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悪魔祓いの三人の修道女

「千の点描」 <第四六話>

かつて大阪の「梅田」に、「コマシルバー」という小さな映画館があった。ずいぶん昔の話なので、いまも存在しているかどうかは知らないが、当時はロードショーの映画館ではなく、どちらかというと少しマイナーな映画の上映館だった。当時あまり一般公開されることのなかったヨーロッパの名作映画や、社会的に物議を醸した映画、ATG(アート・シアター・ギルド)、ヌーベルバーグ系の映画が多かったように思う。映画としては国際的にも高く評価されていた作品が多かったが、一般映画ファンを相手にした興業収入の面ではあまり期待できない映画が多かったように思う。ちょうど私が高校生だった頃で、この映画館では、思い出せないほどたくさんの映画を見たはずだが、今も確かな記憶に残っているのは、左幸子や小沢昭一が出演していた今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」くらいだ。それ以外では、「崖」「世にも奇怪な物語」「8½(はっかにぶんのいち)」「甘い生活」などの名作を残したフェドリコ・フェリーニ監督や、「奇跡の丘」「テオレマ」「デカメロン」「ソドムの市」などを世に送り出した鬼才ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督のいくつかの作品もこの映画館で見た。

この日、どんな映画を見たのかタイトルさえも覚えていないが、何となくフランスの名女優、「カトリーヌ・ドヌ―プ」が主演していたような記憶がある。ただ映画パンフレットの表紙に、半裸の女性の写真があったことは覚えている。とはいえ半裸といっても、パンフレットは大手の映画配給会社が製作したものなので、煽情的なモノとはいえず、ごくオーソドックスだったと思う。この映画を見た後に、友人と二人で梅田からバスに乗り、その日見てきた映画を話題に話し込んでいた。
 
「梅田」からすぐ隣りが「桜橋」のバス停だが、どこの宗派か知らないが、とにかく、いずれかの宗派の三人のクリスチャンの修道女が「桜橋」でバスに乗り込んできた。三人の修道女は、バスの中をくるっと見回して、偶然かあるいは意図的かは知らないが、座席は空いているのに自分たちは座らず、私たちが座っている席のすぐ前に立ったのだった。修道女は三人ともまだいく分か若さの残る年齢の女性だった。私たちには、修道女に敬意を払う特別の理由がないので、友人と二人ともに、そのまま座って話し続けていた。
日本人の修道女だから、日本人らしい容貌で当然なのだが、三人ともにタイプは異なっていた。一人は、大きな体におっとりしたお多福顔で、もう一人は顎のとがった目の細い顔だった。もう一人は、肌がやや浅黒く、しっかりした鼻と大きな目が印象的で、三人三様の顔立ちだが、いかにも日本人の起源を物語っているように思えた。とはいえ、三人ともに修道女のコスチュームと不釣り合いなのが、私が最初に見た時の印象だった。

その三人の修道女は、私たちの前に立や否や、私の膝の上に置いてあった映画パンフレットの表紙の半裸の女優の写真を目敏く見つけたようだった。そのふしだらさをなじるように、三人でこそこそと話し合っていた。それぞれに修道女としての名前があるようで、互いにその名前で呼び合い、誰が私たちに忠告するかを相談しているようだった。シスター・セントメアリーというのがどうやら先輩格で、彼女が私たちに忠告する役目を担うことに決まったようであった。
 
修道女たちのひそひそ話は、明らかに私たちに聞かせるためのモノだった。それを聞いた私たちが、半裸の女性の写真が印刷された映画のパンフレットを持っていることを恥じ入って、素早くそれを鞄に入れることを期待しての言葉だった。もし、私たちが、修道女の思惑通りにパンフレットを鞄に入れたら、それはそれまでのことであったのだ。しかし私たちは二人ともに、私的な世界に遠慮もなく土足で踏み入ってくる修道女の独善性が不愉快で、修道女たちのひそひそ話は聞こえていたが、意図的に三人の修道女を無視することにした。
するとこの三人の修道女は、「肉欲や快楽に溺れていては、やがて地獄に落ちるのです!」と、傲慢にも口々に私たちに説教を始めたのだった。私たちが行儀の悪い修道女たちを無視すると、さらに言葉を変えて同じ内容のことを何度も繰り返し、説得力のない説教を続けていた。私たちは少しもそれに反応せずに、まったく聞く耳を持たないという素振りで二人の会話を続けていた。三人の修道女は、悪魔に篭絡(ろうらく)されて堕落しきった人間を見るような顔をしながら、私たちを憐れむように三人ともにしきりに十字を切っていた。
 
それだけでも十二分に私たちの意思やプライバシーを侵害しているので、本当のところは大声で怒鳴り返すべきだった。しかし私たちは、車内でことさら騒ぎを大きくしたくはないというモラルを持ち合わせていたので、そのまま三人の修道女を黙って無視することにした。すると修道女たちは、堕落した人間を救うためには何事にもたじろいではならないといった形相で、決意したように三人並んで私たちの前に姿勢を正して直立した。何をするのかと思えば、三人で大きな声をあげて賛美歌を歌い始めたのだった。それでも私たちは三人の修道女たちを無視し続けた。三人の修道女は、さらに大きな声で讃美歌を歌い続けていた。大体、バスの中で大声で讃美歌を歌い続けるなど、当然バスの運転手が注意すべきことなのだが、バスの運転手は一切、見ざる、聞かざる、言わざるに徹していた。確かに、キリスト教の修道女がバス内で讃美歌を歌うことなど、バスの運転手にとっては想定外の事態なので、どうしていいのか分からないというのが本音だったと推察する。この段階まで、バスは桜橋からさらに三駅先まで進んでいた。

私たちの本意としては、いくら讃美歌を歌おうとも、ずっと無視しておこうと決めていた。しかし、バスの中の状況は、バスの運行に伴って少しずつ変化していった。相手を無視して宗教的信念を押し付けるのは、今でいえばイランの「勧善懲悪庁」の「宗教警察」みたいなものだが、多分この修道女たちは、宗教的な情熱が昂じて、自ら宗教警察になろうとしていたのだろう。街の中の不信心者を見つけ出し、その相手に対して説教をするのが信仰の証と信じていたに違いない。私と友人は、ごく普通の服装をしていて、目立って不道徳な雰囲気を感じさせたていたとは思わないが、友人が横尾忠則の、あるいは横尾忠則の筆致を真似たイラストが描かれたTシャツを着ていた。その一画に蛍光色に彩られた裸の女性が横になっている図柄があった。修道女たちはバスに乗るやいなや、目敏くその図柄を発見し、私たちが不道徳な人物だと決め付けたのだろう。そして、私たちを説教するために、わざわざ私たちの前に立ったのだと推測される。
 
桜橋で三人の修道女がバスに乗ってきた時は、バスはまだ比較的空いていて、修道女が行っている行動が、言わば修道女たちが私たちを対象に一方的に仕掛けた事であることをバスの乗客も理解していた。三人の修道女が、空席のバスの中で、席に座ることなく私たちの前に立つということからして意図的な行為だと思っていたのだ。大阪人というのは、昔から権威に対して反抗的な気質があって、キリスト教は権威と言えないかも知れないが、少なくとも親しみを感じるということは少なかった。つまりこの段階では、私たちはやや被害者とみなされ、三人の修道女は、加害者とまではいわないが、過度におせっかいで迷惑な存在だと認識していたと思う。
ところが、何駅ものバス停を通り過ぎている内に、オフィス街を通るということもあって、次第にサラリーマンや若いオフィスレディが乗り込んできて、出勤時ほどではないが、相当に満席になってきた。後から乗り込んできた客たちにとっては、これまでの状況が分からず、その場の雰囲気で全体像を理解することになる。私たちは言いがかりを付けられている立場なのだが、攻撃をしている方が三人の修道女なので、後で乗ってきた乗客には、必ずしもそうは見えない。私たち二人がバスの中で何かトラブルを起こし、三人の修道女がそれを諫(いさ)めているという関係構造に見える。つまりは私たちが加害者で、修道女たちが被害者、あるいは困っている乗客に成り代わって私たちに抗議しているという様子に見えていたのだ。
 
次第に乗客の多数派が、修道女の行為を、正しきことを行っているか、あるいは少なくとも善意で行っていると見なしている雰囲気が醸成されていったのだ。それは完全なお門違いの誤解なのだが、私たち二人には甚だ分が悪い状況になっていた。私一人なら、不本意ながらも次のバス停で降車していたかも知れないが、同乗していた友人は相当に頑固で、人間の独善的な態度や行動に我慢できない性分だった。思わず、「うるさいな!少しは静かにせんか!」と、怒鳴ってしまったのだ。
思いもかけない罵声に三人の修道女は、驚きたじろぎながらも、崇高な使命感に打たれたように互いに顔を見合わせた。そして、私たちに取り憑(つ)いた悪魔を去らせようとして戦うエクソシストのような顔をして、互いに体を寄せ合った。三人の修道女たちは、すでに一種のトランス状態に入っているのでもはや常識は通じず、バス中に響き渡るような大きな声で賛美歌を歌い続けた。
 
馬鹿らしくはあっても私たちに効果的な手の打ち様がなく、しばらくこの恐怖の賛美歌を聞かされ続けた。悔しいことでもあるが、今でもこの時に讃美歌のワンフレーズのメロディがトラウマのように、に頭の片隅にこびり付いている。何時までこの見苦しい賛美歌が続くのか知れなかったので、やはりバスを降りようと考えた。しかしこのままバスを降りたのでは、この独善的な修道女たちに勝利したと誤解させる危険があった。二人で対処を相談する訳にもいかず、私は私で、どうすべきかしばし逡巡した。
その時友人が突然席を立ち、想像もしなかったことを口にしたのだ。「おばさん、私たちは若いように見えるかも知れませんが、本当は二人ともとても高齢で、すでに還暦を越えています。なにせ旅順の「二○三高地」の戦の生き残りですから。私たちは次で降りますから、おばさんたちは、ここに座ってください。そして皆さんにあの演歌を納得するまで歌って聞かせてあげてください」と、言って席を立った。
彼がなぜ突然そんなことを言いだしたのか分からない。おそらく心理的な怒りの爆発だと思うのだが、まったく意味をなさない嘘だった。しかし十分に言葉の破壊力はあったとみえて、三人の修道女は見た目にも情けないほどあっけに取られていた。私たちはそのまま何事もなかったようにバスを降りたが、少なくとも走り去るバスから、もうあの賛美歌は聞こえてこなかった。
 
 

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