Beauty Japanへの挑戦⑥「向き合わなければならない過去」
2024年4月27日(土)
ぎふメディアコスモスで行われる
Beauty Japan岐阜大会2024
コンテストに挑戦する、私のリアルな心情を書き記して行くシリーズ。
私の過去
「使命」を果たすには、過去とまず向き合わなければならない。
ずっと避けてきたこと、公には言えなかったことに今回は触れていきたい。
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幼少期の頃から、両親は不仲で常にケンカ。ご近所に聞こえる程の大声で、時には物も飛んできた。当時母によく怒られていた私は、「私のせいでごめんなさい…」と心の中で自分のことを責めていた。
高校生になると「何でうちはこんな家庭なんだろう…」幸せそうな友達の家族の話を聞いて、心底羨ましかった。反抗期真っ只中の私は、母とケンカした時に「お母さんみたいにはなりたくない!」と言い放つ荒れっぷりだった。
でも「荒れた」といっても、その程度で済んでいた。
私を救ってくれる存在が側にいたから。
それが「おばあちゃん」だった。
苦しくて心の行き場がない時、そばで優しく寄り添ってくれた。
大人になって結婚、出産を経て、私も母になった。
正直、結婚前から、家庭を築く自信も、母親になる自信もなかった。子どもの頃は「結婚なんてしたくない」とずっと言っていた程。
「自分といることでパートナーも子どもも不幸にしてしまうんじゃないか」そう思っていたから。
そういう呪縛と、コロナ禍により子どもと2人きりの生活が続くと、次第に感情がコントロールできなくなった。
「わーーーー!!!!」っとなって寒い夜中家を飛び出したこともある。
暗い光も見えない出口も分からないトンネルで彷徨ってるようだった。
支援センターなど再開され行くようになったけれど、「母親」としての自分に自信がなく、周りのお母さんたちと話すことが苦痛で仕方なかった。
自分も子育てを経験し、本当の意味で、当時の母親の苦悩が分かった。
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現在、「せっちゃん」としていろんな人と関わり、「母親」でない自分の時間をつくることで、トンネルを抜け出すことができた。
同情されたいわけではない。こうして過去を客観的に見ることで、「私の使命」を明確にしたかった。
「私の使命について」はまた改めて。