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ワンドのカピバラ

「千の点描」 <第二四話>

琵琶湖を水源として、京都から大阪へと流れる淀川の両岸に、小さな池や湾が点在しているところがある。一般用語かどうかは知らないが、淀川の河川敷にある説明版によると、この小さな池や湾はワンド(湾処)と呼ばれているという。明治時代に京都、大阪の間を淀川で結んだ蒸気船の運航にその起源があるということだった。日本人には川を運航する蒸気船にあまり馴染みはない。しかしミッキーマウスの最初の短編アニメーション映画である「スティームボート・ウィリー」に登場するような蒸気船が、淀川でも運航されていたと考えると少し愉快な気分になる。
淀川は大きな川だが川底が浅く、現状のままでは蒸気船の運行に何かと不都合があったのだろう、水流制御のために陸に近い側にブロックが設けられ、そのブロックによって流れの緩やかな水域が生まれた。さらに年月が経つうちにブロックに土砂が堆積して小さな入り江や池を形成し、やがて周囲に木や草が繁茂した。それがワンドだ。大阪市の旭区にある城北ワンドが有名だが、淀川の両岸のあちこちにも小規模なワンドが散見される。河川敷から見ると小さな池のように見えるが、近づくとこの池は淀川と細い水路で結ばれていることが見てとれる。淀川から大きな魚が侵入することもなく、流れもほとんどないので水生生物にとっては、特殊な生息環境が形成されることになり、ワンドには健気(けなげ)にも国の天然記念物の「イタセンパラ」や「アユモドキ」が生息している。
 
何年もかけて心血を注いできた事業に挫折して、経済的にはいうまでもなく、精神的にも肉体的にも疲弊していた私たち夫婦ではあったが、幸い時間だけは十分にあり、家に籠(こも)ることに飽きると、長柄橋周辺の河川敷によく足を運んだ。この辺りにもワンドが多く残っていて、淀川という大河に寄り添う小さな池の風情が、そんな私たちの心を和ませてくれた。淀川の大きな流れと、その上に広がる空の豊かさは、大都市には得がたいスケールの大きな景観だったが、私たちはワンドを取り巻く小さな自然を観察するのが好きだった。

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