「ジェーン台風の名残り」
「千の点描」 <第三〇話>
大阪湾からわずかな距離にある、大阪市西区の江戸堀北通りにあったわが家の建物は元料亭だったそうだ。といってもそのことを私が知ったのはずっと後のことで、子供の頃は何かにつけ随分不便な構造の家だと思っていた。市電が走る大通りに面した小さな門の扉を開けて中に入ると長々と一間幅の路地が続き、その先にこれも小さな構えの内門がある。その門を入るとまた短い路地があって、左側に料亭だった頃の客用の玄関があり、右側には厨房へとつながる勝手口の入り口があった。客用の玄関に入ると、玄関のすぐ左横に階段があって、そのまま二階へと上がることができた。厨房の方からも二階に上がる階段があって、料亭として使われていた頃は、この階段を使って料理を運んでいたものと思われる。天井の高い厨房にはいくつかの一〇〇ワット電球が灯されていて一年中昼も夜も、煌々と輝いていた。当時は電力会社との間に「契約電灯」とかいう制度があって、いくら使っても電気料金は同じ定額制だった。無駄に電気を使うことに少しも罪悪感がなく、料亭時代の契約をそのまま継続しているのだと、母から聞いた覚えがある。
料亭といっても、料亭という言葉から連想されるようなたくさん大きな座敷が広い料亭ではなく、いくつか部屋がある小料理屋といったくらいのもので、華美ではなく部屋数も限られていた。家の中ほどに十畳ほどの大きさの中庭があり、手水鉢や庭造りに使われていた幾つかの石がそのまま放置されていた。手入れをすればおそらくもっと見栄えのする庭になっただろうが、中庭はすでに子供たちの専有物になり、庭の一画は古くなった子供の遊具、使われなくなった子供用の自転車など不要な物の置き場になっていた。
わが家は戦後になって入居する時に、建物の改築や改装をせず、料亭として使われていたままの状態で暮らしていたので、中庭に沿って延びる渡り廊下など、家庭の生活導線としては不便なところも多かった。また元は飲食店だったので便所がいくつもあって、子供心にも、どちらの便所を使えばいいのか躊躇(とまど)うこともあった。家の裏には大阪城の外堀の名残である川があり、川に面した広い廊下は、大きな出窓のように少し川側にせり出していた。廊下の平面から、川の水面までは数メートルの落差があったように記憶しているが、廊下から魚釣りが出来たと兄から聞いたことがある。
子供の頃は、当然のようにこれが普通の家だと思っていたが、今から考えると、随分趣向を凝らした建物で、檜(ひのき)の細い板を互いにくぐらせて編んだ網代の天井板や、欄間の彫り物も料亭のためか羽衣の天女の姿が掘り込まれているなど、いたるところに結構手が込んだ細工が施されていた。その家を無関心で無造作に使っていた父母の精神的な余裕のなさが、時代のせいか、性格によるものか不思議に思ったことがある。
この辺りは大阪湾とは目と鼻の先で、満潮時には川の水位が上がり、干潮時になると水位は下がった。それだけに、台風がやって来ると大変だった。大阪湾の満潮時に台風が大阪湾辺りに上陸すると、この地域は必ず水が漬いた。床下浸水は毎度のことで、床上浸水さえさほど珍しくなかった。わが家の一階の床の間に掛けられていた掛け軸には、何度かの床上浸水の水位の跡が、端午の節句に描かれた丈比べの印のように残されていた。当時は一つひとつの台風に、必ず外国人の女性の名前が付けられていた。子供の頃は、それは進駐軍の命令によるものだと大人から聞かされていたが、確かにキャサリン台風、キティ台風といったように、台風と外国人女性の名前の組み合わせは子供心にも奇妙に思ったが、台風への恐怖感と相俟って、不思議な迫力を感じさせるものでもあった。
ある年に、超大型台風が来ると聞かされた。それがジェーン台風だった。台風が近づいてくると、私たち幼い者は二階の安全な部屋に避難し、耳を塞いで台風が去るまでその部屋を出ることはなかった。だから、直接床上浸水の現場に立ち会ったことはなかった。しかしジェーン台風の頃は、少しは役に立つ年齢になっていたのか、せいぜいバケツを運ぶ程度の些細なことだったが、家人に混じって台風の襲来に向けての準備を手伝った。当時はラジオによる台風の進路予測も今よりずっと大雑把なもので、大阪が台風の進路上にあっても、ある程度の確率で大阪を逸れる可能性もあった。
また例え上陸したとしても必ず床上浸水すると決まっていた訳でもなかったので、その時点ではこのまま家にいても大丈夫か、安全な場所に避難すべきかの判断は出来なかった。これまでの経験でいえば、最悪の場合は、家屋の倒壊や大破もあり得る圧倒的な暴風か、大洪水で家が流されたりする可能性があるケースだ。その時は、市電が走る大通りを挟んで家の斜め前にある大きな倉庫会社のビルに逃げることになっていた。このビルなら、どんな強風でも大洪水でも大丈夫だった。もちろん、家の方は全壊とか、床上浸水とか大変なことになることもあるのだろうが、いざとなるとわが家がどうなるかといったことには 、まったく思いが至らないのが子供というものだった。
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