覚悟の重要性
先程の投稿は、私の下書きの再編だったので、今回はまた新たなトピックで。
このGW、友人夫婦が移住した長野へ遊びに行った。彼らは元々東京の大学を卒業し、それぞれ東京で働いていたけれど、自然が好きだったり、もっと人間の本質に近い生き方をしたいと言うことで今年の初めに移住した。
元々移住先の検討の段階から話は聞いていたので、移住自体には驚かなかったけれど、遊びに行った先で考えた事がたくさんあった。
私は彼らの話を聞いて、自分の軸や指針がある人をすごく羨ましく思っていた。彼らだけでなく、最近は自分のやりたいことを見つけて独立したり、大きくキャリアを変えたり、学校に通ったり、そんな友人たちがとても多く、いつも羨ましく思っていた。
もちろんそういう”何か”に出会えていること自体は素晴らしいことで、全員が出会えるわけではないとはおもう。ただ、そこで重要なのって”覚悟”なのではないかなと、今更気づいた。
私は嫌いなものが少なく、興味ある分野はかなり多い方だと思う。器用貧乏というか、浅く広くというか、それがコンプレックスだったりもした。でもそれだけ好きな事があれば、覚悟さえすればみんなと同じようにその道を目指す事ができるはず。
結局自分の好きなことに向き合う覚悟、収入を手放す覚悟(必ずしもみんなが好きなことをするときに収入を手放しているわけではないけれども)、そういう覚悟が足りないのだなと気付かされた。
夫婦だから移住しても一人じゃない、資格がある人はたとえ一度独立してもすぐに戻れそう、そんなことをいつも考えていて、リスクヘッジというか心配ばかりをしていては、結局覚悟は決まらない。それを分かっていても飛び出せるほど好きなことに出会うか、覚悟を決めるか、ニワトリたまごな話ではあるけれど、それって結構大きな気づきだった。出会えないなら覚悟を決めるしかない。
みんなだって今一番の方法をとっていて、今後変わるかもしれない。なんなら外から見ればベストなことをしているように見えても、実は第二案かもしれない。
隣の芝は青く見えるとはよくいったものですが、本当にそうなんだなと改めて思い知らされた。あまり他人と比較して生きてこなかったと思っていたけど、めちゃくちゃ他人を羨んでいる自分にも気づけた。
ただ、よく考えると、私は大手を辞めてとつぜん海外に飛び立ったり、名も知られてないベンチャーに転職したり、そもそも転職2回もしていたり。毎回その度に覚悟はしていたなということも思い出す。自分がどうしたら覚悟が決まるのか、それを逆算的に考えることも、覚悟を決める方法の一つ、引いては好きを見極める方法の一つなのかもしれない。
そもそも今の生き方をしている時点で、自分の人生のあり方を許容している、一種の覚悟。時間は有限で、もし無為に過ごしているとしたらそれだって選択。ある意味覚悟。意図的に選択してばかりなのが良いことかどうかはまた別の話だけど(私にとっては重要だけど)、全て自分の選択だよな、そう思えた2泊3日でした。長い友達からは本当にいろんなことを気づかせてもらえる。いい旅だった。