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満州引揚げ者
1815 文字
いつかは文字として残しておいた方が良いのではないかと、長年思っていた。
他界した父はアルコールが入って、5時間位過ぎると、満州での生活や逃げる過程を話していた。
父の体験談は半分以上は記憶の底に埋まってしまったのもある。
その話しを書くにあたり、残酷な部分もあります。
その様な記述が苦手な方は読み進めない事をお願い致します🙇
毎年3月頃になると父はお酒を飲みだす。
焼酎でラベルにはゴードと書かれていた、学校帰りに2合のゴード(焼酎)を買ってランドセルに入れて、6キロの道を歩いて帰宅していた。
大量にあると全部飲んでしまうからと言う理由で母が考えた結果、学校帰りに每日2合の焼酎がランドセルに入る事となってしまった、これが重たかった思い出である。
3月頃から飲みだして5月頃迄飲み続ける、飲んで寝ての繰り返し、食べ物は殆ど食べずに焼酎を飲み続ける、これで身体を壊さないのが不思議に思った。
そんな父に母は無理やり、なだめたりしながら食べさせていた光景を思い出す。
そして、5月の終わり頃になるとピッタリ飲まなくなるのである、隣近所の人達は不思議がり、3月が始まると又々始まった~と、来ても直ぐ帰って行った。
飲んだくれである、飲んでいるうちに暴れる、家の中の物が壊れる、テーブルもまともな物ではなくなり、3本足だったと記憶が言う。
真冬に父は暴れた、壁に10センチ四方の穴ぼこが空いて(笑)外が見えるわ~
家族全員これ見よがしに穴ぼこは塞がないで寒さを我慢した事がある(笑)
皆見ない振り{この穴ぼこはお父ちゃんが開けたんだからね〜}と、見せしめみたいに残した。
決まって3月から5月末迄飲んだくれていた、満州から逃げて来た月日なのだろうか ? と思う時がある。
「寒かったな~ 逃げているうちに中国兵と■◆ケに挟まれて橋の下に逃げ込んだんだ、水の中で一晩浸かってな、頭の横を玉が飛んで来てな、怖くてな〜すっぽり水の中に隠れていたんだけど、■◆ケはしつこくて、何時までも撃って来る」
記憶の中の私は小学生
「鉄砲の玉って当たらないもんだよな〜、俺は生きているんだからな・・・」
テレビに映し出されれる中国の映像を、食い入る様に見つめて父は話す。
「この辺りに住んでいたんだ、逃げる時中国人は、子供を置いて逃げろ、子供だけでも助かるからと言うんだよな」
「親父を探しに行きたいな~ 中国人の家族を逃がす為に後から行くと言っていたんだけど、約束の場所に来なかった、生きているかもしれないだろう」
母親と私の父も入れて子供5人で逃げて来たと言う、末っ子は生まれて3ヶ月だったそうです。
父は尋常小学校卒業と言っていたが、未だ11~2才頃の話しで、兄がいて父は次男、そして三男、女の子が二人続いての満州引き上げ者。
「盗賊みたいのがいてな~お金は赤ちゃんのおむつの中に入れて逃げたよ、俺の母親も考えたものだよな」
「色んな所から鉄砲の玉が飛んで来た、後ろを振り返ると皆倒れて行って、夢中で死体の下に隠れたよ」
父の酔が回り出すと何時も逃げていた時の事を話していたが、季節や日付け、順番等は話さなかった。
飲んで暴れた3月~5月末の2ヶ月間は、逃げていた記憶から、逃げる事が出来なかったのかも知れないと考えている。
「満州は広い、何処まで行っても真っ平らでな、全部死体で埋め尽くされていた、死んで1週間もするとお腹が膨れてパンパンになる、寒くても膨らむもんなんだな、その上に乗っかるとボンボンと音が出る」
「ある時◆■ケに見つかってしまい・・・一緒に逃げていた友達を◆■ケの方に付き飛ばして逃げて来た、あいつはどうなったんだろう、勝手に身体が動いてしまった、人間って凄いもんだな」
そこには癒やし切れない後悔が、消し去る事が出来ずに他界するまでうごめいていたのだろう。
「ロシア軍の倉庫に行って鉄板を盗んで来て売っていたんだけど、捕まってしまった、女の兵隊さんが風呂に入れてくれて御飯を食べさせてくれたんだ、美味かったぞ、空きを見て逃げたけど、逃してくれたのかもな」
「夜になるとオオカミが来て屋根をほじくるんだよ、怖かったな〜、あれだけ死体あったんだから食ったんだろうな、人間を味わって、その中には未だ死んでいない奴もいたと思うぞ」
戦争という悲劇は体験した人の心を壊す、一人の人間が死んで行くまで付きまとい続ける。
そんな父は私達家族を守り、裸一貫で炭焼きをやり100頭の乳牛を育み
「牛を可愛がれ、牛に食べさせて貰っているんだからな、感謝すれよ」
長年に渡り言い聞かされた、そして種牛の角に突かれて事故死をした。
父が話していた体験はもう半分は忘れてしまった。
でも、それで良いのではないかと思っている。