森光七彩の生い立ち⑧
どこの高校に行くか迷っていた時、
校舎の綺麗さと制服の可愛さで、
舟入高校に行きたい!とピンときました。
ただ、放送部はあまり盛んではないと…
中学の近くにある高校は、放送部が強く、実際に先輩も行っていたのですが、"弱いところを強くしたい"というひねくれた性格で、舟入高校へ。
1年生の最初の大会で、テレビドキュメント部門で優勝し、全国大会に進みました。
その時もカープの番組を作っていて、
今回は、マツダスタジアムができた年。
最初の試合、取材に行き、パフォーマンス席にカメラスタンドを置き、撮影していました。
インタビューさせてもらったのが、
あの、前田健太投手です!
マウンドからもファンの声が聞こえると言われていたのを覚えています。
3年間、部活と合唱団の活動に勤しみました。
3年生の最後の夏、
県大会で上位6名に選ばれた人の中から1人が、夏の高校野球県大会の司会をすることができます。
希望者でじゃんけんをすることになったのですが、
結果は…一番最初に負けました。
とても悔しかったのを覚えています。。
小学生時代とは違って、うまくいかないことはいろいろとあり、
高校1年生のとき、電子オルガンのコンクールに出場。小学5年生以来、満を辞しての出場です。
高校生〜大人の部に出場。
大人の部には、電子オルガンの先生たちも出場するような枠でしたが、なぜかストレートで優勝。全国大会に進むことになります。
最年少記録の影響から、よく知られた人になっていて、全国大会ではいろんな人に話しかけられました。
全国大会用に作ったオリジナル曲も準備。
今回も優勝するぞ!と意気込んでの大会でした。
しかし、結果は、何の賞も受賞することができませんでした。
大きな失敗をしたわけでもない。
審査員の好みに合わなかった。
それだけでした。
いつも厳しい父は、この時ばかりはとても優しかったのを覚えています。
この日を最後に、私はもう電子オルガンの頂点を目指すことはなくなりました。
その時の、周りの人の態度の変化も、子供ながらに印象的で、とても辛かった…
人生うまくはいかない、初の挫折を味わった高校時代でした。