なにかと話題のバチェロレッテ感想メモ

バチェラー時代から、いつも乗り遅れて見始めているこの手のリアリティー番組。

女性が主役ということもあり、全員とは言わないまでも"バチェラー"というお金のあるイケメン男性と結婚したい玉の輿を狙う女性がたくさん出ているように見えたバチェラーよりも受け入れやすい、というのが印象だった。

バチェラーは2.3しか見ていないけれど、2のほうが小柳津さんに本気で恋をした女性が多いように見えて、3は特に友永さんというより、"バチェラー"として見てる女性が多いように見えた。

結果、3で"バチェラー"には落ちなかった女性を"友永さん"が振り向かせて幸せな結婚をしているので素敵である。(色々賛否は呼びましたが…)

話をバチェロレッテに戻すけれど、そういう意味ではバチェラーのシーズンと比べて、”バチェロレッテ”よりも"萌子さん"を大切に思う男性陣が多かったような気がして、それが良かった。

ただ、結局最後は番組としては想定外の終わり方をしましたね、という話。

私の周りには着々と萌子信者が増えていたし、決断自体はそうだよね、って納得した。個人的には杉ちゃんとなにか始まってほしかったけれど、、ラベリングされてしまってからの挽回って難しいんですね…私にはあまり分からない感覚なんだけど。

最後のスタジオに全員集まったところは色々と違和感を感じて、無い方が良かったなーと。

男性陣がひたすら萌子さんを責めているのが見ていて辛かった。

まあ確かに、最後に残ったひとがバチェロレッテと結ばれると確約されていた(はずだった)戦いに参加した身としては、不満があるのはわかる。

甲子園優勝を目指して涙して球場を去っていった少年たちは、きっと自分たちに勝ったチームに頑張ってほしい、そう願っていた訳で、それが決勝戦を終えて優勝チームはいません、と言われたらなんのために頑張ってたんだ?ってなるよね。

ただ、この戦いはルールに沿って競った結果、スコアが出て、勝ち負けが決まるわけではなく、ひとりの人間が勝敗(という言葉は適切ではないと思うけど)、17人の中から主観で勝者ひとりを決めるという至極曖昧な基準な訳なので、それにそぐう人がいなかった、それだけなんだよね。ゲームとして成立してないのは分かるし、なんのために頑張ったんだ、という気持ちも裏切られた気分になるのも真っ当な感情だと思う。優勝がないって分かってたら目指さなかったかもしれない。それがリアリティーショーなんだなと。。。

逆にどちらかを残さなきゃいけない、というルールを破れないと思いこんでいたならば、きっと何かしらの決断はできたのだと思うけれど、それができないのが萌子さんらしさ。ちゃんと向き合ったはずなのに、それを向き合ってない、と批判され続ける様子はなんだか辛いものがあった。あの回はいらなかったよね?

でも、萌子さんもルールに従わなかったこと、自分でルールを変えたことについては何かしら説明や謝るような姿勢があっても良かったのかな、という気も。自分の物語であることは確か、でもルールがある番組に出演を決めたのも自分だもんね。これまでの彼女を見ていると、素直に謝って説明をしそうな気がするのだけれど、自分の物語であったことをひたすらに語り続けたあの頑なさは不思議に感じた。向き合った結果に対して外野がやんや言ったことに対しての静かな反発だったのだろうか。それともカットされていたのだろうか。

いずれにしても、自分の中に明確な基準がないと結局は決めきれないのだな、というのは恋愛に限らずとても自分にとって響くものがありました。

友人が世の中には、手の届く範囲で自分の幸せを見つける人と、まだ見えていない、かつ見つかるか分からない幸せを探し続ける人がいて、前者の方が幸せを見つけるのが早い(このときは結婚という文脈だったけど)と言っていて、まさにある中で見つけるか(これは決して妥協という意味ではない)、まだ見つけていない何かを追い続けるかの違いだったんだと思う。

幸せや愛とか、形がなくて、きっと自分のライフステージによって形を変えていくものを追い続けてもゴールが無いわけで、先に見つけ出せることが、いい意味で勘違いできることが、幸せなんではなかろうか。

強い結婚願望はあれど、人生楽しんでいて、好きなことができていて、ひとりでも生きることができるからこそ、ある意味で人に依存ができずに出てくる悩みや迷いなのでは、と思ったり。

結婚相手を探すことでこんなに悩み苦しむならばひとりの方が楽しい、という選択肢もあるはずなのだけど、子どもがほしいとやはり結婚がついてまわる。女性には年齢的な制限もある。結婚って本当に難しいな、と思ったバチェロレッテでした。

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