十和田の六人娘
「千の点描」 <第ニ一話>
京都の六波羅蜜寺には、世に知られた「空也上人像」がある。歴史の教科書には必ず登場する鎌倉時代を代表する彫刻で、「南無阿弥陀仏」という念仏が六つの阿弥陀仏になって、空也上人の口から吐き出されている様を写実的に表現した像だ。
カロちゃんは、空也上人と同じように、口から一つ、二つと仏を吐き出して、私にとりついた邪悪な霊を鎮めようとしていた。私にとりついた悪霊というのは、その道の人にはよく知られた日本の悪霊の一つで、「九尾の狐」に匹敵する超大物だということだった。悪霊には、「十和田の六人娘」という名前が付けられていた。
初めてわが家を訪れた時、カロちゃんは眼の前に張られた「蜘蛛の巣」を手で払い除けるような仕草をしながら家の中に入ってきた。わが家には、部屋中に張り巡らされた「蜘蛛の巣」のように、悪霊が漂っているということなのだと思う。そして、私の顔を見て最初にカロちゃんが口にしたのは、私にはとてつもない悪霊がとりついているという宣告だった。そして間髪をいれずに、これまで「十和田」という場所に行ったことはないかと、尋問するように真剣な顔で私に問い質した。私は当時音楽マネージャーの仕事をしていたので、確かに何度か公演で十和田市を訪れたことがあった。そう答えるとカロちゃんは、十和田で何か危険なことはなかったかと矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。そう聞かれても、交通事故に遭いそうになったこともないし、病気に罹った記憶もないので、すぐには質問に答えられなかった。しかしいろいろと頭の中の記憶のページをめくってみると、十和田で多少気になる出来事があったことを思い出した。
かつて私がマネージャーを務めていたバイオリニストの公演で、十和田市を訪れたことがあった。演奏会は市内の体育館で行われる予定だったが、台風が迷走しながら十和田市を直撃する奇妙な進路を辿ったために、思いもよらないことに開演の直前に一日順延が決まったのだった。バイオリニストと伴奏のピアニストをすぐにタクシーでホテルに戻らせてから、私は体育館でコンサートの主催者と事後処理と一日順延の準備に追われていた。ところがその間に風雨が急に強くなり、諸々の作業を終えた頃には、全く外出することもできないほどの暴風雨になっていた。
私には何もすることがないので、会場になっていた体育館の中をただうろうろ歩き回っていたが、体育館といっても別に珍しいものがあるわけでもなく、仕方なく観客席として並べられていたパイプ椅子に座って激しい風雨が収まるのを待っていた。何気なく体育館の天井を眺めていたら、体育館内部から真っ直ぐ天井へと延びている非常階段に目が留まった。普段ならそんな無茶なことはしないのだが、ふと非常階段を上ってみたくなって、非常階段に近づき手摺を両の手で握って上を見詰めると、非常階段を上り詰めたところの天井部分に小さな扉があることに気付いた。
天井の扉を開くことまでは考えていなかったが、非常階段を上ってみたら意外に簡単で、瞬(またた)く間に非常階段の最上部にある天井のところまで到達したのだ。そこまで上がってみるとなぜかにわかに気分が調子付いて、自分でも驚くほどさりげなくノブを引いて天井部の扉を開けていた。後はもう成り行きみたいなもので、あっという間に頭を体育館の天井の穴から突き出して、そのまま上半身を屋外に曝(さら)していた。体育館の屋上では、台風の先触れとなる強烈な風が吹き荒れていて、私は激しい風雨に身を委ね、ある種の爽快感に浸りながら体育館の空を覆う暗雲のコマ落としのような動きを凝視していた。その美しさに心を奪われ我を忘れた一瞬、一塊(ひとかたまり)の烈風が私を目指して突っ込んできた。
抗しがたい風の圧力に私の体はその重量を失いかけていて、すんでのところで吹き飛ばされそうになったが、辛うじて天井まで延びていた非常階段の手摺にしがみつくことができ、やっとのことで命拾いしたのだった。確かに十和田でそんな出来事があった。危険な状態だったことは言うまでもないが、結果的には何事もなかったので、私にはむしろあの暗雲の動きの方が強く印象に残った。
しかしカロちゃんによれば、それこそが「十和田の六人娘」の仕業であるというのだ。手に手を取って十和田湖で入水自殺した六人の娘の怨念は尽きることがなく、十和田にやってきた私にとりついて生命を奪おうとした。ところが、すんでのところで目的を果たせず、再び災禍に遭わせるために、執念深く私にとりついているのだという。
その恐るべき悪霊を取り除くために、カロちゃんは口から仏を吐いて悪霊を成仏させようとしていたのだった。カロちゃんと悪霊との闘いの様相は凄まじく、悪霊はあたかも時化(しけ)の海の荒波のように、押しては引き、引いては寄せるといった具合に波状で攻め寄せてくる。悪霊が押し寄せてくる時は、悪霊に押し流されまいと、両手で印を結んで悪霊に対峙し、悪霊が引いた時には、引き込まれまいと上半身を後ろに傾けて踏ん張っていた。カロちゃんと「十和田の六人娘」とのいつ果てるともない戦いは壮絶極まりなく、一つ仏を吐いては肩で息をするほどに体力を消耗していった。ウィスキーを一口飲んでは、また一つ仏を吐くといったことを、夜の一一時から朝の五時まで、途切れることなく繰り返し続けた。やがて夜が明け、東の空が白んできた頃にはカロちゃんの疲労も限界に達していて、ウィスキーの瓶もほとんど空になっていた。
われに帰ったカロちゃんはすまなさそうに、「十和田の六人娘」をどうしても成仏させることができなかったと弱音を吐いた。手負いの獅子が危険なように、このまま悪霊を残しておけばさらに危険が増すので、とりあえず私が持ち帰りますと言葉少なく呟きながら、私の以後の無事を請け負ってくれた。カロちゃんはよほど疲労が募っているのか、朝食も断ってそのまま帰り支度を始め、挨拶もほどほどに玄関へと向かっていった。玄関で靴を履き終わると、あたかも腰に瓢箪でもぶらさげるような仕草で、六つの悪霊たちを腰の辺りに集め、一人残さず「十和田の六人娘」を持ち帰ってくれたのだった。
突然のあっけない幕切れに私が呆然としていると、一旦出ていったカロちゃんが何か忘れ物でもあったように再びわが家戻ってきて、コツコツとわが家のドアを叩いた。急いでドアを開けると、カロちゃんは玄関には入らずドアから顔だけを出して、「十和田の六人娘」は確かに預かったので、二度と私の元に戻ることはない、安心するようにと念を押して、そのままそっとドアを閉めて帰っていった。カロちゃんが戻ってきたのは、よほど私の顔に不安な様子が見て取れたからなのだろう。
私がカロちゃんの霊能力について知ったのは、この時が初めてだったが、カロちゃんを紹介してくれた友人の話によると、すでに多くの人がその霊力を知っていたようだった。私の友人の中には、理由は分からないが変わった趣味や奇妙な仕事をしている人が多かった。そんなことから、カロちゃんを紹介してくれた友人は私のことを「奇人コレクター」と決め付けていて、この人はと思って連れてきたのがカロちゃんだった。カロちゃんという不思議な呼び名のことは私も多少気にはなってはいたが、突然わが家に尋ねてきた時がカロちゃんとの初対面だったので、呼び名の由来を聞きそびれ、いまだにその呼び名の由来は知らない。
カロちゃんを連れてきた友人によると、カロちゃんの科学を超越した霊能力のことを人に説明すれば、いわゆるその世界の人かと思われるのだが、実は全くそうではないらしい。カロちゃんは理系の大学院の博士課程を修了した学究肌の人で、自由な発想を持っているが、論理的で知的な人物だというのだ。カロちゃんが東京の大学の大学院に在籍中に、校舎の屋上から男女の学生が飛び降りて心中するという事件があったという。現場には遺書も所持品もなく、全くの身元不明で大学の事務職員が対処に困っていたのだそうだ。その話を聞いたカロちゃんが、飛び降りた現場であった屋上に駆け付け、現場に残っていた二人の魂の残像に話しかけて、住所、氏名を聞きだしたのだそうだ。その出来事がきっかけで、一気にカロちゃんの霊能力が広く学生の間で知られるようになったということだった。
カロちゃんが私にとりついた悪霊を連れ去ってくれてから二、三年ほど経った頃のことだが、私はすでに「十和田の六人娘」のこともすっかり忘れていた。ところがある日、「十和田の六人娘」を思いださせる奇妙な出来事を相次いで体験した。近く転居する予定だったので、少しずつ荷物の整理を始めていたが、子供の頃の写真が入った古いアルバムを何気なく開くと、中から一枚の写真がはらりと落ちてきた。アルバムの写真はモノクロばかりで、どこにも写真を剥がした跡もない。ところが落ちてきた写真はカラー写真で、見たこともない可愛い女の子が一人写っていた。服装から見ても最近のものらしく、誰かが最近古いアルバムの間に挟んだものに違いなかった。
女の子の写真は、どこかの観光地で写したものらしく、背景に広い湖が広がっていた。そもそもまったく記憶にない女の子の写真なので、何の写真か推察のしようもなく、ふと写真を裏返してみると、女の子特有のまるまるとした文字で、“十和田湖畔にて”と書かれていた。その文字を見た瞬間、私は例の「十和田の六人娘」のことを一瞬思い起こしたが、「十和田の六人娘」たちは六人だし、しかも写真はごく最近のモノなので、それと関係があるとは思いもしなかった。
ところが、それから数日後、転居の準備もいよいよ最終段階になって、少し高い位置にある棚の小物を段ボール箱に詰めていると、見たこともないこけしが一つ出てきた。私も妻もこけしは好みではなく、自分たちで買うことはまずあり得ない。妻の母親が観光土産に買ってきた人形かと思って手に取ってみると、こけしの襟辺りに“十和田湖観光記念”という文字が書いてある。義母が十和田湖に旅行したことは聞いたことがなかったし、“十和田”に関わりのあることが連続して起こってみると、さすがに私も少し不安になってきて、久方ぶりにカロちゃんに連絡をとってみることにした。
しばらくカロちゃんと疎遠にしていたこともあって、連絡先を探すのにずいぶん手間取ったが、何人かの友人の電話を経由してようやくカロちゃんの連絡先を手に入れた。さっそく電話してみたが、初めカロちゃんは私が誰だか分からなかったようだった。しかし「十和田の六人娘」のことを口にすると、すぐに私を思い出してくれた。まずは互いに近況を報告し合ったが、カロちゃんは相変わらず除霊で人助けを続けているようだった。ただ、最近はカロちゃんの霊視力が研ぎ澄まされ過ぎたというか、街を歩けばそこかしこに悪霊の姿を見かけるようになって、正直なところうんざりしていると話していた。どこまで除霊しても、悪霊の絶対数が多くて、自分のしていることにいささか疑問を感じ始めているということだった。
カロちゃんは、突然連絡してきた私に対して、何か不都合なことがあったのかと理由を尋ねてくれた。そこで私は、一枚の女の子の写真とこけしが突然私の前に現われた経緯を説明し、そのことと「十和田の六人娘」との関連を聞いてみた。カロちゃんは、うーんと唸って、そうだったのかと自分で納得したような声の様子で、一呼吸置いてからおもむろに話し始めた。カロちゃんの話では、私の家で「十和田の六人娘」の除霊を試みて、翌朝私の家を去る頃にはウィスキーでかなり酩酊していたのだそうだ。そんなこともあって、その時は確かに六人の悪霊を持ち帰ったつもりでいたが、帰宅途中の「四条大宮」の駅で念のために確認してみると、五人分の悪霊しか持ち帰っていないことに気付いたという。どこかに落っことしたのだと思ったが、忘れものがあったとしても交番に届けてくれる類のものでもない。仕方なくそのまま帰宅して、少し休んで体力を取り戻してから、とりあえず「十和田の六人娘」の五人分の悪霊を成仏させたということだった。
カロちゃんがいうには、私の話を聞いてみると、どうやら「十和田の六人娘」の中の一人分の霊は、私の家に取り残してきた可能性が高いということだった。電話口での私の不安な様子を敏感に感じ取ったカロちゃんは、私を安心させようとして、私の家に残してきた一人分の霊が無害なことを論理的に説明してくれた。「十和田の六人娘」の悪霊は、六人の怨霊が一体化したものなので、分けてしまうと分解した機械と同じように働かなくなる。だから一人分残っていても少しも心配はないのだと断言してくれた。確かにある程度納得できる説明ではあったが、いま一つ安心しきれないのが本音だった。
それにしてもと、カロちゃんは言葉を継いで、度々姿を現すのだとしたら、「十和田の一人娘」はよほどあんたのことが気に入ったのかも知れないという。残りの五人の供養のためにもぜひ大切にしてやってくれと言い残すと、一方的に電話を切ってしまった。カロちゃんが少しも心配はないと断言してくれてはいるが、引っ越し準備の最中に「十和田の一人娘」の影が何度も見え隠れしたので、一人娘はきっと引っ越し先にも付いてくるつもりのように思えて、私の心中は決して穏やかではなかった。
ようやく引っ越しも無事済ませたが、「十和田の一人娘」の写真とこけしを引っ越し先に持って行くかどうか悩んだ末に、結局カロちゃんのアドバイスを容れて、持ってくることにした。引っ越し先の私の書斎の飾り棚には、私が集めている化石のコレクションに混じってこけしが一つ鎮座している。そして最近のアルバム帳には、彼女の写真を丁寧に貼り込んで、カロちゃんの言う通り供養することにした。そのせいかどうかは分からないが、最近は仕事でも私生活でも随分幸運に恵まれているように思う。
ただその幸運も、不倶戴天の競争相手だった会社がいきなり倒産したり、私を目の敵にしていた得意先の担当者が左遷されたりで、私と敵対的な関係にあった相手が不運な目に遭うという形でもたらされることが多い。私の福の神は悪霊出身だったので、当然といえば当然かも知れないが、私の幸運が、「人の不幸は、私の幸せ」的な手法に支えられているのが、いささか気になる。