坂道の記憶
生まれ育った家が横浜だったわたしにとっては、東京はつねに手の届くところにあった。働いていたのも東京だったけれど、そこはあくまで行く先であって、住むことができる場所だなんて実は考えたこともなかった。
実家を飛び出て、なんにも知らない街でひとり暮らしをはじめて最初に驚いたのは夜の長さだ。その時間が欲しくてひとり暮らしをはじめたはずなのに、数ヶ月もするとあまりの寂しさに居ても立ってもいられず、用もなく一駅先のスーパーや本屋さんを行き先にしてはぶらぶら歩き、眠るまでの時間をつぶした。
実家の部屋の窓は曇りガラスだったから、外の景色はいつでも部屋の向こう側にあった。だからだったのか、引っ越し先の部屋の決め手になったのは、とびきり大きくて透明な窓。南向き、角部屋。窓のむこうの大きな一軒家には、その家のおばあちゃんが手をかけた庭と家庭菜園とちいさな祠があって、カーテンを開けると部屋のなかまで緑があふれた。陽が差し込む朝はご機嫌になり、長雨の一日は物憂いに過ごす。月の浮かぶ夜などはまるで部屋まで夜に浸かりそうで、そんな夜もまた、部屋を飛び出しては屋上で月を見上げた。
野菜を買うのはあの八百屋、お気に入りの練り物屋、寝転がるならあの芝生。近所にいくつかの自分の場所をみつけたとはいえ、何かが足りない。仕事では地下鉄を西から東へ横断する日々だった。手帳の最後のページにある地下鉄の路線図をくりかえし眺めていたわたしは、この線と点のうえしか自分は立ったことがないのだ、とある日、はたと気づいた。
そのことがいつまでも、東京がわたしをよそものにさせているような気がして、そうじゃない方法で東京のことを知りたい、とポケットサイズの東京23区の詳細地図を買った。地図を買ったのと、東京を歩くのを決めたのはたぶん同じタイミング。ページをめくっては舐めるように眺め、線路を無視して<ここ>と<あそこ>が近かったことを知り、不思議な地名や奇妙な記念館をみつけ、よい感じの名前がついた公園をさがした。どこかを目的地にしていたら出会うことのなかった場所がそこかしこにあり、ページをめくれば東京はどこまでもつづいている。リュックに数日分の食べ物と水筒、着替えとノートをいれて連休の初日、家を出た。
歩き始めたのは表参道か青山あたりからだったと思う。地図はひとまずリュックにしまって、なんとなく気になる道を歩いてみることにした。だって、わたしには時間がいくらでもあるのだ。いざとなれば、帰る家もあるし、帰らなくてはいけない家もないんだし。迷子になるのもきっと楽しいはず。気持ちのよさそうな空き地や木陰をみつけたらひとやすみしよう。駅をみかけたら地図をひらいて、歩いてきた地点をつなぐ道をもういちど発見しよう。そう決める。夜は、次の日もその場所からはじめられるように、と漫画喫茶で明かした。今までホテルにしか泊まったことのなかったわたしには、それだってはじめてのこと。夜は、漫画を読む暇もなく、あっという間に過ぎていった。
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どこまで歩いたのかはもうすっかり忘れてしまったけれど、よくわからない満足感を抱えて、わたしは五月の数日間を終えた。
それから七、八年経って、実家へ帰る電車に乗り、ぼんやり窓の外をみていたときだったと思う。電車が多摩川を超え、横浜に入る。すると、窓の向こうの風景が急に凹凸を形成しはじめた。あれ、今まで何千回とみていた景色なのに、おかしいな。そのとき、車窓のスクリーンいっぱいに地面からにょきにょきと隆起してくる丘と坂道が映って、わたしの目は釘付けになった。
あぁ、そうか。わたしが育った街には坂道があったんだ。東京は歩いても歩いても、どこまでも平らで、それが、ひとり暮らしをはじめてからなんとなく感じていた足りなさだったんだ。それはわたしの頭でも心でもなくて、この足がずっと感じていたこと。学校へ行くときも、家に帰るときも、ふうふう言いながらのぼり、降っていたのはこのふたつの足だった。
ぼんやり考えごとをするのも、景色のいいところで立ち止まるのも。まだ実家暮らしだったわたしが、どこからも離れて、ひとりぼっちになれる時間をからだは覚えていたのだった。
電車を降りると、実家までつづく坂道が待っていた。もうわたしはひとりぼっちになれる場所も時間もみつけて、こうして、いるよ。遠くの自分に語りかける。それから、長い長い階段をのぼりはじめた。
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