人生そのものを「Feelin'go(o)d」に。藤井風日産スタジアムライブレポ
このたび、私は友人と一緒に藤井風日産スタジアムライブ「Feelin'go(o)d」初日に参加した。チケット運がからきしである私の代わりに友人がスタンド席を取ってくれて、行くことが叶った。
上記の通り、藤井風には3年前からすでにファンになっていて、――私の初"風"は「何なんw」で、あんたのその歯にはさがった青さ粉?!なのにこんなにグルーヴィング?!何事?!となったのを今でも思い出す――今回のライブ参加は正真正銘、生"風"に会う最初の機会だった。
当日、目覚めてから電車に乗り現地へ向かうまで緊張で足取りのおぼつかない私を頼もしくサポートしてくれた友人。彼女がいなければあの場にもいられなかったし、言葉にできない素晴らしい光景を見ることも叶わなかった。改めて感謝を。ありがとう。
無事2daysの公演が終わり、youtubeでのアーカイブ配信も延長され日常に戻りつつある今、
私はどうなのかというと、これである。
マジでこれなのだ。藤井風が頭の中を占拠して、何も手につかない。藤井風ランドというのはあれだろうか、「Feelin'go(o)d」MVに出てきた雲の上のワンダーランドのような場所だろうか。今すぐそこに移住したい。心ゆくまで藤井風のことを考えていたい。たまに「ワーキナ、ワーキナ」と歌いながらしかたなく労働をし、それ以外は風くんの風でめくれたシャツの中にチラ見えした白いお腹のことを考えていたい。
もう末期だと思う。しょうがない。"あんな”藤井風を見てしまったのだから。神々しく、どこかはかなげで、ライブが終わったらかぐや姫みたいに空からお迎えが来て、ほなな、といって空の向こうへ消えてしまうかもしれないような彼をこの目で見てしまった以上、もう普通の生活には戻れない。
同じことを思っているファンは他にもいたようで、こんなポストも見かけた。かくいう私もライブ直後、興奮のさなか「と、とりあえず何か言いたい!!」となり、Xに書きなぐった。
彼の音楽性、人柄に心底惚れ込んだ身として開口一番の言葉がビジュアルに関してなのはどうかと思うし、曲りなりにも音楽について文章を書いているライターとして失格だと思うのだが、どうしても言わざるをえなかった。それだけ7万5千人のファンに迎え入れられた彼が、スポットライトを浴びるカリスマ性、スターとしてのあるべき姿、愛し愛される身としてのかがやきに満ちていたのである。
この場で彼のビジュアルについて言及するのは最後にしたいのだが、とりあえず、この写真を見てほしい。
これ、なんだと思う?全世界の人間を愛し、愛された結果、心に一切の穢れを負うことなく、目の前にいる人々を慈愛の瞳で見つめ、ふ、と優しく笑った推しの顔なんだ……
本当にこれだけは言いたかったので許してほしい。個人的にはライブ中盤、ソロでのサックス演奏から「Workin' Hard」「Damn」に至るまでの一連の流れで見せた彼の姿が最も美しかったと思うのだが(異論は認める)、この写真はラス曲「まつり」でほんの一瞬垣間見せた表情だ。もうこれはかっこいいとかかわいいとか、きれいとか美しいとかの範疇ではない、どこか世離れした、藤井風その人の血液として心臓を中心にめぐっている「愛」がにじみ出た瞬間の表情だったのだと思う。その「愛」、デビュー当時からずっと彼が歌い、表現してきた「愛」を「感じて」「心地よくなる」ライブこそが今回の「Feelin'go(o)d」と名を冠した2日間だったように思う。
――と、まだまともにレポもしていないのにまるで締めのような文章を綴ってしまったが、ここでいったん真面目に本ライブで特に印象に残り、特筆すべきと思った曲たちを挙げていきたい。
・「死ぬのがいいわ」
生や愛に執着しない、解放された精神に宿るヘルシーな感情を歌うことに定評のある彼だが、「死ぬのがいいわ」は「あんたとこのままおさらばするより死ぬのがいいわ」と、相手への執着をうたっている歌だ。同じく「Damn」「さよならべいべ」(こちらはどちらかというと若さゆえの青々しい執着だが)でも特定の誰かへ向けられる愛が見て取れるが、何をかくそう藤井風の魅力のひとつであるギャップはここにある。本ライブの「死ぬのがいいわ」では、まるで真っ赤に腫れた心臓の色とでもいいたいかのようなレッド・ライトに照らされ、すがるようにステージ上に跪いて苦悶の表情で歌う藤井風が見られたのである。
無理じゃん……そんな顔するの?知らなかったよ……私たち……
またも彼の見たことない一面を見てしまい、さらに沼深くへと沈んだ人がいるに違いない。
・「燃えよ」
みんな大好き爆イケダンス!!!!!!
本ライブでは後述する「旅路」しかりこの「燃えよ」しかり、大胆な楽曲アレンジを加えたパフォーマンスが目玉だったように感じる。まさかここで静止するとは。天才的なカメラワークに抜かれる藤井風。かと思いきや、鮮烈なライトの点滅に合わせキレッキレのダンスを踊る藤井風。言葉通り度肝を抜かれた。忙殺されるほど多忙のなか、いつの間にダンスの練習をしていたのか。やはり彼は努力の人なのだと思い知らされた瞬間である。
・「満ちてゆく」
本記事のサムネイルになっている、会場全体に光り輝いた星屑のようなスマホライト。そこにリアルタイムで広がっている光景を両の目に焼き付けることこそがライブの意義、と感じさせられた圧巻の眺め。
MVに何度泣かされたことか、一緒に見た友人たちとどれだけ語り合ったか知れぬ「満ちてゆく」。心揺さぶられすぎて、単独でディスクレビューを書いたほど好きな曲だったのもあり、会場全体がまるで地球というひとつの小さくて大きい星を包み込む宇宙に見え、その真ん中で口ずさむように歌い、最後は自分の墓の隣で眠った藤井風の安らかな表情に感極まった。楽曲が言わんとしている本質をあの場にいたすべての人々が理解し、ともに作り上げた空間だったと感じる。素晴らしかった。
・「旅路」
このアレンジ嫌いな人いないでしょ???????
おそらく本ライブで披露された楽曲中、最も大胆に原曲がアレンジされていたと思う。学生バンドを彷彿とさせる、抜け感と突っ走り感のあるスポーティーなサウンドに仕上がっていて、会場は大盛り上がり。なんだか昔、軽音部でバンドの仲間と夜までスタジオにこもり拙くも楽しい音楽を共有していた頃を思い出した。バンド隊も風くんも楽しそうで何より。
そろそろ総括に入ろう。
実際に現場でライブの一部始終を見て感じたのだが、この「Feelin'go(o)d」は、ひとの人生の始まりから終わりを表現し、人生をより豊かに、楽しく、幸せに「心地よく(Feelin'good)」生きてみたいよね、という祈りでもあり試みでもあったのではないかと思う。
「さよならべいべ」「青春病」のような、若い"自分"もいた。「死ぬのがいいわ」のように執着に身を焦がす"自分"もいた。「ガーデン」のように凪いだ"自分"も、「満ちてゆく」のようにたくさんの光に包まれて眠る"自分"もいつか訪れる。彼は、藤井風は、そんな愛にどうしようもないほどまみれ、最期にはすべてを手放す勇気を持って悔いなく瞼を閉じる、ありふれているかもしれないけれど幸せな、確かなひとりの人間として私たちの前に居てくれたのだと感じざるをえないのだ。
藤井風というひとりの才人、「愛し愛される」ことが世界をきっともっと素敵なものにすると信じているひとりの人間が見せてくれた奇跡のような光景を忘れずに、大切に胸にしまって生きたいと心の底から願いたくなる、生涯忘れられないライブ体験だった。
I love you, really love you,Kaze.
I hope that I can meet you.
2024/8/28