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相性とか、バランスとか

 ここ数日精神的な体力を消耗してしまった。いわゆるヘラってるみたいな状態になっているんだろう。

 人には「客観的捉えるのが上手いとか、メタ認知できてますね」とは言われるが、全然できていない。たしかに人に今の自分がどういう状態かを伝えるとき言語化するのは割と得意というか、その能力みたいなものは小さい頃から苦じゃなかった。でも1人でいると、その自己モニタリング能力のようなものが極端に落ちてしまう。

 気づかないうちに頑張りすぎたり集中しすぎたりしてしまうことが多々ある。過集中と呼ばれる状態になって、集中力が切れる頃には脳は疲れ、精神的な余裕というのがなくなってしまっていることが多い。一気に集中して作業をし、その後はずっと寝ているなんてこともある。

 これは何かキッカケがあった訳ではなく、小さい頃からそうだった。テレビやゲーム、読書に夢中になっていると人の声が聴こえなかった。正確には音としては聴こえていたが、人が呼びかける言葉の意味を頭を通して受け取っていなかった。だから、母親や祖母には「何度呼べば気が済むの」と言われることが多かった。

 社会人になって発達障害に関する言葉や話を聞くことがよくあった。最近だと、ADHDとかは割と認知されるようになったような印象を受ける。それが果たして正しく捉えられているのか、逆に人と接する時のバイアスになっていないだろうかは思うが、それは知りようがないだろう。

 そういった中、「脳波で脳の動きを測り、発達障害の傾向等も検査できる」ということを知った。ちょっとした好奇心もあり、受けてみることにした。自分の脳波の働きがどうなっているのかも単純に知りたかった。だから、検査費用としては若干高いけれども検査を受けた。

 検査した結果、私はASD(自閉症スペクトラム障害)傾向があるらしいことが判明した。「過集中傾向」や「興味が限定的」、「変化を嫌う傾向」など、「たしかに昔からそれは当てはまるな」と思うような特徴が多くあった。そして、脳働き的に論理や言語を司る部分が活発らしい。読書は好きだし、論文とかを読むのも苦にならない。思考することがすることが好きというか、いつの間にか癖になっているのも自分の生来の傾向としてあったのかもしれない。まあ、もしかしたら占いみたいなバーナム効果なのかもしれないけれど、私は腹落ちしてなんだか心が軽くなったのを覚えている。

 ASDの傾向がある人の2人に1人は不安や抑うつなどの併存が認められるちう報告もあるらしい。(言及されている文献はこちら。引用の書き方がなっていないのは目を瞑っていただきたい。)実際、私は大学生の頃にうつ病を発症し、たまに彼が復活してくることもある。辛いときもあるけれど、6年近くも付き合っていると、中途半端な友達よりも親近感が湧く。「また来たか、本当にお前は俺が好きなんだな」くらい思えるときもある。そう捉えることができるのと、うつ病の症状がでることが平気かどうかについては別問題なのだけれど。。。

 そういう背景もあり、精神疾患や発達障害に対する理解は比較的ある方だとは思う。たまに「疾患や発達障害のフレームワークで捉えすぎて、目の前の人を理解しようとするのを疎かにしてないか」と心配になることはある。それでも、「他の人に理解されない」や「コントロールしたいけれど、努力や個人の力ではどうにもならない」、「異常な自分は人として欠陥があるんじゃないか」と思ってしまう気持ちは完全でなくても共感できる。

 以前付き合っていた彼女は理解してくれようとはしていたが、「正直、共感はできないし、何をしたらいいのか分からない」ということが多かった。私としては「只々そっとして欲しい。側にいて欲しい。言葉を聞いて欲しい。」という気持ちだったが、何もしてあげられない、共感してやれないというのも、それはそれで悶々としてしまうらしい。(何もできないもどかしさは確かに理解できる。)そういったことが直接的もしくは間接的な原因になって、別れることもあった。

 そんななか、ある1人の外国人女性と出会った。容姿とか、異文化に対する興味ではなく、1人の人間として、思いやりに溢れる魅力的な人だと思った。最初は彼女からのアプローチだったが、私も自然と惹かれるようになった。どんどん親しくなるうちに彼女もうつ病を患っており、強迫性障害(OCD)の傾向もあることを知った。不安になると発作も併発し、側にいるときにそれが起こることもあった。

 あるとき、「私は今、同時に色々なことを抱えすぎている。しかも、それが私には処理ができない。真剣な恋愛経験も少ないから、貴方とどう向き合うのがいいのか分からない。それで悩んでしまう。」と打ち明けられた。「側にいたい。悩みを和らげたい。」と思っていたので、ショックでなかったといったら嘘になる。しかし、それは私の自己満足の部分もあるだろうし、今の彼女にとっては側にいることよりも、適度な距離感をもって接することが大事なのだろう。友達に戻るのは正直辛かったし、今も辛いが、自分本位な恋はもうしたくないので、彼女との提案を受け入れることにした。

 彼女と出会うまでは、「同じような境遇、疾患、経験と付き合うと共感したりできて楽かもしれない」と思うこともあった。その方が相性がいいんじゃないかと思っていた。しかし、そうではなかった。結局、お互いの状況やそれを理解し合える関係性や心の状態、バックボーンなど色々ことが関係してくるのだと痛感した。

 恋愛や結婚においては、「補完し合える関係がよい」とか「同じ価値観や境遇がよい」とかで相性について語られることも多い。現時点の私の経験的には、どちらも正しいし、どちらか一つが間違っている訳でないというところに落ち着いている。

 結局、「相性」というのも色々な「バランス」が必要なのだ。バランス感覚、中庸という言葉が頭に巡る今日この頃。。。。

(終)


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