承認欲求
承認欲求そのものを否定するつもりはない。
私自身その欲求は強い方の人間だと思っているし、
実際ここ最近は愛に飢えているとさえ言える程度には
認められ満たされたい気持ちが強い。
例えば、Facebookはその始まりが学内コミュニティを
発端としていることや昔の知り合いを見つけ、
同窓会のようなものに発展することもあることから
本名での登録に違和感がない。
しかし、Twitterをはじめとするその他のSNSに本名で
登録する意図が全くわからない。
もちろん宣伝の目的で芸能人や経営者がそうした手法を
取るのは別だと思う。
それこそ例えばたまたま名前を知る程度の
関係性というのは世の中多くあるはずで、
そうした人のなかから悪意の有無は別として
氏名で検索をかけられたらプライベートな内容を
記載してたとすれば詳らかにされかねない。
最近はソーシャルハラスメントなる名前でそうした行為は
批判されるようだが、それよりもプライバシーをネットの
誰からも見られるようなところに残すのはあまりにも
危機管理能力やリテラシーが低いのではないだろうか。
承認欲求が満たされず迷うことはわかる。
辛いのもわかる。
でもそれを簡単に発信できる世の中であればこそ
それに対する正しい知見と想定される危険性を
身に着けておくべきだと私は考える。