果実のなる庭で


 友人にその宿のことを聞いてから、いつか行こうと決めていた。

 夏になると、山登りに出かける土地がある。山形県、鶴岡。採れる野菜のどれもが --もちろん野菜にかぎらず果物も茸も米も-- とにかく元気があって、はじめて食したとき、都会暮らしでひ弱になっていたわたしの体は大いに喜んだ。四方を囲む山々の合間には庄内平野が広がり、山の雪解け水は海をめざして悠々と下る。土はふかふかと膨らんで芳香を放っていた。数年通い、作物の美味しさは、土の美味しさなのだと知った。

 ひとりの女性が営むその宿では、裏の畑で採れた野菜がちいさな台所で料理され、朝・昼・晩と食卓にならぶ。鶴岡で採れる野菜は種類も豊富で(在来種も多い)、旬のものはめまぐるしく入れ替わる。その女性の手で土からつくられる料理も、訪れる季節ごとに変わってゆくのだろう。とはいえ、目立つようなところはなにもない。夕食には、このあたりの田んぼで採れた米があり、裏の畑で採れただだちゃ豆と洋梨があり、根菜の煮物があり、山で採れたあけびがあった。人の手が加わるのを最小限に抑えた、しずかな佇まいの料理。
 すこし早めの夕飯を食べ終えて、女将と、その家に住む猫と、宿泊していた二人とで話をした。同じく東京からやってきた二十代の女性ふたりは、都内のとある料理屋でこの宿の話を聞き、やってきたのだという。今の仕事と日々のこと、これからのこと。「なにかひとつ。なんでもいいのだ。続けていれば、いつかそれが自分を助けてくれる」。女将はそう言って、何十年も続けているという織物のタペストリーを見せてくれた。その傍らで、猫が何度もあくびをして、ぺろぺろと手を舐めていた。



 翌朝、陽がのぼるのと同時に目を覚まし、散歩に出かける。畑へ向かう女将と道で会った。あの先の道を曲がると山までまっすぐ続く一本道があるから行ってごらん。散歩するのにぴったりだから。
 言われたとおり角を曲がると、一面に田んぼが広がっていた。夜のうちに溜まった霧の白が田んぼの上にまだほんのり残っていて、その水面をすい、すい、と泳ぐように歩く。一本道をずっと行くと、山の麓の果樹園に迷いこんだ。モモ、りんご、洋梨、ぶどう。見渡せば、あらゆる木々にぷくぷくと太った果実がなっている。その光景に東北の厳しい冬と力強い春を同時に想った。わたしは熟した実にあつまる羽虫になった錯覚をおこし、嗅覚に身をまかせてしばらくその場をふらふら彷徨う。
 気づくと太陽が山影から顔を出して、その丘陵いちめんを照らしていた。


 散歩から戻り、女将の朝食をいただいた。昨夜のふたりはもう宿を出たらしい。ひとりの朝食、山盛りのご飯。窓のむこうには既に、容赦ない陽射しが地面を照らしている。山に登る支度をして、玄関にむかう。
 お礼を言ったあと、突然、涙がぼろぼろと目からこぼれた。なによりも慌て驚いたのは自分だ。昨晩の彼女たちの話がよぎる。わかったつもりになって聞いていたけれど、歳の離れた自分だってなんにも変わらない。なにを始めるかはもうわかっているのに、踏み出すことがとてもこわいのだ。涙の言い訳をするように、ごそっと声が出た。こどもみたいに顔を赤くして、情けなさと恥ずかしさでいっぱいになる。女将はそんなわたしを変わらぬ目でみつめていた。
 声が出たら、ふたりして笑っていた。深くお礼を言って、宿を出る。バス停へ向かう途中、ぶどう畑を過ぎる。透き通った視界の先には、これから向かう山が遠くに見えた。

 数時間後、わたしは、あのうつくしい稜線を、歩いている。
 そう想って、背中にリュックの重さをしっかりと感じた。どうやら、さっきまでいた場所は、旅の前に一旦、荷物を降ろす場所だったらしい。


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