森光七彩の生い立ち⑤アオギリのうたパート3
アオギリのうたに割く割合が多くなってますね…
たくさんの出来事がありすぎて。すみません。
毎週のようにイベント出演があった小学生時代。
今広島市のHPなどで聴くことができる歌声は、きちんとレコーディングに行って調整してもらったもの。
初のレコーディングもなかなか緊張しました。
いつも、家のお父さんの部屋でやっていたので。笑
私が小学生の間に、モニュメントも作られました。
歌詞が刻まれています。
平和公園のアオギリの木の前に出来ました。
ぜひ一度行かれてみてください。
これですこれ。↑
そこに、ノートが置いてあって、平和への思いを書くことができます。
そこに歌の感想がたくさん書かれていて、いつも見るのが楽しみでした!
小学校高学年にさしかかったころからでしょうか。
アオギリのうたを歌うことが嫌になった時期がありました。
なんでこの歌が求められているんだろう?
なんでこの歌ばかり?
大人に囲まれて歌うことにストレスを感じていたのでしょうか。
泣いて家を出たくないと、だだをこねたそう。
そんな私の姿は珍しいからびっくりしたと、母が。
無理矢理引きずって現場に行き、何事もなく歌った後、すぐに帰ったこともあったよと言っていました。
当日熱が出たことも。
周りの友達は遊んでいるのに、どうして私はステージで歌わないといけないのか、悩むこともありました。
そんな時に、ある出会いが。
中学1年生になった時です。
別の小学校からたくさん集まる中学では、私のことなんてしられていないと思っていました。
隣の席になった赤縁メガネの女の子が、
「森光さんって、アオギリのうたの森光さんだよね?」と声をかけてきました。
衝撃でした。
なんで、名前がわかるんだろう!と。
小学校で歌っていたとのことで、私の前でスラスラ歌を歌っていました。
ふつう、歌を作った作曲者なんて覚えていない。
それほど印象的だったといことで、私の中で歌への思いが変化していきます。
続きは明日…