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カミキリムシのいた街路樹

「千の点描」 <第二九話>

美しい昆虫は、必ず高い樹の上に棲んでいると、私は理由もなく信じていた。私は昆虫取りが得意で、小学校の高学年になった頃から、さまざまな高い樹に登っては昆虫を取っていた。今から思い返すと、昆虫そのものに格別の執着があったわけではなく、どんな高い樹にも自在に登れることが私の本当の自慢だったような気がする。そして高い樹に登った証明として昆虫が必要だったのだと思う。
あえて「昆虫採取」と言わず、いつも「昆虫取り」と呼んでいたことにも、そんな私の気持ちがそのまま反映されていた。通学していた小学校のすぐ近くに名前も知らない小さなお寺があって、境内には幹の直径が三、四メートルほどもある欅(けやき)の巨木があった。子供の頃の感覚なので、実際にはどれほどの樹の高さであったのかは分からないが、欅の樹のてっぺんから下界を俯瞰すると、お寺の屋根が弁当箱程度の大きさに見えた。初夏から秋まで欅の樹のてっぺん辺りにはよく「タマムシ」がいた。「タマムシ」は細長い米の形をした甲虫だが、一種類ではなく日本国内にも多くの種類がいる。私が好きだった「タマムシ」は、あの「玉虫の厨子」で知られている種類で、メタリックな輝きを持ち背中には虹を思わせる赤と緑の縦縞が入っていた。やはりその美しい光沢のためか、手に取ると格別の品格を備えている昆虫のように見えた。昆虫好きの同級生の中でも、自在に「タマムシ」が採取できたのは私だけだった。手のひらの「タマムシ」に注がれる同級生たちの羨望の眼差しが、私にとって何よりの勲章であった。
 
 家の近所には取り立てて大きな樹木がなかったので、家の近くで昆虫取りをした記憶はほとんどない。家の前には市電が走る大きな通りがあって、その通りにはプラタナスの街路樹があった。子供の頃の印象でも、それほど大きな樹だとは思えずせいぜい四、五メートルの高さだったと思う。希少な昆虫ほど高い樹に棲んでいると思っていた私にとって、プラタナスの樹は昆虫取りの対象外の樹木だった。ある時、近くの駄菓子屋で菓子を買って家に戻る途中、ふと見上げた街路の「プラタナス」の枝に、微かな昆虫の蠢(うごめ)きを察知した。今すぐ菓子を食べたかったので、多少の躊躇はあったのだが、昆虫を知覚してしまった以上、「プラタナス」の樹の前を黙って通り過ぎることが出来なかった。長らく昆虫取りをしていると、微かな枝の動きからそこにいる昆虫の種類が分かることがある。

目を凝らして観察していると、「プラタナス」の樹の幹の街路から二メートルほどの高さのところから、九〇度の角度で横へと張り出した枝の先に「カミキリムシ」が見えた。「タマムシ」の価値とはとても比べられないが、「カミキリムシ」も子供たちの間では結構ステイタスの高い昆虫だった。私は先ず持っていた菓子の袋を樹の傍に置いて、素早く靴を脱いで裸足になり、スルスルとプラタナスの樹を登り始めた。早く樹に登るのも私の特技で、樹にいるカ「ミキリムシ」を見つけてから二〇秒も経っていなかったが、「カミキリムシ」がいる枝の高さに到達することができた。
「カミキリムシ」は種類が多く、漢字では「天牛」と書くことが多い。長い触角を牛の角になぞらえたもので、多分中国語由来だと思う。日本には八〇〇種類くらいいると聞いたことがあるが、大きさは一センチから四センチくらいで、緑が多いところなら三月から九月くらいまで身近で目にすることができた。地味な種類もあれば鮮やかな色の種類もあって、私が特に好きだったのは、水色で黒い斑点のある「ルリボシカミキリ」や、ちょっとメタリックな光沢を感じさせる「アカアシオオアオカミキリ」で、都市部ではめったに見掛けることはない。今目の前にいる「カミキリ」は、おそらく「アオスジカミキリ」だと思う。

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