ひさびさに。
強い感情が苦手、という、いつかどこかでとある作家さんが表現してたのですが、その言い回しにとても共感したのが結構前のこと。
気持ちの上下がなくて、割と一定なのが自分の長所ではあるけれど、それは物事に執着がないからで、もうちょっと執着を持って生きたいなあ、なんて最近思う訳です。
執着が無いのは生きていてとても楽なんだけど、なんか人間として大切なものが欠けてる気分になる。
小学校だか中学校だかの時に、仲良しの子が、他の子と2人でお出かけしてるのがなんだかとてつもなく寂しくて、多分嫉妬みたいな想いが湧いてきて(そんなの今思えば普通すぎる事なのに)、その頃から人に対して嫉妬をしないように、いろいろ気にしないように、という心がけをするようになった記憶。当時から強い感情が自分に芽生えるのが怖かったんだろうな、と思います。今思えば。
争いごとも好きじゃない、落ち込むことも、傷つくこともできればしたくない、そんな防御に入った心の持ち方は、精神を安定させたまま、日々を過ごすことができる一方で、強い感情を持つことすらできなくなっていて、なんとも言えない気持ち。
気付いたら逆に執着心がなくなりすぎてる自分に、大人になってから気付きました。無い方が楽なんだけど、無いとなんだか寂しいもの。結局は無いものねだりではあるんだなあ、と思うけれど。
入社した頃から、上司には自己分析ができている、常に一定であることを褒められてきたけれど、それって社会人としては合格かもしれないけれど、人間としていいことなのかな、なんて最近思うわけです。
ひとつに絞らないといけない場面が今年前半何度かあって、その判断基準が、自分の好きという想いで選べなかった、そんな時に、好きなもの、ことは沢山あるのに、揺るぎない絶対的な大好きといえるもの、ことがあまりにも少ないんじゃ無いか(むしろ無いのでは無いか)、という気持ちにさせられたのでした。
好きのハードルが高すぎるんだよ、とはよく言われるけど、結局そいうことなんだろうか。
思ってること、ひさびさに書きました。まとまらないメモ書きですが、またぼちぼち書いてゆきます。