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大いなる隠蔽

元WSJ記者Asra Q.Nomaniの論考抄訳


イスラム原理主義者は宗教的欺瞞をもってマーサ・アミニを圧殺した
しかし、女性はこの闘いに勝つことができる

マーサ・アミニの死刑は、43年前から定められていたものだ。ある虚構に基づいている。
1979年2月1日、狂信者アヤトラ・ホメイニは亡命先のパリからイランに足を踏み入れ、この国の権力を掌握した。民主主義、公民権、そして女性が髪に風を、腕に太陽を、脚に草を感じる自由を廃止したのである。
その日から、イラン、インドネシア、そして私の母国インドに至るまで、何世代もの女性が、専制的な宗教指導者らの「神は女性に、名誉と貞操を守るため、髪を隠すよう命じている」という欺瞞に支配されてきた。このヘッドスカーフには、「ヒジャブ」という偽りの呼称が与えられている。
しかし、このドレスコードとジェンダー・アパルトヘイトを、女性たちが打ち破る日がやってくる。世界がついに、イスラム共和制の不当な暴力と不条理に気づいたからだ。

43年前、ホメイニが原理主義的で残虐なクーデターを起こした時からずっと、様々な勢力がこの虚構に加担してきた。手を替え品を替え現れるその姿は、多くは西洋の世俗的な顔をしている。特にアメリカのアパレルブランドやインフルエンサー、『Glamour』や『Teen Vogue』といった女性誌や少女誌がそうだ。その世界では、たとえ本当のことであっても、「イスラモフォビア」と目されるようなことは何も言えないし、書くこともできない。強制されたヒジャブが、女性を支配し抑圧する棍棒から、女性解放のファッション・アイコンへと変貌を遂げたのである。

このオーウェル流の曲解は、危険であると同時に理解不能であり、解放者の顔をした抑圧者にお墨付きを与えるものであった。今週末、ロサンゼルス・タイムズ紙は、「ヒジャブファッションブロガー」ホダ・カテビの論考を掲載した。イラン女性は宗教指導者の専制でなく「西洋帝国主義」に抑圧されているのだ、と主張する、もう一人の体制の擁護者である。

カテビ個人が単なるインフルエンサーの一人に過ぎないかもしれないとしても、その発言を根拠に、西洋文化の意思決定層が強制を自然な状態であるかのように書き立て、専制政治に力を与えている。
9月13日、火曜日の夜。首都テヘランの「道徳警察」は、イランの少数民族クルドのなんの罪もない女性、マーサ・アミニを警察のバンに押し込み、あの恐ろしい拘置所へと連行した。何の容疑で?「ヒジャブの着用が不適切だった」のだそうだ。
その彼女は現在、故郷クルディスタンの地に眠っている。拘置所で暴行を受けたのだ。民衆は「マーサ・アミニは殺された」と口にして憚らない。母親はイランの報道機関に「悲しみのあまり、私はもう死んだも同然」と語った。

それ以来、国民の怒りは爆発している。反体制デモに加わり殺害された弟の墓前で、悲嘆に暮れた姉が髪を切る。白髪の老女はヘッドスカーフを振り回す。抗議を続ける群衆の希望は、マーサ・アミニの死が、イラン・イスラム共和制の遅すぎる終焉を決定的なものにすることだ。

とても他人事とは思えなかった。
私はインドで生まれ、米国で育ったイスラム教徒の女性で、好きな服を着る自由がある。マーサの生命維持装置のアラームが鳴り響く音が、耳に、心に今も響いている。テヘランのダウンタウン、国営カスラ病院。彼女の最期をとらえた悲痛な映像に、心を動かされない者があるだろうか。こんな風に終わるべき女性の人生などあるものか。

テヘランでの死

マーサが命を落とすまでの最後の数時間を紐解くには、長い時間を要した。国民を恐怖に陥れる、イラン政府とイスラム革命防衛隊(IRGC)の密室と監視を把握するため、その詳細と地理を理解することが重要になる。米国、サウジアラビア、バーレーンはIRGCをテロ組織に指定した。世界はこれに続かなければならない。IRGCの指導者を打倒し、幹部や家族の入国拒否、資産の凍結、「道徳警察」を含むイランでのテロ行為に制裁を加える。テロリスト政府との「核取引」に関するこれ以上の交渉を拒否しなければならない。

マーサと彼女の兄がクルディスタン州サッケズの家からテヘランに出かけたのは、大学の授業が始まる前の、ちょっとした休暇のことだった。テヘランは22の地区に分かれており、その面積は約280平方マイル、シカゴとほぼ同じ広さである。約8400万人の人口のうち、約1600万人がテヘランに住んでいる(東京都の人口に匹敵する)。イランはトルコ、ドイツに次いで、世界で17番目に人口の多い国だ。

兄の証言によれば、運命の日の午後6時ごろ、聖防衛博物館にほど近い地下鉄シャヒドハガニ駅を出たマーサは、「指導パトロール」の副隊員に突然行手を阻まれたという。テヘラン警察の責任者であるホセイン・ラヒミ准将は、タイトなパンツとルーズなヘッドスカーフという「不適切な服装」を見咎め、マーサを叱責した。

兄のキアレス・アミニは、自分達が町外から来たことを説明し、見逃してほしいと懇願した。しかし捜査官は、マーサを捕らえてバンに押し込み、兄の腕を後ろ手にひねって拘束した。そして彼女は数マイル離れたボザロ・ストリート拘置所にある「再教育クラス」に連行すると告げられた。道徳警察の司令本部として知られている場所だ。
キアレスはバンの後を追った。

イラン当局が公開したCCTV映像を確認すると、その若い女性は拘置所内を通って、椅子に座った女性収容者でぎっしりの小部屋に入っていった。ベールとガウンをまとった女性所員がマーサのヘッドスカーフを引っ張り、彼女は床に倒れた。兄の証言によると、マーサはその時既に暴行も受けていたという。

拘置所の外にいた兄の耳に、悲鳴が聞こえた。必死にドアを叩くと、警備員に警棒や催涙ガスで暴行を受けた。救急車がビルの外を疾走していく。混乱の中、彼は必死で、飛び出してきた収容者に妹の写真を見せて回った。その中の一人が、マーサを抱きとめ、「楽にしてあげようとした」と答えた。
愕然としながら、数ブロック離れた国営カスラ病院に駆け込む。そこには、挿管され、腕に点滴を挿され、顔に包帯を巻かれたマーサの姿があった。
その夜、医師は家族に「残念ながら」と告げた。

「女神」が「恐怖」に置き換わる
今日、イランでスカーフを焼く女性たちは、イスラム教の誕生以前から伝わる女神の末裔だ。紀元前4000年頃には、ペルシャ人はZan-khodayanと呼ばれる「女神たち」を崇拝していた。何世紀にもわたって、アメストリス女王、アンザゼ女王、ザンド女王といった名前の女性君主の指導力を称えてきたのである。

教条的な宗教指導者が台頭する20世紀初頭、イランの女性たちは結集し、1910年に「婦人秘密結社」を組織したと、イラン出身の作家マンダ・ザンド・アーヴィンは同名の著書に記している。女子教育を実施し、雑誌を発行、議会の開催など、女性や子供の権利を守るための改革を促した。
しかし、イスラム原理主義、神権政治、宗教法(シャリーア)の統治を押し進める運動の台頭が、女性の権利を阻んだ。政治的イスラム、すなわちイスラム主義である。

1979年、ホメイニが政権を握ったとき、私は13歳で、アパラチア山脈の麓にあるウエストバージニア州のモーガンタウンにいた。イスラム教の少数派であるシーア派の神権政治の勝利だった。
数週間後、1979年3月8日の国際女性デーに、マンダ・ザンド・アーヴィンは祖母、母、娘、そして10万人ともいわれるイランの女性たちとともに、テヘラン大学から市内にむけてデモをおこなった。「自由は東洋でも西洋でもない。普遍的なものだ!」

しかし、この女性運動は猛烈な反対を招いた。ペルシャ湾の向こうでは、サウジアラビアの宗教指導者たちがスンニ派の教義的解釈を競い、女性に髪を隠すよう命じているというコーランの誤訳を世界中に流布した。教条主義者にとって、格好のプロパガンダだったからだ。

私がその教義に初めて触れたのは、とても個人的な経験からだった。ある日、モーガンタウンのコロシアムのトラックを走り回っている私を見て、いとこが私の両親に言った。「短パンの下を隠した方がいい。脚がまる出しじゃないか」。アラビア語で「違法」を意味する「ハラム」という言葉を用いて、彼は宣言した。
インドに生まれ、黒いガウンとフェイスベールに包まれて育った母は、宗教指導者の原理的なドレスコードを拒否した。1950年代のアザムガルで、一族で初めてフェイスベールを脱いだという祖母を母にもつ私の父も、その諫言を無視した。

両親は(イスラム共和制によって)真実が踏み躙られていることをたしかに知っていたのだ。今日、イランからサウジアラビア、カタール、トルコ、アフガニスタン、そしてテキサス州ヒューストンのイスラム教徒の中に、アラビア語のヒジャブは「ヘッドスカーフ 」を意味すると主張する者がいるなら、それは欺瞞である。
アラビア語でヒジャブは「幕」を意味し、また、誰かや何かを 「隠す」「妨害する」「隔離する」 という意味でも用いられる。コーランの中で、ヒジャブが髪を隠すという意味で使われたことは一度もない。女性が髪を隠すという戒律は、コーランの誤った解釈に基づいている。

ヒジャブという言葉、あるいはその派生語が、コーランに登場するのはたった9回である。私は自分のサブスタックでも、この偽りの教義を払拭するため、語彙について詳しく解説している。

  1. 「天と地獄の間の「分離壁」(7:46)

  2. 「バリア」と 「コンシールドパーティション」(17:45)

  3. 「スクリーン」(19分17秒)

  4. 「預言者ムハンマドがメディナに来て5年目のある日。結婚式の来賓が預言者の家に長期滞在することになった。そこで、妻たちに話しかける際のエチケットとして、いくつかのルールが設けられた。「何かを頼むときは、ヒジャブ越しにしなさい。そうすれば、おまえたちの心も彼らの心も清らかに保たれる」。
    ここでいうヒジャブとは、仕切りやカーテンのことである。

  5. 「パーティションまたはカーテン」 (33:53)

  6. 「隠された」または「闇」(38:32)

  7. 「仕切り」 (41:5)
    コーランでは、ヒジャブは決して敬虔さを意味するものでなく、むしろ否定的な意味合いを持っている。この節では「私たちの心はヒジャブの下にある」と記されている。

  8. 「分離の壁」(42:52)

  9. 神から「遮断される」または「アクセス拒否」(83:15)

  10. 「その日、彼らは主に会えなくなる」とこの節にはあります。Mahjaboonはヒジャブから派生した動詞である。サウジアラビア語訳のコーランでは、「ベールを被った」と訳されている。実際に、この用法がなされる場合、「立ち入りを拒否される」という意味である。

指導者がヘッドスカーフの根拠として最もよく引用する詩(33:59)には、「預言者よ、あなたの妻、娘、信者の女性たちにジルバブを巻くよう命じなさい。そうすることで、女たちは認められ、傷つかずにすむ。神は何より寛大で慈悲深い存在だ」とある。
辞書の上では、ジルバブとは当時の伝統衣装であり、「丈の長い、だぶだぶのガウン」のような意味がある。ところがサウジアラビア政府の翻訳には、括弧内のような注釈が加えられているのである。

預言者よ。あなたの妻や娘、また信者の女性たちに、全身を外套(ベール)に包むよう命じよ(つまり、ものを見るために片目だけを残し、それ以外の全身を覆い隠すのだ)。そうすれば女たちは守られ、認められる。神は寛容にして慈悲深いお方である。

そう、片目だ。
ヘッドスカーフ強制の正当化によく使われている別の節(24:31)にはまた、こう記されている。

——そして信者の女たちには、目線を落とし、貞節を守り、みずからを飾り立て誇示することなく、ケマルを首にかけるよう命じなさい。

古代アラビア語の詩に登場するケマルは、裕福な女性が身につける上質な絹のスカーフのことだ。ヘッドスカーフではない 。

悲しいことに、これがマーサ・アミニの死をもたらしたものなのだ。この国の宗教指導者たちが、女性に恐怖政治を敷き、厳格なイデオロギーを遵守さるため生み出した虚構を、知識層が受け入れてしまったからだ。
これらのイデオロギーは敬虔さのあらわれなどではなく、女性の身体、生命、自由を束縛したいという世俗的な欲望でできている。メディア、思想家、進歩的な人々、そして生活者は、イランで起きていることに目を向け、前時代的なイスラムのドレスコードに抗う国民とともに立ち上がるべきだ。
祖国の伝統を受け継ぐ現代イランのフェミニストたちは、新たな「婦人秘密結社」となった。手を取りあって歌を歌い、鬨の声を挙げる。「私はふしだらなんかじゃない。一人じゃない。こんなもの脱ぎ捨ててやるんだ」。

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