【9月の編みlog】残暑の候、vibesだらけの秋のはじまり
近況
9月分をまとめている10月の頭ですが、
いよいよ本格的秋到来を感じました。
夕べの夜は肌掛け1枚では
足が冷えて丸まってしまう自分がいて、
朝のコーヒーの温かさも
心地よさベストの頃合いです。
夏服は何年経ってもピンとくる
トップスが見つからないままなのに
秋は何げなく寄り添ってくれて
見事に色褪せたのに
手放せない服のストックがたくさん。
長袖ワンピースと
もこもこ靴下の肌触りが恋のようです。
秋大好きだと改めて実感します。
脳内がLife is Strangeくらいの
ノスタルジー風フィルターが
かかっている日々が開幕します。
季節感が関連するお仕事では、
各シーズンのものを用意するため
自然とスケジュールが前倒し前倒しになって
季節感迷子になることが多いと思われます。
私も経験していますが、
毎年に夏に溶けるメレンゲの気分になったり
真冬に輝く太陽のスパークルを
描いたりしていると
季節感が記号上の存在になって
行方不明になります。
でもやっぱり、
本当にその時々の瞬間にしか
感じられない風の温度とか
枯れ葉が風に舞って
さっくりと落ちる音とか
歌詞の響き方や、
遠ざかった昔日の涙の記憶や
妄想の中の森の鮮明さがあります。
夏の蒸し暑さは多かれ少なかれ
正気を搾り取るもので、
心の中にはそこはかとない苦痛が
天球となりジリジリと照射してきます。
申し訳程度の平気なフリをするために
堪えているといつも
世界がぼやけていました。
あらゆるものが
陽炎のように揺らぐ夏よりも
繊細なままでも許される
気分になりやすい秋が好きです。
いつか秋に
お盆のような長期休みが
できたらいいですね。
9月に編んだもの
先月号はこちら↓
秋の真夜中のランプサイド
この時期から、
思いついたとき、または
別のものを作っているときの寄り道で、
完全オリジナルの簡単小物を
よく作るようになりました。
で、たぶん8月あたりから、
ずっと逆台形とか、タンブラーみたいな
逆円錐台を作ろうとしていて、
普及している編み方が出てこないので
ひっそりと実験を重ねていました。
これの実験中に、
とにかく謎に副産物ができます……笑
このランプもその一つです。
ランプカバーって、逆円錐台ですね。
まだまだ増減目による造形が
まだうまくできずに、
途中で変な膨らみ方をしてきたので
神は言ったんだランプ作るんじゃ、
状態になり
するとランプができました。マジでノリ(´ω`;……。
柱の芯は割り箸を爪切りヤスリで
角を取ったものですし、
台座は(おしゃれデザインで)
一回り小さいので
ギリギリ安定するという
やや危うい感じだったので
改良するとしたら、
台座に厚紙などを
ちゃんといれることですね。
小物入れ
同じく逆台形の実験副産物です。
ボタンやダイスなどの小物を入れるのに
ちょうど良いこじんまりサイズ。
目指すのはこの⬇イメージですが、
途中で形を膨らむパターン編みを入れて
形状維持がどこまでできるものかを
実験したくなった結果、
案の定規則的な形に出来ませんでした。
玉編みなど分かりやすく
膨らむものでなくても
長編みが入って細編みが抜けると
結構変わるものですね。
パンプキンタルト
この時期はまだ暑くて
脳内ネガティブ阿鼻叫喚だったのですが、
秋の先取り編みぐるみを
ちまちま作り始めました。
厚揚げ編みという謎の
オリジナル二連yarn underで作る
ニット柄と立体の作り方が
まだ分かってないから
後付けクリームだけ
ペラい2D仕様で仕上がりました。
でもかわいいです⸜( ' ᵕ ' )⸝
厚揚げ編みの理解も
本当に編み物の仕組みを
正しく分析できた上に成り立ってるのか
いまさら知れば知るほど
よく分からなくなってきたし、
なりより引き抜き編みはyarn underだと
圧倒的にやりづらいのであります(´・ω・`)
謎の厚揚げ編みについて
詳しくはこちらの記事でご確認できます⬇
はじめてにして至高(当社比)のカボチャ
照明が足りないことによって
思いがけずにすっかり
静物画の雰囲気になった
お貴族感のある神々しい1枚でした。
カボチャの編み方は本当にいろいろのようで
往復編みでも、輪編みでもできて、
本当に様々な工夫やアイディアを
先人の編み物作家さんによって
編み出されたなと実感しました。
まだまだ試したい
カボチャの編み方がたくさんありますし
カボチャのニット柄に無限の可能性と
追求できる美学があることに
気づきはじめました。
つまりはカボチャは沼ということです。
最高かよ。
サイズ感と形がよくわかる動画もありますので
ぜひ見ていただきたいです。
初心者による稚拙なもので恐れ入りますが、
それでも編みカボチャの
驚異的かわいいパワーの素晴らしさが
十分伝わると思います- ̗̀ ( ˶'ᵕ'˶) ̖́-
マイかぎ針入れスリーブ
まだまだ続く、逆台形編み方
開発中の副産物です。
ドリンク容器スリーブは文句なしに
イージーメイドで使い道があって
個人的新時代コスパ最強三姉妹の
栄えある三女だと思っています。
ちなみに長女はコースターで、
次女はまだ考えています……笑
エコたわしはやたらとこの枠で
推奨されますが、
エコたわしって、
なんか違うんだよなって個人的に思います。
たわしってもっと
強度あってしぶとい素材と作りを
こだわりたくなってしまうというのと
捨てる&汚す前提で作るというのに
抵抗があります。
……ちょこまかしていいやという
怠惰が入り込みそうで。
もちろん毛糸でつくる
強度厚み美しさ全部において
すばらしい仕上がりの作品も
見かけたことがあり、
もっっっっったいなくて
消耗品として使えないよ。゚(゚´Д`゚)゚。
という気持ちになりました。
にしても、思いつきで最後に足した
うさちゃんの適当さよ(´ω`;)……
最近これ↑にハマって、
既刊2冊の単行本を購入した上、
163話という途方もない数で
完結を果たした連載を読むため
comicoで毎日
マー○マンションやら
ロイ○ルマッチの釣り動画を
延々と再生するハメになったのは
また別のお話です。
作者の狂気の斜め上ギャグセンスが
天才すぎるので
疲れた現代人の頭のネジを
ぶっ飛ばす効果が
素晴らしくあり、おすすめです。
各サイトの純粋無料公開分で
21話まで読めますので、ぜひ。
カード入れ
無印の64×52×20mm
ポリプロピレン小物ケースを
編みくるんだものですが、
地味に目的用途のため
工夫を凝らした試作品です。
まず、このサイズは
無印の小物入れラインナップにあるもので
デフォルトでカード入れとして
想定されていないものですが、
ボドゲのカード収納には相当優秀な寸法で、
通常のカードの厚みで、スリーブつきでも
70枚以上スッキリ入る大容量でした。
で、目的用途は友人とのボドゲ会の
プレイ中卓上に出す、捨て札置き場です。
ボドゲがあまりされない方は
イメージしづらいかもしれませんが、
ボドゲをよくする方なら、
このピンポイントの
需要が結構潜在的にあるのが
分かると思っています。
あれです、
捨て札まとめづらい問題です。
カードをいっぱい
引いたり出したり捨てたりやりとりする
準重ゲー以上のものをプレイする場合、
人数も多ければ、捨て札も大量に出ます。
するとみんなが捨てやすいよう
卓上にいくつか捨て場を作りたいものです。
でも卓上にただ場所を作るだけだと、
かさばるし、崩れやすくなります。
場に出ているカードなどと混ざらないように
気にするのも疲れることですし、
途中で山札がなくなる場合、
捨て札をシャッフルして
山札に戻す作業もありますので、
ある程度ゴチャゴチャにならない形で
整理された捨て方をしたいですね。
なのでこういうカード入れサイズの
卓上小物収納は
地味に重宝されるアイテムになるわけです。
そう思って作りました。
こだわりポイントとしては、
・ケースサイズにぴったりであること
・開け閉め時の伸縮に問題なく対応できる作りであること
・蓋が閉じた時は中身が見えないこと
などがあります。
その中で、松柄とジグザグ柄を
アレンジして入れるチャレンジもしました。
こだわりポイントを達成するため
地味にいろいろと考えるので、
初心者の練習になりました。
例えば動画の開閉時のところを
見ると分かるように、
蓋の開閉と閉合時の見た目を実現するために
蓋が後ろから横、前に徐々に出っ張る形、
側面の縁が手前に短く後ろに長い形が
接合部分が綺麗にかみ合うのが分かったので
側面の横は前に向かって
微妙に斜めに短くなっていくよう
蓋の横は前に向かって
微妙に斜めに長くなっていくような
形で微調整してあります。
まあ今回で一番練習になったのは、
長方形底の、目的面積からの
最初の段の目数逆算かもしれません。
うまく合うとめちゃくちゃ
胸をなで下ろします。
おわりに
9月の編み物ライフはこんな感じでした!
……総括にしてはただの
突飛もない変人感想ですが、
最近の物作りスイッチが入ったときの状態は、
砂場の遊びや積み木遊びやマイクラにも通ずる
ブレイグラウンド/サンドボックス的な
ものでもあり、
神が混沌から世界を作るような
気持ちの片鱗でもあります。
各宗教の創世神話ではいかにも
神がバシバシと迷いなく
世界を作ったという流れを
記されていると思います。
(創世神話の超絶余談ですが、
ヤハウェやブラフマンのように、
「あれ」といったから作られたような
作り方に言及しないほど
抽象的で形而上的な
神話類型がある一方、
伊邪那岐、伊邪那美の矛から滴る
泥が最初の日本国土こと
今の淡路島あたりをなしたり、
女媧が黄土の泥人形をこねて
最初の人間を量産したりしたりする
などといった、
なぜか泥(泥遊び)に関連する
類型もちらほら
見かけます。
風水土火の四大元素や、
無からではなく、泥なんだな。
おいらたち、泥から作られたんだって。
妙に頷けてしまっていつも
しみじみと味わってしまいます。
マジで余談だな)
それは神も
インスピレーションのようなもの、
または「そうなる/するべくしてなる
世界の運命」を受信して
作る主体の働きを引き受けて
表現したにすぎないような
「思惑」や「動機」すらないような
無の状態でお作りになられたのでは、
と思ったり。
私も作りたい気持ちが舞い降りたら、
作っているような気がすることが
しばしばあります。
舞い降りた「気持ち」が作っているのであって
私がどうこうという話ではなかったです。
理屈は過去の蓄積がなった人間の頭を
越えられないから、
理屈以上のものを孕むことは、
どこか神のように超越的な性質を
有しているのかもしれません。
仰々しい言い方を
好んでいるわけではないので、
言い換えれば、理屈以上のものというか、
理屈やら予定の枠内にないものに
操られたときに
間違いなく潤沢な自由がありました。
無我夢中、という語に
「無我」が入るわけですね。