物に好感を持つ。やるべきことのためなら、誰よりもまっすぐに前を見据え、行動できる人。それが自身のルーチンであり、信念であり、ある時は業じみてもいる「表現」なら尚更だった。彼女の心揺さぶる数々の表現は、そういった何度も磨いた玉のような強く輝く意志によって為されていたのだ、と心から納得し、最後のページを閉じた。


「表現」とは何か、とインタビュワーに聞かれた彼女はこう答えていた。

「……この世界にいる以上……人に……何かを与えられる存在じゃなきゃいけない、かなあ。しなきゃいけないことって思っちゃいます」

平手友梨奈の魂が好きだ。この世に生まれた以上、為さないといけないもの。それを「表現」だと言う、彼女の瞳は鋭利な光を吸い込み、こちらに向けてまっすぐに射る。たとえ自分を愛せなくても、自分の望む域に達していないと感じても、一歩ずつ「表現すること」を積み重ねていくその背中は、煌々と光り輝いている。
私も、その背中を追いかけて、あるいは、連なって、並んで歩いていきたいと思った。彼女はひとりの人間だった。きんと尖った孤独を胸のうちに抱え、叫びながら今も生きている。

その姿を美しいと思うのは、自分の身体のなかにもその一片が紛れ込んでいて、彼女に向けて反射させているからかもしれない。
この世界に何かを残す――生まれた意味を、生きた証を、伝えたいことを、言葉でなく心に向かって投げ打つ。彼女の、恒常の体温よりはるか高い熱は、私の皮膚に近い場所で燃えている。そう感じることのできるインタビューだった。

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安藤エヌ
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