元教師のグラフィックレコーダー!スミレさんに聞くフリーランスとしての挑戦と成長の物語
7STORYSの第2回目のゲストとして、グラフィックレコーダーとして活躍するスミレさんをお迎えしました。現在、主に2つの事業を展開されています。
1つ目はグラフィックレコーディング(通称:グラレコ)です。イベントや会社のミーティング、Xのスペースなどの音声配信を、その場でリアルタイムにイラストと文字でまとめる仕事です。僕も以前スミレさんに依頼したことがありますが、収録しながらリアルタイムで絵や文字を描いていく様子は本当に驚きでした。現在は大学や介護のセミナーを中心に活動されています。
2つ目はKindle出版のプロデュース事業です。本を出したい方向けに、初めての方の出版サポートから、出版経験者の売り方の相談まで、総合的にプロデュースを行っています。「皆さんも本を出せるんですよ」という思いを大切に、出版の方法から、最後の売り方まで、きめ細かなサポートを提供されています。
1.ブラックな環境で働く高校教師でした
ジョニ:最初は高校教師をされていたそうですね?
スミレ:はい。社会人1年目から英語の教師として働いていました。小学校から大学まで続けていたバスケットボールの経験があったので、部活動の顧問も当然のように引き受けることになりました。
土日もほとんど休みがなく、放課後も遅くまで残って練習する生活でした。仕事は好きで、やりがいもあったんです。でも、忙しすぎて自分のことを大事にできていない。仕事しかないという状態が続いていました。
当時の私は、公務員としての「イエス」の生活を送っていました。どの学校に転勤になるか、どの分掌(教務や生活指導など)を担当するかは、希望は言えるものの、バランスの関係で自分の意思が通らないことも多い。与えられた仕事を一生懸命やるというスタンスでした。
特に印象的だったのは、自分がノーと言うことへの考え方です。「自分がノーと言えば、誰かがそれを引き受けることになる」「その人が困ってしまう」という思いから、ノーと言えませんでした。結果として、頼まれた仕事は全部引き受けるという思考停止状態に陥っていました。
2.父が亡くなる…
ジョニ:そんな中、大きな転機があったそうですね。
スミレ:父が癌になってしまい、自宅で療養する期間がありました。土日は実家に帰って看病をしていたのですが、ある時、父の容態が危険な状態になった時と、部活動の試合が重なってしまったんです。試合は顧問が行かないと没収試合になってしまう。その時、母も「仕事に行きなさい」と言ってくれて、私も仕事を選びました。
その決断自体は間違っていなかったと思うのですが、「家族を優先できないこの環境は人として良くないんじゃないか」と考えるようになりました。ここまま教員として働き続けても、また同じ状況になると思ったんです。なぜなら、私の性格的に目の前の生徒が可愛いから、困っているからと言って、そちらを優先してしまうから。
そこで、公務員を辞めて環境を変えることを決意しました。これは私の人生で初めて、自分で決断をした瞬間でした。今までの人生では、与えられた選択肢の中で選ぶだけでしたが、この時は完全に自分で人生の選択をしました。だからこそ、この決断に後悔はないし、今でも納得しています。
3.不安を無くすために、論理武装した
ジョニ:仕事を辞めるという決断には、大きな不安もあったのではないですか?
スミレ:私は、不安というものが人間にとって一番の敵だと考えていました。不安があるから人を攻撃してしまったり、選択を誤ってしまう。だから不安をなくすことが大切だと思い、論理的に考えることにしました。
例えば、「仕事がなくなっても日本にいる限り死なない」という究極の考え方です。これには3つの根拠があります。1つは貯蓄を頑張ったこと。そしてもう1つは、最低限の生活をする術を知っていること。最後に、日本の社会制度が整っているということ。
また、仕事がなくなってもアイデンティティが崩壊することはありません。家族や友人もいます。仕事が来ないのも、お金が不安定なのも、全部想定内なんです。いちいち不安になること自体が無駄だと考え、論理武装することで不安を克服しました。
最終的には、「仕事がないからと言って自分のアイデンティティが崩壊することもないし、家族がいるし友人がいる」という考えに至りました。この部分で失敗しても何も変わらないと納得できたんです。
4.あなたの作品は代金を支払うに値しない
ジョニ:フリーランスとして活動を始めて、苦労されたことはありますか?
スミレ:初めの頃は、とにかく書いているところを見てもらうことが一番だと思って、Xのスペースで活動していました。まずは知っている人のスペースで応援する形でグラフィックレコーディングを書き、その作品を見せるという戦略をとりました。それは自分の練習にもなると考えていました。
ある方のスペースで2回目に書いた時、その方が「グラフィックレコーディング面白いね」と言ってくれて、次のスペースでの依頼をいただきました。しかし、仕事を終えた後に「あなたの作品は代金を支払うに値しない」というDMが来たんです。世の中の他のグラフィックレコーディングと比べてクオリティが低いという理由でした。
その時はショックでしたが、「私も労働として仕事をしているのだから、対価は支払われるべきではないか」と思いました。しかも、事前に「お願いします」と言われて仕事を引き受けたのに、終わった後でそのような評価をされるのはおかしいと感じました。
この経験から重要な教訓を学びました。それまでは必ず事前に自分の作品サンプルを見せ、「これでもよろしいですか?」という確認をしていたのに、この時は公開の場での口約束だけで終わってしまいました。これからは必ず事前に作品を見せ、約束事は文字で残すことを徹底しようと決めました。
また、クレームへの対応も学びました。「アドバイスありがとうございます。これから気をつけます」と丁寧に返信して終わりにしました。女性の起業家から「フリーランスとして大事なことは、何を言わないかだよ」と教わったことがあります。この言葉は本当に心に残っていて、不快に思う自分の心がもったいないと考え、建設的な対応を心がけるようになりました。
5.先輩に「絶対に起業は無理。」と言われる
ジョニ:先輩にも厳しいことを言われたそうですね。
スミレ:グラフィックレコーディングという分野についての情報があまりなかったので、先輩訪問のつもりで、すでに活躍されている方に会いに行きました。しかし、その方は企業に所属しているグラフィックレコーダーで、フリーランスとしての経験はありませんでした。
通常業務に加えて、言わば技術を搾取されるような形で、追加の報酬なしでグラフィックレコーディングをしている状況でした。私が「仕事を辞めて、フリーランスで活動していきたい」と話すと、「グラフィックレコーディングで食べていくのは無理じゃないの」と言われました。
正直、「頑張ってね」と言って欲しかったんです。でも、その「無理」という言葉で一時的にへこみそうになりました。しかし、そこでくじけるのではなく、「絶対に見返してやる」という強い決意が芽生え、心に火がつきました。
6.大学に飛び込みで営業
ジョニ:その後、大学への営業を始められたそうですね。
スミレ:はい。オンラインでの活動だけでは限界があると感じました。私は「とにかく自分が書いているところを見てもらわないと伝わらない」と思い、実際のイベントに参加することにしました。
大学の無料公開講座や、安価な有料講座を片っ端から探して参加しました。お客さんとして参加し、帰り際に登壇者や運営者に名刺を渡して、「このようなイベントでこういう風に書けるので、仕事として採用していただけませんか」と営業しました。
実は1発目の大学でうまくいきました。講演者ではなく、その会を主催していた教授が興味を持ってくださり、仕事をいただくことができました。その後も約20回ほど同じような営業活動を続け、結果的に2件の仕事を獲得。成功率は約1/10でしたが、これは私の中では法則として受け入れています。
7.目の前の人から、より多くの人の夢を叶えたい
ジョニ:今後の目標についてお聞かせください。
スミレ:これまでは目の前の人の夢を叶えるお手伝いをしてきました。例えば、授業で頑張っている方や、家族の繋がりを大切にしたい方のサポートです。でも、より多くの人に影響を与えていくには、自分の足だけでは限界があります。そこで「器を大きくする」必要があると考えました。
具体的には、税金面での考慮もありますが、それ以上に社会的信用度を高めるため、法人化を決意しました。株式会社として活動することで、入ってくる仕事の質も変わるのではないかと考えています。
きっかけの1つは大阪万博でした。私は万博のすべてのイベントにグラフィックレコーダーを付けて、みんなで協力する形を作りたいと考えました。しかし、メールで問い合わせたところ、「企業からの依頼しか受け付けていません」と言われたんです。大きな案件では、個人では戦えないこともある。そこで社会的信用度を高めるため、法人化を決意しました。
9割は無理かもしれませんが、可能性がゼロではないと信じて、1月に法人化してもう一度チャレンジするつもりです。たとえ間に合わなくても、それは次につながる経験になると考えています。
人と人との繋がりを大事にする
ジョニ:最後に、スミレさんが大切にされていることは何でしょうか?
スミレ:フリーランスとして活動する中で、「私は一体何をしているんだろう」と考えることがありました。そして気づいたんです。グラフィックレコーディングもKindle出版も、実は世の中にいる頑張っている人に出会いに行くための「言い訳」なんです。
グラフィックレコーディングをやっているから、普通なら話せないような経営者の方とも会話ができる。何もしていない人では会えない人とも、「グラフィックレコーディングをやっているんです」と言うことで出会えるんです。
世の中には本当に素晴らしい人がたくさんいて、「うわあ、この人すごいな」と思える方々と出会える。私はグラフィックレコーディングを言い訳にして、そういう方々に出会いに行っているんだと気づきました。
そう考えると、手段にはこだわりがありません。途中でグラフィックレコーディングを辞めようと考えたこともありましたが、今は自分に対して興味を持ってもらえる一つのツールとして、そして何より楽しい仕事として続けています。人と人との繋がりを作るという目的のために、手段やこだわりを捨てていく。そういう考え方になっています。
また、2025年6月1日には「自由な生き方を覗きみしよう」というテーマでイベントと交流会を開催する予定です。自由な生き方をしたいけれどどうしたらいいかわからない方、働き方に悩んでいる方々と一緒に、これからの可能性について考える機会にしたいと思っています。起業されていない方でも、フリーランスの生活や起業についての理解を深める機会として、ぜひ参加していただけたらと思います。
おわりに
フリーランスとして成功するためには、技術やスキルだけでなく、人との繋がりを大切にする心、そして失敗から学ぶ姿勢が重要だとスミレさんは教えてくれました。
「何を言わないか」を考えることの大切さ、どんな状況でも前を向いて挑戦し続ける姿勢、そして人と人との繋がりを何より大切にする価値観は、新しい一歩を踏み出そうとしている方々にとって、大きな励みになるのではないでしょうか。
スミレさんの活動やイベントについて、より詳しい情報はXやスタンドFMで発信されています。グラフィックレコーディングの作品や、日々の活動についての発信もされているので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。