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最後の診察

「千の点描」 <第四話>

いつから始まったのか,、誰が決めたのかは知らないが、小学四年生になるとこの奇妙なコミュニティを卒業することが、私たちの間での厳然とした決まりごとになっていた。つまりこのコミュニティには、小学四年生以上の年齢の者は一人もいなかった。この四月に新しく三年生になった子供の内の一人が次のリーダーとなって、このコミュニティを仕切ることになっていた。私が小学二年生になった時、三年生に進んだ一人の女の子がこのコミュニティのリーダーになった。つまり彼女は、絶対的な主導権を持つ「お医者さん」へと昇格したのだった。
それは同時に、私と同い年の男の子の二人が、彼女に対して絶対的に従順な患者となることを意味していた。女の子に服従させられるのは必ずしも嬉しいことではなかったが、女の子の「お医者さん」に患者として従うことは、それはそれで私たちの密かな楽しみでもあったのだ。
 
その頃、私たちが住んでいた大阪市西区の江戸堀北通りに面した地域一帯には、戦後の復興から取り残されていた大阪空襲の時代を思い出させるような敗戦のモニュメントがそこかしこに点在していた。建築資材置き場として使われていた半ば焼き落ちた工場跡や、傍を通っただけでは無傷に見える壁面だけで囲われたカトリック教会などがあり、そうした廃墟の片隅にあって、外から目が届かない場所が私たちの秘密の「診察室」として使われていた。
この「診察室」は、親や大人たちの目から隔離するという理由で、概(おおむ)ね私たちの日頃の遊び場から少し離れたところにあったが、黄昏時など遊び時間に制約がある場合には、家のすぐ近くの空き地に作られた鶏のいない「鶏小屋」が臨時の「診察室」になることがあった。「鶏小屋」といっても、農家にある「養鶏」を思い浮かばせるような実用的なものではなく、戦中、戦後の食糧難の時代にわずかばかりの鶏卵を期待して作られた形ばかりのものだった。高さが不揃いな四本の細い木材の支柱を空き地に打ち込んで、その支柱にゴボウのように細い木や竿竹を荒縄で結わえて横木にした骨組みに、板切れや莚(むしろ)の不細工な外装をまとっていた。入り口は莚を暖簾(のれん)のように垂らしたもので、暖簾の裾には石を置いて、鶏の逃亡を防いでいたものと思われる。鶏小屋の中には、コミュニティを卒業していった先輩たちが使っていた不格好な「診察台」が残されていた。
 
「診察台」は、縦一メートル五〇センチ、横七〇センチほどの広さの厚い板で、下に何枚かのレンガを置いて二〇センチ程度の高さを確保していた。きっと先輩たちが、どこかから掠(かす)めてきたものだと推察したが、細かいことが気になる私は、何度も板を裏返して子細に観察してみたところ、板の片隅に大手水産会社の社名とマークらしきものを発見した。この水産会社の重役が近所に住んでいて、相当な資産家として知られていたが、私の記憶ではあの家には小さな子供などいない。それじゃ、誰がこのこの板を持ってきたのかと、私が怪訝(けげん)な面持ちで思案にふけっていると、隣にいた患者仲間の男の子が、「その会社、卓ちゃんのお父さんの会社なんや。ほら、ずっと前に大通りで市電に轢(ひ)かれて死んだ卓ちゃんの!」と、素っ頓狂な声を挙げた。
確かにそんな事故があった。私は卓ちゃんという名前も知らなかったし、ほとんど面識もなかった。だから水産会社の重役の家に私たちと同じ年頃の子供がいたことなど、全く思いもしなかった。しかしさすがにその話を聞いてしまうと、目の前に置かれた「診察台」の存在が、これまでと違ったものに感じられた。「診察台」を見た時には、子供心にも“禁じられた遊び”への期待が膨らんでいて、「診察台」が神々しく思えたが、近所の子供が市電に轢かれたことを聞いてしまうと、台の周辺に死の影がまとわりついているような気がして、私のふしだらな期待は一気に委縮してしまった。
 
それでも三年生になって、晴れて「お医者さん」となった煙草屋の慶子ちゃんが「鶏小屋」に入ってくると、その姿に「お医者さんごっこ」のリアリティが蘇えり、私の甘美な想像はたちまち復活するのだった。慶子ちゃんは私の家の三軒隣にある煙草屋の娘で、慶子ちゃんの妹と共に、私の日頃からの遊び仲間だった。慶子ちゃんは「診察台」を目にすると、すぐに自分の役目を思い出したようにきりっとした姿勢になって私たちの前に立った。そして拙(つたな)いながらも重々しく医師の口調をまねて、「患者さん!どこか具合が悪いんですか?」と、大真面目に尋ねるのだった。どう答えればいいのか私が一瞬口ごもると、慶子ちゃんは私の返答を待たずに、服を脱いで裸になって「診察台」で横になるよう私に命じた。私は多少の不安を感じながらも彼女の命令通り、「診察台」の上に乗り、不器用に着ていた服やズボンを脱いで、幾分躊躇(ためら)いながらも下着もとって「診察台」に横たわった。私は「診察台」の上であちこちから太陽の光が漏れる莚の天井を見上げながら、いよいよ私が「医者」である慶子ちゃんから診察と治療を施されるのだと、覚悟とも期待ともつかない気持ちでその時を待ったのだった。「お医者さん」である慶子ちゃんは、今年初めて「お医者さん」になったばかりなので、少し緊張しているようにも見えた。彼女はまず私のおちんちんを指でつまんで、真っ直ぐ上に引っ張った。そして縦や斜めにといろんな方向に何度も引っ張っていたが、どうにも腑に落ちない様子だった。多分、もう少しユニークな形にできないか、あるいは変わった展開はないかと工夫しているようだったが、どうも思っていたようにうまく扱えないのだろう。
慶子ちゃんはふっと小さなため息をついて、やがて思い直したように、髪の毛を結えていたヘアゴムを外した。そして、今度はそのヘアゴムを私のものに付けようとしたが、思ったように上手くいかないようだった。といって、慶子ちゃんには、それ以上の自分のアイデアが続かない。果たしてどのような診察と治療を施すべきか、慶子ちゃんはしばらくの間思案していた。誰しも、初めの内は自分だけの独創的な診察と治療を試みようとするのだが、まだ自発的な性的欲望も未成熟で、仕方なく自分が患者のときに受けた診察と治療を自己流に再現するしかなかったのだった。
 
慶子ちゃんは、これも先輩の真似だと思われるのだが、玩具の洗面器に予め水を汲んで持参していて、この水を土の入ったクッキーの化粧缶に注いだ。そして丁寧に土と水を適度な柔らかさになるまでこねて、その泥を手で丸めて泥だんごを作った。何をするのかと、首を起こして慶子ちゃんの手元を見守っていると、彼女はいきなりその泥団子を私のおちんちんの上にどさっと載せた。泥団子の冷たさに、身体がぴくっと動いたが、慶子ちゃんはそれを気にするでもなく、真剣な面持ちでおちんちんの周りの泥を手の平と指で丁寧に前後左右に均していった。
幾度か首をかしげながらデザインに工夫を凝らし、やっと満足できる形に均し終わると、慶子ちゃんは泥の丘の上に麦藁と小枝を幾つも突き立てた。子供心にも禁断の遊びだと心得ていた私は、その背徳感と下腹部に感じる微かな性的快感にすっかり心を奪われていた。まさに、まさにその陶酔のさなか、突然眼の前が真っ白になり、一瞬何が起こったのか分からず私はたちまちパニック状態に陥った。耳骨を伝わって心臓の鼓動が激しく鳴り続ける中、どこからか大勢の大人たちの声のざわめきが、混乱に追い討ちをかけるように私の耳に飛び込んできた。
 
心理的なショックに身体は硬直しながらも、目は少しずつ白昼の明るさに順応し始め、慣れるにしたがって私たちの置かれている状況が少しずつ理解されてきた。子供たちが“禁じられた遊び”に耽(ふけ)るのを心配した近所の大人たちが、お節介な密告者からの知らせを受けて、遊びの現場を押さえるためにこの「診察室」を急襲したものだった。粗末な「鶏小屋」の囲いはいともたやすく大人たちに取り払われ、下腹部に麦藁や小枝の立った泥饅頭を載せて裸で横たわる私の姿は、大勢の大人たちに囲まれながら、白日の下に曝されたのだった。
後で知ったことではあったが、去年の夏休みに“禁じられた遊び”が原因で陰部から細菌感染した子供がいたらしい。それをきっかけに、“禁じられた遊び”を防止しようと近所の大人たちが申し合わせをしたというのだ。今回の襲撃は、その時の申し合わせに従ったもので、その意味では大人たちの摘発はいたって妥当なものであった。しかし、白日の下に無残な姿を曝した私と、おちんちんを手にして治療に当たっていた慶子ちゃんにとっては、生涯に関わるほどの大事件となった。
「おちんちんは大切なところだから、こんな不潔な事をしてはいけない」という大人たちの、ありきたりの説教もほとんど耳に入らず、ただこの絶望的なスキャンダルを抱えて果たしてこの先の人生を生きていけるのだろうかと、そのことだけを思い詰めていた。もはや私は、決して世間の注目を浴びるような偉人や有名人になることはできないし、いかなる意味でも新聞の紙面に名前や写真が登場することも許されない。そして子供ながらも、人の視線を浴びない社会の片隅で静かに息を潜めて生きて行くしかないのだと覚悟した。この事件によって、私たち子供の関係にも変化が生まれ、男女が一緒に遊ぶことにも、大人たちの注意の眼が光るようになった。しかし私と慶子ちゃんは、顔を合わせても大っぴらに二人きりで話すことはしなかったが、それとなく互いの眼は相手の立場を思い遣るようになっていた。
 
この出来事をきっかけに、当然の成り行きといえばその通りで、子供たちの伝統文化はこの時をもって途絶えることになった。しかし私の心は、耐え難い絶望の淵にありながらなお、来年には三年生となって、「お医者さん」になれたであろう自分が、永遠にその機会を失ってしまったことを心の底から悔しく感じていた。

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