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新札発行に思うこと💴
2週間前に日本に帰ってきました🇯🇵
インドネシアの諸々は、また書くとして、私的大ニュースは津田梅子が次の5000円札に選ばれたこと!!
私は津田梅子が作った大学を卒業したのですが、私のSNSは発表当日梅子さんのニュースの写メやスクショで賑わいました。そのくらいみんな愛校心あるんだなと、ほくほくしました。
津田梅子が、女子教育の第一人者として、素晴らしい評価を受けているのは、きっと周知の事実。
その功績は絶対的なものなはずです。
ただ、今回の件で、私が本当に感動したのは、その素晴らしい評価が、相対的に世の中に価値を見出されているということ。
過去の人がやったこと、それが評価されていたこと、その事実に変わりは無いけれど、世の中の目が変わってきているのでは無いか、ということ。
女性に学ぶ機会を与えた人をお札にするなんてこと、それは昔の日本ではきっと考えられなかった。たとえ女子教育の先駆者として昔から評価されていたとしても。
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上野千鶴子先生の、東大での祝辞も話題になっているけれど、私が学生時代お世話になった先生の1人は上野先生のゼミ生だったそう。大学時代、女子大に入って初めてフェミニストに出会ったし、女性の活躍とか世の中で言われてるほんとの背景を知った気がする。
女子大に身を置きながら、女性学とかそういう授業には興味が持てずに一度も取った事がなかった(それに関しては後悔している)。そのくらい自分が女性であることに自覚がなかった。
ずっと、女の子だから、という理由でやりたい事が出来なかった事がなかったから。いい意味で、女の子だから、という扱いを受けてこなかったから、男女差を自覚したことがなかったんだとおもう。
両親は私が女1人で世界中のどこへ行くと行っても送り出してくれたし。それがどんなにありがたかったのか、最近今更それに気づいている。
そもそも女性として生まれた私が勉強出来て、大学に行けて、それなりの会社に入れて、会社でお茶汲みはしなくていいのは、過去の女性たちが色んなことに抗ってきてくれたからなんだろうな。
私はフェミニストではないと思っているけれど、改めて祖母の世代、女の子が勉強出来なかった話、母の世代が正社員として女性が働けなかった話、そういう話を聞くと、やっぱりとても憤りを覚えたのも確か。
幸い、私は前の職場でも男女差を感じることはなく、女性として危ない目に遭ったこともない。でもまだまだ女性として立場を狭められている人もいると思う。
津田梅子のやってきたことの価値が、長い年月を経て、更に増したように、今後今ある概念もいろいろ変わっていくといいね。願うだけじゃなく、きっとその概念を変えるプレイヤーとして、男女関係なく当事者意識を持って動かないと、いけないんだけど。