夢を夢みる:夢創作とわたし
夢創作は技法でジャンルで、人生だ。
いわゆる商業BLや百合専門レーベルのように独自の商業的なマーケットが存在する他創作に比べ、夢創作はどうしても二次創作に依存しやすい。*1
それに加えて長らく「夢は特殊だから隠れるべき」のような自治ルールを掲げた内ゲバの存在や、「#夢小説あるある」と言いながらどんな創作にでも存在する流行りのテンプレートや技術的な拙さをあげつらって馬鹿にする存在の影響で、夢創作は文化としての記録があまり残されていないのが現状だ。*2
Twitterの夢者さんたちがnoteやwebアンソロ企画でそれぞれの夢創作について記しはじめたのを見て私も書きたいなとは思ったが、なにしろもう人生の半分は夢創作に費やしているので記憶が定かではない部分も多く、途中で放置してしまっていた。
そんな折に新星急報社さんのnote「夢と夢の人々とわたしの話」を読み、驚いた。近年目にしたなかでもかなり夢に対する解像度が高いうえに扱う手つきがフラットで、非夢者ならではの客観性がとても興味深かったからだ。そして改めて私もちゃんと夢創作というものと向きあいたいなと思い、このnoteを下書きから引っ張り出してきたというわけだ。
このnoteでは、大きく分けて
①私が夢創作と出会った経緯(1. 二次創作、そして夢小説との出会い / 2. 夢小説サイトと私 / 3. 夢小説と私(ジャンル変遷))
②いま現在のわたしにとっての夢創作(4. 私にとっての夢小説))
の二点について書いてみたいと思う。私は主に小説を書く字書きなので、言及するのは主に夢小説についてになる。年代的にはゼロ年代のオタク。
1. 二次創作、そして夢小説との出会い
私が生まれて初めて「夢小説」を書いたのは、小学六年生の原稿用紙百ページを使った作文の課題だったと記憶している。「わたし」とその頃よく遊んでいた友人たちが魔女になるために月まで試験を受けに行く、短編ファンタジー小説。「わたし」が「わたし」のために世界を構築し、「わたし」を主人公として書いた物語だった。*3
そうやって小説として出力する前から、私は脳内でカードキャプターになって空を飛んだりデジモンと友達になったり、ハンター試験を受けたりMAHO堂でバイトしたり、ワードローブを通ってナルニアの国へ行ったりしていた。夢創作に出会うずっと前から、「夢思考」もしくは「夢概念」のような想像(もしも自分がその世界に生きていたらどうするか、なにをしたいかというような想像)をして生きてきたのだ。
そんな私が「夢小説」という概念を知ったのは、もう少しあとになってからのこと。確か、中学生になってからだったと思う。ただ一つそれまでと違ったのは、中学生の私の前にはパソコンとインターネットが存在していたということだ。*4
きっかけはもう覚えていない。多分原作を何度も繰り返し読むうちに、もっとなにかを読みたくなったんだと思う。とにかく、広大なインターネットの世界で、私は「二次創作」という文化と出会った。
生まれて初めて目にしたのは、テニスの王子様のBL小説だった。とにかく物語に飢えていた私は、戸惑いながらもそのサイトの作品を片っ端から読み、Indexに書かれた「非公式二次創作サイトです」の文字で「二次創作」というものの存在を知ることになる。
「二次創作」と出会ってからその世界にどっぷりハマるまで、そう時間はかからなかった。そのサイトが登録しているサーチに飛べば、一生かかっても読みきれないほどの「二次創作」があったからだ。自室ではなくリビングの一角で寝起きしていた私は、夜な夜な真っ暗な部屋の中で息を潜めてリビングに置かれたパソコンを立ち上げ「二次創作」の世界に浸るようになり、ついに運命の出会いを果たした。
数日で「サーチで端から全部読んでいくより、好みのサイトがLINKしているサイトを巡ったほうが好みの作品に出会える」と気づいた私が、いつものように小説へ繋がるリンクをクリックしたとき。突然、ポップアップが現れたのだ。
「あなたの名前を入力してください」
正直に言うと、めちゃくちゃ焦った。インターネットに本名を書いてはいけないということぐらいは知っていたので、個人情報を抜かれるとか架空請求されるとか、とにかく大変なことに巻き込まれてしまったと思って半泣きになりながらポップアップを閉じた。
私の恐怖に反して、そこに現れたのはごく普通の二次創作小説だった。ただ一つ、それがキャラクターと原作には描かれていない「誰か」の物語だったということを除いて。
そう、それがJavascriptを使って名前変換を行うDream Maker 1を導入した、夢小説との出会いだった。
2. 夢小説サイトと私
「ヒカルの碁」を読んで近所の碁会所に乗り込み、「HUNTER×HUNTER」の単行本を片手に水見式を行い、「テニスの王子様」を読んで硬式テニス部に入ることを決めたオタクである私にとって、夢小説はあまりにも眩しく、同時に驚くほど身体に馴染んだ。
これまで自分の頭の中だけで夢みていたことを具現化し、それを他人と共有する方法がある。そう知って、私はすぐに夢小説を書き始めた。
テンプレートサイトや素材サイトを巡り、Dream Makerの設置方法を何度も読み直しながらメモ帳にタグを直打ちした。HTMLがなにかよくわからないまま検索して出てきたソースコードを使い、がむしゃらにwebサイト作りに励んだ。そうして数ある無料レンタルサーバーの中からFC2を選び、2010年10月21日に夢小説サイトを立ち上げた。秘伝のソースを継ぎ足し、Dream PHP導入のためサーバーを替えたりしながらも、このサイトは今日まで続けている。
3. 夢小説と私(ジャンル変遷)
私が本格的に夢小説を書き始めたきっかけは、二人の男たちとの出会いがキッカケだった。
家庭教師ヒットマンREBORN!という漫画で五巻の表紙を飾る、雲雀恭弥。
そしてアイシールド21という漫画で九巻の表紙を飾る、蛭魔妖一。
そう、あの多くのオタクを狂わせたと言われる「咬み殺すよ」が口癖の並盛中学校風紀委員長の雲雀恭弥と、泥門高校アメリカンフットボール部泥門デビルバッツの地獄の司令塔、蛭魔妖一である!
今思い返すと「中学生と高校生か……赤ちゃんだな……」と思ってしまうが、当時の私はこのアウトローな男たちにどうしようもなく魅せられ、心を奪われてしまった。*5
だから私は書いた。原作既知異世界トリップ夢小説を。*6
個人サイト運営開始とともに公開したこれらの作品は、上記ツイートで述べているように小説としての拙さや若さゆえの思いきりが恥ずかしく、今はもうサイトからは取り下げてある。しかし私の夢小説のスタートは、「自己投影型恋愛夢小説(with暴力)」だった。
ただこの頃の私は夢小説の中にも分類があることを認識していなかったので、自己投影夢だと思って書いていたわけではない。おそらく名前変換機能をつければ、どんな突拍子もない設定の夢主人公が出てきてもそれは夢小説である、ぐらいの認識をしていたと思う。*7
個人サイト運営開始時に私が連載として執筆していたのは:
・家庭教師Reborn! 原作既知トリップ(女夢主)
・アイシールド21 原作既知トリップ(女夢主)
・HUNTER×HUNTER 原作前既知トリップ(女夢主)
・夏目友人帳 友情+恋愛夢(女夢主)
・ファイブ 友情+恋愛夢(男装女夢主)
・青春攻略本 友情+恋愛夢(男装女夢主)
・Persona 3 友情+恋愛夢(男主人公と対をなす女夢主)
という感じで、そこから戦国BASARAやTIGER & BUNNY、ヘタリア、無双シリーズ……という感じで手当たり次第に書きたいものを書いていった。いわゆるよろず/雑食サイトと呼ばれるタイプだ。
最近はBLDや世界観夢*8 をメインに書いているので、ここまでヘテロの恋愛夢ばかり書いていたのかと我ながら驚く。男装夢主を多く書いていたのは、単なる好みというより思春期を迎え女体と向き合いあぐねていたことが影響しているのだと思う。
このように、夢小説を書きはじめた当初(2000年~)の私にとって夢小説は「原作のキャラクターを相手に(主に恋愛感情をともなう)関係性を構築する、名前変換が可能なweb二次創作小説」だった。
読み手としてのぼんやりとした記憶では、テニスの王子様やホイッスル!、銀魂あたりもたくさん夢小説が存在していたような気がする。あと2000~2005年頃にはやたらとバトロワパロの夢小説が存在していたイメージがある。おそらく映画バトル・ロワイアル(2000)の影響だとは思うが、スポーツ青春ドラマ系の作品でよく血で血を洗う戦いをしていた。あの日一人生き残ってしまい親御さんから頂いた、同級生の遺品の眼鏡はまだ私の心の奥底に眠っている。
それと同じぐらいスポーツもので流行っていた印象があるのが、嫌われ夢だ。だから最近の悪役令嬢転生ものや審神者、監督生の嫌われ創作を目にすると懐かしい気持ちになる。*9
こうして個人サイトをメインに細々と夢創作をしてきた私の視野をグッと広げてくれたのが、Twitterだった。昔なら@now_fes、最近だと繋がりたいタグを通じて、それまで見たこともないぐらいたくさんの夢者と出会い、夢者の数だけ夢創作があることを知った。
4. 私にとっての夢小説
私と夢小説の出会いと変遷を回顧して長々と書いたので、最後にいま現在の私にとって夢小説がどういうものか考えてみようと思う。
私にとって夢創作は文字通り作者にとっての「夢」であり、限りなく自由な二次創作の形態の一種である。夢小説だけではなく夢絵や夢漫画、夢コスや夢香水など夢創作の種類も多様化している今、名前変換機能がないと夢ではないというのはあまりに乱暴だろう。*10
より個人的な感覚の話をすれば、私はトリップ主のように外部から現れる場合を除いて「原作で描かれない誰か(夢主)を挿入する」というより「そこにいたかもしれない誰か(夢主)を彫りだしている、別の角度から写真を撮っている」イメージのほうが近いかなと思う。
それは言い回しの違いでは?とも思うのだけれど、私が夢主を「挿入」するとき、その夢主は世界にとっての「異物」であるものとして扱うことが多い。反対に、夢主を「彫りだす」ときには「夢主は最初から物語に存在したがスポットライトが当たっていなかった」ものとして扱っている。いやこれ感覚の問題だな。
なんにせよ、「原作のキャラクターを相手に(主に恋愛感情をともなう)関係性を構築する、名前変換が可能なweb二次創作小説」からスタートした私の夢創作は、二十年の時を経てより自由なものになったと言える。
夢小説の構造や夢主についてはまだ自分でも考えがまとまっていない部分があるので、ここで書くのは割愛する。「夢小説について考えたこと(元「夢小説とは二次創作上の「横紙破り」なのではないか」)」というツイート群や「「名探偵」と「夢主」は似ているし「お前面白いな」問題は夢小説における「後期クイーン問題」だという話」というブログ記事が面白くてオススメ。あとは2016年に
みたいな分類表を作っている人もいるよ!
夢創作を書き手としても読み手としても消費している立場から言えば、「作者がそれを夢だと言ったらそれは夢」だとも思っている(同じように、作者が夢じゃないと言ったら夢じゃない)。これがとても大雑把で乱暴な言いかたであることは百も承知だ。でもあなたの作品の創造神があなたである以上、世界をどう構築するかはあなたが決めていい。
キャラクターに恋する私も、隣のクラスのあの子も、キャラクターに埋められる僕も、キャラクターカップルを観測する俺も。すでにこときれたアタシも、道行く猫もモブおじさんも無機物も、作者がそれを夢だと思って創作すればみんな夢主人公になり得るのだ。
だからキャラクターと付き合っても、殺しあっても、一緒に死体を埋めに行っても、街角ですれ違っても、週に一度カフェでやりとりしても、家族になっても、別れても、崇拝しても、村を焼かれても、広い世界の中で一度たりとも出会うことがなくても、それは夢になれる。
BL創作において「スーパー攻め様は必ずオークションで受けを落札するべき」や「女装攻めはBLじゃない」「セックスしてないならBLではない」なんて言うのがナンセンスであるように、その作品の作者以外が「〇〇は夢じゃない」と言うことに意味はない。*11 こう言うとやっぱり他の夢者さんたちの「夢とは可能性だ」という言葉がしっくりくるように思う。*12
少なくとも私はそう思って今日も夢をみて、創作している。自由で楽しい夢創作を愛しているから。
感想や思い出などなにかあればこちらへ。
5. 脚注
(脚注1) もちろん一次夢創作(主に名前変換が可能な一次創作小説のことを指すのだと思っている)というものも存在するが、比率としては圧倒的に二次創作のほうが多い。夢創作とインターネットバトルについては「ひっそり夢女と古代夢小説文明の思い出」や「人によって「夢小説」の範囲が違うのは、大富豪のローカルルールみたいなもの説」などのブログエントリや「夢小説を「黒歴史」と見下す風潮」のツイートまとめがわかりやすい。もっと深淵を覗きたい人は「夢と女審神者」について検索するといいかもしれないが、こちらは具合が悪くなるレベルの悪意も混ざっているのであまりオススメはしない。
(脚注2) 比較対象としてBLを例に挙げると、「BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす」や「オトコのカラダはキモチいい」、「ボクたちのBL論」など、BLに関して論じ、学問している書籍は多い。夢創作では、2013年にゆめこうさつぶ!さんから「ゆめこうさつぶ!~庭球日誌~」という同人誌が発行されているが、観測範囲に偏りがある以上夢創作というジャンルそのものに関する言及として扱うのはいささか乱暴だ。夢小説について書かれた論文「腐女子と夢女子の立ち位置の相違」にも目を通したが、「これは夢文化の一面」ではあるが全てではないなという感じ(当たり前)。
(脚注3) この頃私はおジャ魔女どれみにハマっていたので、今から思うとあれは一時創作の形をとった二次創作だったと思う。しかしもちろんこの頃は夢小説どころか二次創作の存在すら知らなかった。
(脚注4) パソコン学習自体は小学校で開始し、小学校高学年にもなると子供用のホームページビルダーサービスを使って特に中身のない自分のwebサイトを作成していた。多分この経験のおかげで夢創作個人サイト作成へのハードルも低かったように思う。
(脚注5) こうやって並べると、「どちらもバリバリのホモソーシャルを暴力で支配し、頭はいいが泥臭い戦いもする」という共通点があって面白い。原点というか、オタクとしての自我の芽生えを感じる。
(脚注6) 原作既知異世界トリップとは、「原作の知識を保有した状態で異世界から原作世界にトリップする」物語である。原作知識なしトリップも存在する。
(脚注7) 後述したように、私が夢創作そのものについて考えるようになったのはTwitterを始めてからだ。ちなみに夢創作の話をする場合自己投影やオリキャラについての話はつきものなのだけれど、ここでは割愛する。
(脚注8) BLDとはBoys Love Dreamの略で、男夢主と男キャラクターの恋愛もしくはそれ以外の何かしらの関係性を描いたもの。そこからさらに男主攻め/男主受けなどに分類される。世界観夢は、原作の世界観を使用して書かれた夢。原作に出てくるキャラクターが一切出てこず、その世界で生きている誰か(夢主)の生活や思いのみを描いたものも世界観夢である(と私は思っている)。
(脚注9) バトロワパロは、1999年の小説もしくは2000年の実写映画「バトル・ロワイアル」のパロディ創作で、さっきまで友達だったキャラクターたちと殺しあいをさせられるもの。嫌われ夢は夢主を陥れる第三者のせいや勘違い、もしくは単純に夢主に非があってキャラクターたちから嫌われる夢創作である。嫌われ夢については、「不動峰中学校と嫌われ夢小説の話」というnoteが面白かった。
(脚注10) もちろん名前変換機能が夢創作にという文化にとって大切なものであるということは否定しない。最近ではPixivに単語変換機能が追加されたり、PrivatterやTumblr、WordPressにも有志が作った名前変換機能つきのテンプレートが存在していて、ありがたい限りである。ただ夢絵や夢漫画、紙媒体での夢本を愛する夢者たちがたくさん存在する以上、「名前変換が可能じゃないと夢じゃない」というのは乱暴だよねという話。
(脚注11) ここでBLを例に挙げているのは、私がBLも愛するオタクだからで、別に夢とBLの対立構造を煽ろうとしているわけではない。そもそもそんな対立構造はない。人類、男主夢を読め。夢とBLについては2017年に書かれた「腐女子こそ夢小説を書くべき論」などが面白いので興味があれば読んでみてほしい。
(脚注12) 「私にとって、夢小説は可能性の場です」/ 佐十さんのnote記事「夢創作が好きなあなたへ」より、「夢という可能性」/ 花子さんのwebアンソロジーエッセイより
ヘッダー画像:Photo by Cosmic Timetraveler on Unsplash