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5月のアトリエから② 形のないもの


小麦粉えのぐを用意していた日のこと。

「えー、今日、これやるの?」(触ってみる)
「わ、なんかグニャグニャしてて気持ちわるーい!」
というAちゃん。
小麦粉えのぐは、小麦を水で溶かして熱したあとに色をつけたもので、触感が相当ぶよぶよしている。Aちゃんの反応は予想してはいたものの、予想以上の嫌がりよう…。どれどれ、とまずはわたしが手につけて遊び始める。

「ほんとだ、たしかにこれは気持ちわるいね…」
「やりたくないよー」
「うーん、いやかぁ…」
「気持ちわるーい!」

と言いながら。
黄色と黄緑を混ぜて、Aちゃんは自分の好きな色をつくった。


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         「あ、なんだかスケートみたい!」 
      <気持ち悪い>が<気持ちいい>に変わってきた。

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            「先生、紙ちょうだい!」
                 ぺたん。 

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                      「おーー!」

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              「ねぇねぇ、先生、これできる?」と紙を細くまるめる。

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             「こうやってこうやって…」と丸めた紙を折り、立体に。
                            黙々と赤を塗る。

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             「こっちは青ね。」
          面によって、色を塗り分けている。

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     「あー、手にいっぱいついちゃった」と指を拭くAちゃん。
           「あ!めっちゃきれい。」↓

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         「これ、わたしのサインにしよう〜♪」
    と言ってすべての絵の隅に指スタンプを押しまくるAちゃん。
           「先生のにも押してあげる」

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            「は〜、できたー!!」
         (立体のすべての面を塗り終えた)



ひさしぶりに目的を持たずに素材とあそんだ日、
Aちゃんは自分の力で素材に自発的に働きかけ、手を通して出会っていた。

完成図がないことは、大人にとっては不安がある。十年以上もこどもとかかわってきたけれど、今もそうなることがある。それでも目的を持たないあそびの中からしか生まれないものがあって、こういう、寄り道のような、形としてのこらないもの。
それこそが、こどもにとっての、ただただ夢中になった、という「実感」なんだなぁ、とAちゃんの横顔をみて思っていた。

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