午後二時、病棟での白昼の惨劇
「千の点描」 <第ニ三話>
病院の大部屋には六人の患者が入院していた。大部屋はほぼ正方形だが、左右の幅より奥行きの方が心持ち長くなっていて、奥の突き当りには壁面の六、七割を占める大きな窓があった。この部屋に六つのベッドが置かれている。手前の方には互いに足を向け合ったベッド二つが対になっていて、対になった二つのベッドが奥へと三列並んでいる。私は入り口側に一番近い対のベッドの左側にいて、私の一つ窓寄りのベッドに労働組合の委員長がいた。
一般の人なら労働組合の委員長と聞くと、どんな人かと興味を持つかもしれないが、私の長兄の友人が割と有名な全国組織の労働組合の委員長で、学生時代からよくわが家を訪れていた。兄の友人は、一貫して酒と女にだらしのない男だったので、私の意識の中での労働組合の委員長のステータスは高くなかった。
実際にいま私の隣で横になっている病院の組合の委員長は、黙っているといかにも頑固そうな顔をしているが、何か話し出すと一気に頬が緩んで迎合的な表情に変わる。すでに一〇年ほど前に組合をリタイアしていて、何度か話してみたが何とも覇気のないどこにでもいるような人だった。
ストライキが盛んな時代のせいもあるのだが、周りの患者たちは、多少尊敬の気持ちを込めていつもこの人のことを「委員長」と呼んでいた。そう呼ばれるとこの人も満更でもないのか、時に拳を振り上げて、「エイ・エイ・オー!」と、叫んだりすることがあった。しかし彼は、ストなど打ったことのない会社丸抱えの御用組合の委員長だったそうで、そのことを知ってみると「エイ・エイ・オー!」の叫びも空しく聞こえた。
なぜ会社べったりの労働組合だったことを知っているかというと、私の足許側のベッドにいる男は眉が濃く精悍な顔立ちの中年の香具師(やし)で、稼業に似合わず結構反体制的な人だった。いつも社会の裏に潜む権力の横暴さや、「日米安保条約」を口を極めて非難していた。そのとばっちりとでもいうか、何かきっかけがあると、体制側におもねる労働組合の委員長だったことを口に出して、ひとしきり彼をこき下ろすのだった。その科白を毎日のように聞かされているうちに、否応なくこの委員長に関わるマイナスの部分を知ることになったのだった。ラディカルな香具師というのもかなりインチキ臭くて、二人の対立には関わるまいと私は一貫して中立の立場を守っていた。しかし委員長のお嬢さんは人の目を引くほどに美しい人で、毎日のように父親の世話をするために病院に来ていた。洋画に出てくる薄幸の主人公のような愁いを秘めた風情があって、まさに部屋の患者たちのアイドル的な存在だった。私もそういう点は無視できず、中立は中立でも心情的にはやはり香具師より委員長の方によりシンパシーを感じていた。
委員長のベッドを挟んで私の反対側の窓際のベッドには、もはや上半身を起こすこともできない末期癌の老人が寝ていた。この部屋の他の五人はこの寝たきり老人と一度も話したことがなく、見舞いに来る人もほとんどいないので、名前以外は誰もこの人のことを知らない。名前だけは部屋の表とベッドの脇に表示されているので分かるのだが、誰も話したことがないというので、おそらくこの部屋の最先住者に違いない。当然生きているのは生きているのだが、ただただ眠っているばかりなのでどうしても存在感が薄い。部屋の仲間は自分たちのことを語るときには、「俺たち五人」と語るのが常だった。老人はもはや部屋のメンバーの勘定にも入っていなくて、生きながら仏になってしまったような存在だった。
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