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7日後に死ぬと決めていきてみた7日目

長い長い6日目が続いた。髪型が変わり、話題が変わり、季節が変わった。それでも6日目は終わらなかった。終わらせることができなかった。でも、7日目は来た。

死ねない理由なんていくら立ってもわからなかった。日常は進んだ。理由はなくとも、止まりはしなかった。死にたい僕は息を潜め、日常に身を委ねる僕が3月のぬるい空気を漂った。

なにかになりきろうとしていた僕は、いなくなった。いや、なにかになりきろうとしていただけの僕は、もういない。でも、幾千もの目の一つ一つの視線の先を一緒に探すだけの僕ももういない。彼らは、一人ぼっちではなくなった。そのときに、春がきて、7日目がきた。

生きてる理由なんてなかった。誰がなんと言おうと、生きなきゃいけない理由なんてなかった。理由があったら、それは「生きてる」呼ばないんだと思った。他者からの羨望への渇欲を埋める、身につけてしまった固定観念を盲信する、自分に嘘をついて自分を肯定する、そんな理由のために日々酸素を二酸化炭素に変換する活動は、決して「生きてる」なんて呼ばない。僕は絶対、それを「生きてる」とは呼ばない。

誰かが与えた理由が存在しないこの場所で、自らの生を実感すること。自分の中の喜び、脳と心の抑揚、ありふれるエネルギー、それらを自分の世界として発見していくこと。僕は、脳内の辞書の「生きる」という定義をそう書きかえた。

そう考えたとき、生きてみたいと思った。理由はない。でも、自分の中のありふれた世界を形としてこの地球と呼ばれる空間に映し出すこと、そうなった世界を見てみたいと思った。絶対にそれは面白いと思った。それは理由ではないし、価値があるかどうかなんて知らない。でも、ただただそうしたいと思ってしまった。

今は死んでる。うまく「生きてる」をする自信も保証もない。でも、生きたいと思った。本当はなにもないこの世界、僕は身一つ。握っている携帯をおいて、架空の鎧を脱いで、感じる全てを楽しんでやろうと思った。

秋元いちかは高畑瞬に問う。あなたの生きるを。この広い地で、残らない一瞬の瞬きに、僕はどんな世界を築いてやろうか。

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