自我と無我
自分はどうあるべきか、自分とは何かをずっと考えていた。
でも、それは違っていた。そこまで気負わなくていいんだと。
養老孟司先生のYouTubeを見て知った。
明治以降に西洋化が始まり、英語の文化が導入された。
必ず、主語が必要な文化。
I am a boy.
amがある時点でIはいらない。
自己を明確にすることで自己責任が常にまとわりついてくる。
だから、自分はどうあるべきなのか。自分の存在を認めてほしい。とひどく思い詰めてしまう。
まさに、自分、私だ。
大学に入り何をしたいのか、1年経過したが何を入れたのか。
気になって仕方がない。
この不安の渦から脱却するために一度、無我になりたい。
仏教を学ぶ。宗教を学ぶのではない。思想を学ぶのだ。
生きる術を学ぶ。
養老孟司先生ありがとうございます。
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