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フィクション

「働きたくない」

これは、物心ついた時から思っていたこと。スーツを着て、満員電車に乗る。暑い中、営業回りをする。会社に、社会に消費されていく姿に、子供ながら恐怖を覚えていた。父も母もスーツを着る仕事ではないから、自分の中でいつそのイメージが湧いたのか定かではない。逆に、知らないことへの不安感が余計な脚色がついた想像を掻き立ててしまうのかもしれない。

最近宮田ナノさんの「すてきな退屈日和」という漫画を読んだ。フリーランスの校正者と個人書店でも働くWワークの主人公は、私の理想の働き方のように感じた。一方、これがフィクションであることも忘れてはいけない。実際、そういう人が現実にいたとしても、それが自分もできるとは限らない。

フィクションは人に希望を与える。逆に言えば、希望を与えるように設計されている。バトル漫画の主人公が悪を倒す物語は、読者に「困難な状況にも立ち向かう勇気」を与える。日常ほのぼの漫画は、日々に「新しい眼差し」を加えてくれる。

作り手はいつも、どんな読者にどんな影響を与えるかを考えてものを作っている。そこに「マジ」になると、自分にも敵が倒せるようになるとか、魔法が使えるようになるとか、夢みたいなWワークができてしまうとか思ったりしてしまう。それは素敵な勘違いだ。フィクションは抽象化して取り込まないと、自分がダメになってしまう。読むたび、見るたび、そんな気がする。


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