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瀬戸内海の海賊

「千の点描」 <第一九話>

揃いもそろって大学受験に失敗した仲の良い五人組が、しばらく受験勉強を放り投げて、憂さ晴らしに夏の海辺のキャンプに出かけることになった。といっても私たちが住んでいた関西近在のキャンプ場ではない。五人のうちの一人の親が瀬戸内海の小さな島の出身で、その島の海辺に小さなキャンプ場が出来たという話題が意外に盛り上がって、さっそくその海辺のキャンプに行ってみようということになったのだった。
岡山県の瀬戸内海に面した小さな港町から、小さな連絡船に乗ってその島に向うことになった。連絡船には、鉄道に乗るのとはまた違った独特の旅の風情がある。それは、乗客が一様に大きな荷物を携えているといった外見上のことだけではなく、船内に漂う言葉にならない独特の空気感であるような気がした。鉄道の車両は特定の町や地域に属しているといった感じではないが、連絡船について言えば、船が岡山の港を離れた瞬間から、すでにその船は目的地の島の帰属になり、船の中には島の賑やかな空気が満ちているようだった。
 
夏休みというシーズンであることを考えれば、連絡船にもっと観光客や夏のレジャー客がたくさんいてもおかしくはない。しかし当時は観光やレジャーの目的地も今日のように多様化していなかった。大半の人々は、易々と旅行会社や鉄道会社などのキャンペーンに乗せられて、典型的な観光地やレジャー施設に殺到していた。だから観光地でもないこの島を訪れる余所者はほとんどいないのが実情で、連絡船の中にも、一般の観光客らしき人を見掛けることはなかった。
仲間の一人は、演奏そのものはいただけないがトランペットを吹くのが何よりの趣味で、今回のキャンプのためにわざわざ新しいトランペットを購入した。瀬戸内海の明るく穏やかな眺望に刺激を受けたのか、あるいは連絡船という非日常的な環境に興奮したのか、突然引っ込み思案の彼らしくない大胆な行動に出た。彼は船室の天蓋の上に設けられたデッキに移り、陽はまだ真上にあったが、ニニ・ロッソの演奏で知られた「夕焼けのトランペット」を吹き始めたのだった。高音部分がうまく吹けないのは仕方ないとしても、ところどころ音程は外れ、お世辞にも人に聴かせるレベルではなかったが、キャンプでの五日間を期待させる前奏曲とすればまずまずのものだった。彼の演奏する「夕焼けのトランペット」に刺激されたのか、もう一人の仲間であるカメラマニアは、プロ仕様のニコンの高級カメラを得意げに持ち出して、トランペットを吹いていた仲間の傍で、島影も美しい瀬戸内海の景観を慌ただしくシャッターで捉えていた。
 
キャンプ場のある目的地は、この島の船着き場から海沿いに歩いて島を半周ほどしたところにあった。本島からポリープのように飛び出した小さな突起部分にキャンプ場が造られていて、干潮の時は島と陸続きなのだが、満潮時には完全に本島と切り離された独立した島になる。満潮になると島が切り離されて隔離されるという状況設定は、サスペンス映画などではお馴染みのもので、私たちにはこのキャンプ場で予期せぬ何かが期待できそうなミステリアスな魅力と感じていた。キャンプ場のある島は面積がごくわずかで、しかも満潮時には本島と離れてしまうことから生活上も不便だと思われ、この島に居住している住民はいないようだった。
私にはキャンプを楽しんだ経験がほとんどないので、このキャンプ場のクオリティを判断する資格はないが、粗末なバンガローを眼にしただけでも、おそらくにわか作りの標準以下の施設であることは確かなように見えた。ようやく成長し始めたレジャー時代を当て込んで、島の行政機関が観光開発を目的にキャンプ場として整備しようとしているものだろう。まだ開発にも手を付けたばかりで、粗末なバンガローが幾つかと、浜辺近くに二本のシャワーのポールが寂しく立っているだけだった。キャンプ場のオープンを急いで、差し当たり最小限の設備を設けただけのものだったが、このキャンプ場には「ヤング村」という陳腐な名前が付いていた。当時、レジャー施設に「共和国」「王国」「ビレッジ」といった名前を付けるのが流行っていた時代で、このキャンプ場もそうした例に倣って、コミュニティらしさを演出したのだろうが、私たちはそのセンスのなさと安易さに苦笑してしまった。
 
干潮時には、本島からこのキャンプ場につながる岩だらけの道とも呼べない細い道があり、本島側からこの道を進んでいくと、キャンプ場のある島に近付くにつれ登り勾配になっていて、登り詰めるとそこに、「村長の家」と看板の掛ったプレハブの小屋があった。小屋の中を覗くとキャンプ場の事務所として使われているらしく、旧帝国海軍の士官の帽子を被った「ヤング村」の村長らしき年老いた男がいた。数日間世話になるので挨拶しておく必要があるだろうと思って、私が「村長の家」の扉を開けて先に中に入り、仲間がその後に続いた。
五人揃って部屋に入ってきた私たちの姿を見た村長は、突然大勢の人が部屋に入ってきたので、急いで服装を改めたようとしたのだろうが、慌てすぎて旧帝国海軍の士官帽を被り直すつもりで床に落としてしまった。いかにも段取りの悪そうな村長の仕草に、仲間の一人は思わず吹き出しそうになっていたが、村長をよく観察してみると、かなり高齢で根っからの漁師らしく、漁に出る歳でもないので無理やりヤング村の村長役を押し付けられたのだろうということが分かってきた。
確かに、昨日まで漁師をしていた人が、急に訳の分からないバタ臭い仕事に駆り出されて躊躇しているのも無理はなく、何となく親近感を覚えたものだった。「ヤング村」の入村料を払い、「村長の家」を出てプレハブの前に掲示されている案内板を読んでみると、どうやら夜間にも警備を兼ねた管理者を置いていることが分かった。高齢の村長を見ているだけにセキュリティには多少不安を感じていたが、夜間までこの村長が宿直をすることはあり得ないと思えたので、私たちは夜間には別の壮健な人が警備に当たるのだと勝手に想像して安心していた。

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